テーマ:明治天皇

明治天皇と西郷隆盛 (その四)

 起草者は元田だったとは言え、明治天皇の大御心である「教学聖旨」に反発した内務卿・伊藤博文は、開化思想と科学主義を基調とする「教育議」を奏上に及んだ。西洋を実見してきた彼としては、彼なりの忠義心から、このような大胆な反論に及んだのだろう。  もちろん、これに元田が納得するはずはない。「教育議附議」を書いて、伊藤の論を一つ一つ反駁した。…
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明治天皇と西郷隆盛 (その参)

 明治十一年五月十四日の大久保の遭難は国際社会の荒波に乗り出したばかりの明治日本にとって大きな損失であり、同志達を悲歎せしめた。  翌日、元田永孚等同志の侍補は協議して、明治天皇へ建言を行うことで一決した。通常、建言は、三条・岩倉の両大臣に告げて後、行われるのが通例であったが、事変勃発の非常時ということで常例によらず、一同拝謁を願い出…
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明治天皇と西郷隆盛 (その弐)

 明治十年の西郷南洲翁の決起は天皇の心を大きく動かした。  それは当面、政府に対する不信感に基づく政務拒否という態度になって現れた。この状態を憂いた大久保利通、伊藤博文は、君徳育成のための侍補制度を作った。これが、薩軍が延岡に追い詰められて、起死回生の可愛岳突破を試みた頃、明治十年八月の事である。   この時、二等侍補に択ばれた…
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明治天皇と西郷隆盛 (その壱)

 西南戦争という、西郷南洲翁の決起が天下の人心を動かしたという点で何よりも興味深いのが、彼らと政治的だけでなく軍事的にも対立している政府の私するところとなっている、明治天皇の心をも動かしたらしいことである。  それは明確に意識化され、行動化されたわけではなかったが、政務拒否という消極的な態度となって表れた。  翁の決起はおそらく明治…
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徳富蘇峰の語る明治天皇

 明治天皇は井上毅の語る所によれば、まことに理想的の立憲君主であった。天皇の天職以外には何ら欲望も嗜好もあらせられず、しかもよく衆言を採択あらせられ、深く慮り、審らかに考え、一旦宸断せられたる上は、いかなる困難あるも断乎として動き給わず、ただ時には余りにも慎重にして、容易に宸断を下し給うことなかったのは、畢竟国家の大事を軽々に断行し、大…
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