Kindle版電子書籍『織田信長「超人」伝』 出版!

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 Kindle版電子書籍 『織田信長「超人」伝』を出版しました。

 発売日が終戦の日である八月十五日になったのはたまたま作業のすべてが完了したのが、その前日十四日だったからです。

 内容は、『十人の侍』の信長論では國體論の立場から意図的に削り落とした本来のモチーフに立ち返って、加筆したものです。柱となる検証部分は基本的に変わっていません。

 その柱となる本文は、信長の思想、天下国家観の検証と、皇室との関係、そして本能寺の変の検証です。

 「超人」は19世紀の思想家フリードリッヒ・ニーチェの提唱した概念ですが、彼はこれを全くの無から創作したわけではありません。筆者は『ニーチェと論語』でも書きましたが、スイス・バーゼル大学の同僚教授であった歴史家ヤーコプ・ブルクハルトの「歴史的偉人」の講義から着想を得、それを哲学的に追究したものであったと解釈しています。
 つまり、ブルクハルトが言うところの「世界史の真の神秘」から抽出した概念であったということです。

 ニーチェは「超人」の例として、仏陀、古代ギリシャの神ディオニュソス、イエス・キリスト、アレキサンダー大王、古代ローマの英雄ユリウス・カエサル、信長より少し前のイタリア・ルネサンス期の英雄チェーザレ・ボルジア(チェーザレはカエサルを意味する)、ヴォルテール、ナポレオンを挙げましたが、歴史的に振り返って、新たな価値の創造者として世界を新たに方向づけた人物を指し、自分もまたそれになろうとしたのだと考えています。

 筆者は、信長が包囲網の苦境を脱しようともがく中で、比叡山の焼き討ちに象徴されるように、常軌を逸した行動を取るようになった天正年間の彼を理解する上で、ニーチェの「超人」という概念がもっとも適しているだろうと感じたのです。

 自己の理解を超えた存在に対する批判は自己の価値規範の主張にほかなりません。それは自己の価値規範の限界を公にすることでもあります。
 知的謙虚さが求められるゆえんですが、知恵自慢である知識人に欠けがちな徳がこれでしょう。

 最近、明智光秀に対する再評価が盛んで、それはそれで結構ですが、それらの論文のいくつかを読んでみると、光秀のヒール役である信長・秀吉の理解が全くなっていないため、取るに足らないものが多いのが現状です。
 それでいながら、光秀の高評価に都合のいい史料は、後世抹殺されたり、改竄されたと主張しているのですから、何をかいわんやです。

 筆者は、陰謀論の全てを否定するわけではありませんが(むしろ政治において陰謀は盛んであるとすら考えています)、史料批判も含めて、常識的に筋が通っているかどうかで判断するものです。

 光秀の再評価もそれはそれで大事ですが、日本人全般にとっては信長の理解こそ重要です。混乱と荒廃を極めた戦国時代に秩序を再興した信長こそ、国体の観点から是非とも正しく理解しておかなくてはならない人物だからです。

 たまたま終戦の日と出版が重なりましたが、現在の日本は終戦が大きなきっかけとなって、七十三年経っても、未だに世論が左と右に分断されたままの国家です。「大和」民族の名に、「和」の国の名に、相応しくない状態なわけで、この日本人の内面の分断状態、すなわち「不和」の状態を改善するには、歴史を遡って、もとから認識を正していく必要があります。

 もとより日本が本当の「和」を達成していたことは、その理想から言えば、現実的にほとんどなかったといっても過言でありません。しかし、「和」を理想とする伝統は皇室を中心に連綿と受け継がれてきたのであり、それは神道を中心に、仏教・儒教・道教などの習合によって目指されてきたのです。
 信長もまたその例外ではなく、彼が為そうとしたのは、それまでの主流であった神仏習合を柱とする国から神儒習合を柱とする国への大転換であり、そのためには強力な外科手術を必要とし、その中で彼の強靭な精神はそれらのすべてを超える存在に思想的飛躍を遂げざるを得なかった、ということです。
 それもこれも天下一統を達成する上で、高度な「和」を達成する必要に迫られたからです。


 その過程で、信長は常に、彼に好意的な正親町天皇との協調関係を重視していました。この関係性を検証する上で、今谷明氏の『信長と天皇』をテキストにしましたが、驚くべきことに、信長は常に天皇を抹殺したい衝動に駆られていたと主張する今谷氏が、同書で掲げている史料は、よく読むと、彼の主張を裏付けるものになっていない、という事実でした。

 こういった研究書を読む人はおそらく自分が標準より頭がよいと思いこんでいる人々であって、一度読んだだけでわかった気になって、もう一度読み返してみるということをしないのかもしれません。しかし、通常良い内容の本は二度目三度目ほど認識において得るものは大きいのです。一度でわかった気になるのはある意味、モチーフが単純明快で、それに沿った史料が選択され、理屈で結びつけられているからです。
 しかし、よく読めば今谷氏のモチーフは破綻しています。
 その原因は、今谷氏がマルクス主義の一変種であるフランクフルト学派の階級闘争史観に立脚しているからだと推察されます。彼の一連のテーマである天皇と武家の対立関係というモチーフはここに起源しているようです。近代科学文明が生んだイデオロギーで、近代科学文明とは無縁の時代の人間をそのイデオロギーで理解しようとしているのです。その理解が正確なものになる訳がありません。

今谷氏本人はリベラルのつもりなのでしょうが、左に染まった戦後の歴史学会に向けて歴史を書いているからそうなるのでしょう。マルクス主義者にとって、歴史は、彼らの唯物史観、階級闘争史観などのイデオロギーを宣教するための道具でしかありませんから、決して歴史そのものと向き合っているわけではないのです。

 「信長とは一体、何者であったのか」という記事でも書きましたが、信長が皇室に対する悪意から「馬揃え」という軍事パレードで朝廷を恫喝し、正親町天皇に譲位を迫った、というのもほとんど妄想の類です。
 譲位のすゝめは、仙洞御所の造営、即位式、大嘗祭を行いたくても財政的に自力で成し得ない朝廷に対する好意ですし、「馬揃え」は主客共に派手に着飾った平和の祭典だったのです。
 正親町天皇はこれを見て大喜びで、もう一度見たいと信長に甘え、信長もまた違う趣向でもう一度これを執り行っています。

 信長が殺伐とした時代に、彼による天下一統、つまり平和の達成を目指していたことを忘れてはいいけません。
 軍事パレードという解釈がいかに一面的で貧弱な発想であることか。
 これは彼のほかの事業一般にも言えることです。
 高慢な学歴秀才に、イデオロギーにとらわれ、過去を見下す進歩的文化人に、長く続いた戦乱を収拾しようと命懸けで取り組んだ英雄を理解することはできないのでしょう(もちろんちゃんとした人もいますが…)。
 
 まあ、こういった一般の知識人の生態は、明治の文明開化以来の事で、大正デモクラシーで共産主義思想が流入してきて以来、ますます日本本来の発展的「和」達成努力の弊害となってきましたが(何と言っても彼らは基本的に反日自虐史観の徒ですから)、それらを踏まえて、彼らの歴史に関する見解を受け止めておく必要があるのです。


 もちろんニーチェが唱えた「超人」という概念も、19世紀末に誕生したもので、極東の戦国時代にそのまま適用できるわけではありませんが、すでに触れたように、文明史家のブルクハルトが歴史の該博な知識の中から抽出した「歴史的偉人」という「世界史の真の神秘」を、ニーチェなりに追究した概念であり、歴史のヴェールに包まれて理解が難しい信長という不思議な人間を理解する上で、非常に有効な概念であろうと思ったまでです。
 つまり、補助的な概念として応用したに過ぎず、他にも荻生徂徠の「聖人」概念など、信長理解を助ける上で、有用な概念は筆者が知る限り動員しています。

 しかし、基本的には、例えば批評家の小林秀雄が『本居宣長』で十一年かけて実践したように、その謎めいた人物像を明らかにするために、様々な研究を参考にしつつ、出来るだけ本人の言葉に拠って、それに寄り添って、その事跡を解明することに徹したつもりです。

 最後に西洋の保守思想家の言葉を引用しておきます。
 20世紀初頭のアメリカで「プラグマティズム」という思想を普及させたウィリアム・ジェイムズはその主著『プラグマティズム』冒頭で、イギリスの保守思想家チェスタトンの次の言葉を引用して、賛意を表しています。

「およそ一個の人間に関して最も実際的で重要なことは、なんといってもその人の抱いている宇宙観である、という考えを持っているものが世間には幾人かいるが、私もその一人である。われわれの考えるところでは、下宿屋の女将が下宿人の品定めをする場合、下宿人の収入を知ることは重要なことではあるが、それにもまして重要なのは彼の哲学を知ることである。まさに敵と矛を交えようとする将軍にとって、敵の勢力を知ることは重要ではあるが、敵の哲学を知ることの方がよりいっそう重大な事であるとわれわれは考える。おもうに問題は、宇宙に関する理論がものごとに影響を与えるか否かということではなくて、つづまるところそれ以外にものごとに影響を及ぼすようなものが果たして存在するかどうかということなのである。」

 あまりいい訳とは言えませんが、常識的な考えです。 
 筆者にしてみれば当然のことで、『西郷南洲伝』も、『十人の侍』も、今回の『織田信長「超人」伝』も、そのように、まず人物が抱いていた世界観を捉えることで、その言動の意義を明らかにするよう努めてきました。
 少なくとも歴史家はそこまで把握した上で、批判を展開するのでなければ、その批判は的を外れた頓珍漢なものとなってしまうのです。

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