ニーチェ 神になった悲劇人

ブクログ・パブーに今年唯一の論考『ニーチェ 神になった悲劇人』を公開したのでお知らせいたします。



画像





http://p.booklog.jp/book/93502



西洋哲学について門外漢の私がニーチェについて書くというのは意外だと思いますが、昨年ブログに掲載した西尾幹二氏への批判を国体論としてまとめる上で、やはり氏のニーチェ観を理解しておかなければならないとのことで、氏のニーチェに関する論考や翻訳を読んだのがきっかけとなりました。



最初は文章にする気もなかったのですが、読み込むううちに、ニーチェという人物の不思議さに惹き込まれ、文章化しました。すると意外な視点を得、それまで考えてもみなかった結論に至ったのです。



晩年のニーチェはキリスト教を否定し、西欧社会における「あらゆる価値の価値転換」という大それた試みをなそうと目論んで、狂気の淵に沈んだということになっています。つまり発狂したということが固定観念になってきましたが、果たしてそれは妥当な見方だろうか、というのが拙論の趣旨です。

 ことニーチェに限っては、そこを再検討してみる必要があるように思えるのです。

むしろ、われわれの方に、ニーチェに関する一つの大きな価値転換が必要なのではあるまいか。



 西尾氏によれば、晩年の小林秀雄は、ニーチェを十分にくぐり抜けていないことが(戦後)日本の知識人の弱点だ、ということを繰り返し周囲に語っていたといいます。今ではその趣旨はわかるような気がします。



 本論は今年発表できた唯一の論考ということになりますが、とても有益な経験だったと思います。『論語』を手がかりにした日本の国体試論の発表は来年以降ということになりますが、この面白い経験を活かしたいと思います。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック