いわゆる「征韓論」「遣韓大使派遣論」の正気

『西郷南洲遺訓解説』 第五回 『いわゆる「征韓論」「遣韓大使派遣論」の正気』を電子書籍「ブクログ」にて配信いたしました。

http://p.booklog.jp/users/yamatogokoro

 前回解説した「正気」を字眼とする「征韓論」「遣韓大使派遣論」の解説です。

 この問題は様々な解釈がなされてきましたが、思想的に見て、南洲翁の主張は「正韓論」と名づけられるべきものであることを論じました。
 日本人を拉致した上、国民の生活を省みることなく、先軍政治を推し進める北朝鮮や、竹島を占拠し、日本人に対する侮蔑的態度を隠さない韓国など、昨今の朝鮮半島の情勢を見てもわかるように、日本人の正気による「正韓論」は東アジア情勢の安定のためにも不可欠です。

 現在、朝鮮半島は、日本侵略を目論む中国の勢力下に組み込まれつつありますが、明治時代、朝鮮半島は南下するロシアの脅威に飲み込まれようとしていました。翁の「正韓論」は明治日本の半島問題への大々的な着手の第一歩として、非常に重要な歴史的意義を持つものでしたが、残念ながら盟友の大久保利通と岩倉具視によって葬り去られ、結局、西洋流砲艦外交以外の何物でもない、江華島事件が着手の第一歩となりました。これでは李朝が国交を拒絶する理由の一つとして非難したところの、日本人は「仮洋夷」になり下がったことの証明に他ならず、また清朝の有力者李鴻章の反発を招いたという点で、最善の政策とは言いがたいものでした。
 以後、朝鮮をめぐって東アジア情勢は混乱、日清・日露の戦を経て、併合によってようやく一段落着くことになります。

 今、朝鮮半島の併合を植民地化だったという人がありますが、これはあくまでも国際社会の承認を取り付けた上での併合であって、植民地化したわけではありませんでした。
 日本人が朝鮮民族を奴隷化していると言い出したのは、反日人種差別主義者で、共産シンパであった狂気のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトです。彼は日本をたたき潰して、アメリカの東アジアにおける覇権を確立するための一環として、このようなことを言い出したのです。日本降伏後、本国同様に、朝鮮半島に軍政を敷いたアメリカは、悪名高き両班階級の家に生まれて、主にアメリカで活動していた独立運動家・李承晩を後押しして、大韓民国を設立しました。降伏した大日本帝国(朝鮮半島も含む)に対するアメリカの占領政策の基本は、親日勢力、親日思想の強制的排除にあったのです。これは概ね成功したと言っていいでしょう。日本においてはいまだに反日勢力が跳梁跋扈しています。
 慰安婦問題や竹島の問題も含めて、この間違った歴史認識を正すことは現代の「正韓論」と言っていいでしょう。

 翁の「正韓論」は、その思想的起源にして、一つの模範となるべきものとして、決して現代的意義を失ってはいないのです。


 最後に、翁には自殺願望のようなものがあって、死に場所を求めて、大使を志願した、との説がまことしやかに語られることがあるので、それがありえないことを証明する翁の書簡を、配信記事中に蛇足として付け加えておいたので、それを紹介しておきます。


 これは論争最中の明治六年八月二十三日に、翁が板垣退助に送った書簡です。

「先日は態と潜居まで御来訪成し下され、御教示の趣深く感佩(かんぱい)奉り候。死を見る事は帰する如く、決しておしみ申さず候えども、過激に出でて死を急ぎ候儀は致さず候間、この儀は御安堵成し下されたく希い奉り候。然しながら無理に死を促し候との説は、跡以て必ず起こり申すべく、畢竟その辺を以て戦いを逃し候策を廻らし候儀、必定の事と存じ奉り候に付き、先生は御動き下されまじく、今日より御願い申し上げ置き候。さて少弟この節の病気に付き、主上より御沙汰を以て医師も命ぜられ治療仕り候間、医師の命ずる通りいたし来り候処、最早治療処(どころ)にてはこれなく候えども、有り難き御沙汰を以て加養いたし候に付いては、死する前日までは治療決して怠らずと申し居り候位に御座候間、死をむつかしく思うものは、狂死でなくては出来申さず候故、皆々左様のものかと相考え申すべく候えども、それ等の儀は兼て落着いたし居り候間、申し上げ候も余計の事とは存じ奉り候えども、先生の御厚志忘却致し難く、御安心までにそっと申し上げ置き候。」

 つまり、死ぬということが難しいと思う者は、自分がそういった行為を狂気なくしては出来ないと考えるため、自分の無腰による朝鮮行きも同じようなものと考えるが、それらの問題については、すでに自分の中で決着がついている。
 翁は「無理に死を促」すとの説があとで必ず起るであろう事をちゃんと見抜いています。
 翁からすれば、勤皇僧・月照との投海からの蘇生以来、自分の生命は天から賦与されたものであり、だから死とは天から預かった命を天に帰すことに他ならない。よって自分としては、天の理を明らかにし、これにしたがって、天の命ずるままに行動するだけである。しかし、死を難しく思う者は自分の命懸けの行動も同じようなものと考え、狂死(狂気による死)とみるかもしれないが、自分はあくまでも正気を持している。
 翁がこの書簡で述べようとしているのはそういうことなのです。

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この記事へのコメント

西郷どん!
2018年11月26日 16:43
然しながら無理に死を促し候との説は、跡以て必ず起こり申すべく、畢竟その辺を以て戦いを逃し候策を廻らし候儀、必定の事と存じ奉り候に付き、先生は御動き下されまじく、今日より御願い申し上げ置き候。というのは、現代語訳にするとどういう意味になるんでしょうか。
哲舟
2018年12月17日 17:03
コメント見落としていて、返事が遅くなってしまいました。申し訳ございません。

拙著『新西郷南洲伝(下)』137~138ページまでをご参照いただければわかりますが、上記の意味は、その前部からの文脈から言うと、死処を求めて無理に大使派遣の決定を催促しているとの説が後で必ず起こるだろう、戦を避ける策を廻らすために、という意味で、板垣にそんな姑息な手に乗らないでください、という意味です。

 西郷自身がそう言っているのに、彼の自殺願望が征韓論に対する固執となった、と後世の歴史家で言う人は多いのですが、浅はかな説です。

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