「和」の伝統 … 勝海舟 ③

 慶応三年三月。
 勝海舟が江戸に殺到しようとしている官軍の参謀諸君、なかんづく西郷南洲翁に宛てた有名な書簡は、道義に則った処置を官軍に要求する内容だと言える。

 文書は次の言葉で始まる。


「無偏無党、王道堂々たり。」


 冒頭のこの強い言葉が何を指すのか。
 勝はまず、自分が旧幕府、一徳川家のために謀る者ではなく、無私の精神で(無偏無党)、我国の大道、王道(皇道)を堂々行う者であることを言いたかったのであろうし、あなた方官軍の処置もそうであらねばならない、とのメッセージを伝えたかったのだろう。
 以下はその具体的な内容であるが、勝は続けて、賊とされた徳川家、君・慶喜、臣・海舟の態度が王道(皇道)に則っていることを主張する。


「今、官軍鄙府(ひふ、ここでは江戸を指す)に逼(せま)るといえども、君臣謹んで恭順の礼を守るものは、我徳川氏の士民といえども、皇国の一民たるを以てのゆえなり。」


 そして『詩経』の有名な言葉を引用して、日本を取り巻く国際情勢から見た、日本人同士の争いを避けなければならないもう一つの事情を説く。


「且つ皇国当今の形勢、昔時に異なり、兄弟牆(かき)にせめげども、外その侮りを防ぐの時なるを知ればなり。」


 表現が簡潔なのは、今更くどくど説明する必要がないほど自明のことだったからであろう。
 勝はここでそういった言葉は用いていないが、「和」を説いている。道理に基づく「和」である。
 四書五経の言葉から同じ認識に達していたという点で、『孟子』「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」から「人心の一致一和」をその政事運動の柱に据えた島津斉彬とその弟子達、すなわち島津久光や南洲翁らと、勝は心を合わせていたといえるだろう。
 勝は同じ発想から、朝鮮や清朝と相争うことを欲さなかった。
 この『詩経』の言葉は、大東亜戦争開戦の詔書にも引用されていて、明治維新の成果としての大日本帝国にも脈々と受け継がれていったことがわかる。

 以上が勝が言うところの主君・慶喜が恭順の態度を守る理由である。
 ここで彼は一転、そうでありながらも、官軍に要求せざるを得ない事情を訴える。


「然りといえども鄙府四方八達、士民数万往来して、不教の民、我主の意を解せず、或はこの大変に乗じて不軌を計るの徒、鎮撫尽力余力を残さずといえども、終にその甲斐無し。今日無事といえども、明日の変誠に計り難し。小臣殊に鎮撫力殆ど尽き、手を下すの道無く、空しく飛丸の下に憤死を決するのみ。
 然りといえども後宮の尊位(静寛院宮、あるいは天璋院か)、一朝この不測の変に到らば、頑民無頼の徒、何等の大変牆内(しょうない)に発すべきや、日夜焦慮す。恭順の道、これにより破るといえども、如何せむ、その統御の道無き事を。」



 ここで彼が訴えているのが、「和」が保てないギリギリの所まで来ている江戸の事情である。
 これは彼が信条とする「正心誠意」(これも四書の一つ『大学』の言葉だ)の披瀝であって、歴史事実に照らして、ここに嘘はない。もはや彼は人事を尽してこの嘆願に至っている。後の処置は官軍の措置次第である、と逆にこの難問の責任を官軍の側に負わすのである。


「唯、軍門参謀諸君、よくその情実を詳らかにし、その条理を正さんことを。且つ百年の公評を以て、泉下に期すに在るのみ。
 嗚呼痛ましいかな、上下道隔たる。皇国の存亡を以て心とする者少なく、小臣悲歎して訴えざるを得ざる処なり。その御処置の如きは、敢えて陳述する所にあらず。正ならば皇国の大幸、一点不正の御挙あらば皇国瓦解、乱民賊子の名、千載の下、消ゆる所なからむか。小臣推参して、その情実を哀訴せんとすれども、士民沸騰、半日も去るあたわず。ただ愁苦して鎮撫す。果たしてその労するも、また功なきを知る。然れども、その志達せざるは天なり。ここに到りこの際において何ぞ疑いを存せむや。恐惶謹言。」



 我はすでに王道に尽している。
 官軍参謀諸君、後世に恥じない、また王帥の名に恥じない、条理正しく、公正な処置を望む。
 これが勝のメッセージと言って差し支えあるまい。
 この志が達せず、大道が行われず、和が成らねば、それは天の意志である。勝はすでに人事を尽して天命を俟つという境地に至っていたのだろう。

 結局、勝の志は達し、江戸城無血開城は成り、無辜の民は戦火に迷うことはなかった。そして江戸は首都となり、更なる繁栄を遂げて今に至っている。
 それもこれも元を辿れば、勝から見て、彼が期待した通りに江戸の処置を取り仕切った官軍の参謀、西郷がもたらしたものであった。勝がこの時の翁の言動を通じて、俟っていたはずの天意を感得したと見ていいだろう。だからこそ、勝は後に翁を高士と呼んだ。

 この維新の物語には、聖徳太子以来の「和を以て貴しとなす」、あるいは、遡って応神天皇の御代の『論語』の渡来以来、長い年月を掛けて官から民へ徐々に浸透していった「君子は和して同ぜず」の伝統が息づいている。

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