日本人の国際主義 (その参)

 勤勉さは日本国民が世界に誇るべき特色にして、国民経済を支えてきた美徳である。
 十一月二十三日は「勤労感謝の日」だが、その趣旨は、「祝日法」によれば、「勤労を尊び、生産を祝い、国民たがいに感謝し合う」ことにあるとされている。
 まことに結構な趣旨だが、いわゆる「祝日法」、すなわち「国民の祝日に関する法律」は、昭和二十三年、アメリカの占領下で施行された法律で、第一条で「自由と平和を求めてやまない日本国民が、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日である。」と定義されている。GHQに強制された憲法前文に通ずるものがある。(参照「憲法前文」ウィキ解説;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95%E5%89%8D%E6%96%87
 「自由と平和を求めてやまない日本国民」というレトリックに欺瞞と押しつけがましさを感じるのは私だけだろうか。

 祝日とは単なる休日ではない。
 祝祭日である。
 つまり、日々の平安と発展に対する感謝の意を捧げて、神を祭り、祝う日である。
 英語で「祝日」は「ホリデイ」というが、これは「ホーリー・デイ(神聖な日)」に由来し、神聖なる存在に対して、感謝を捧げる日である点では、日本も同じなのだ。
 その点、「祝日法」は何に対し感謝を捧げる日であるのかが、わざと曖昧にされている。
 これは、アメリカによる日本の伝統文化破壊の意図、及びGHQに紛れ込んだ共産主義の一派、フランクフルト学派‐構造改革派の意図を反映したものだ。
 前者は戦勝国の敗戦国に対する報復であり、後者は二段階革命論であり、これは現在の女性宮家創設の問題にまで繋がっている。女系天皇誕生への道を拓く事は、皇統断絶の意図を秘めた彼ら構造改革派(民主党政権はその巣窟である)の遠大な陰謀に加担することを意味するのだ。

 戦後の祝日という表層文化の皮を一つ剥いて、深層文化に眼を向けると、そもそも十一月二十三日は、戦前の「新嘗祭」に当たる。
 明治六年の太陽暦の採用までは、十一月下卯の日に祝われてきた。冬至に近い頃である。「新嘗祭」は文献上、古くは『日本書紀』仁徳天皇四十年の条までさかのぼることが出来るが、起源は神話の時代にまでさかのぼることが出来るようである。

(参照①;所功『「国民の祝祭日」の由来がわかる小事典』PHP新書、②;「新嘗祭」ウィキ解説;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%98%97%E7%A5%AD

 つまり、日本の起源と一体となっている。

 新嘗祭に対する所功氏の解釈を勝手に要約させていただくと、次のようになろうか。

 十月十六・十七日に伊勢神宮で行われる神嘗祭は、伊勢の御神田で収穫された初穂で作られた神饌(みけ)で、外宮の豊受大神と内宮の天照大神を饗(あえ)して、神威を盛り返していただく儀式である。
 この神嘗祭から約一月ほどが経って、新嘗祭は行われる。
 この祭りにおいては、新穀が天皇陛下御自身に供されることになる。この儀式を通じて、先の神嘗祭で神威を回復された天照大神の霊力が、天皇に伝えられ、「皇御孫命(すめみまのみこと)」としての生命力を回復される。
 所氏はこう解する。 

 これがいわば、天皇が現人神である、ということの本質的意味であろう。
 祭祀を通じて、人である天皇が、祖神である天照大神の神威を授かり、その霊力によって、民の安寧を祷る。天皇は神に最も近い人であり、神聖なるものと世俗なるものとの境界線に立って、これを媒介している。だから無私であるとも、空であるとも形容されうる。
 あわただしい生活を送る我々世俗の人間は、祭祀を通じて、八百万の神々を垣間見ることが出来るが、同じように、御皇室の祭祀その他の御行為を通じて、皇祖神が織り成す神話の世界を垣間見ることが出来る。三種の神器の一つ、鏡が表象するように、天皇陛下の無私の言行が曇りなき明鏡となって、日本人にとっての神聖なるものの存在を映し出すのである。
 戦後社会において、それは政治によって隠されていて、見ようという強い意思を持って見なければ見えないものとなってしまっている。

 唯物論者や一神教徒にとって、これほど疎ましく目障りな御存在はあるまい。だからアメリカ人やマルクス主義者や支那の中華主義者はこれを廃絶させたいと企むのである。近代合理主義者や唯物論者やガチガチの一神教徒には、往々にして、この豊かな世界観が理解できない。

 この天皇と天照大神の関係性は、天皇がご即位されて最初の新嘗祭である大嘗祭における儀式によって推理されるわけであるが、これはあくまでも秘儀であって、文献上拝察されるだけである。
 新嘗祭が、太陽がもっとも遠ざかって、その影響力が弱まる冬至近くに行われることの意味はそこにある、と所氏は推理している。つまり、太陽神である天照大神の霊力がもっとも衰える冬至こそ、人々が神威の回復を熱望したはずだ、と。
 これは全くその通りだっただろう。
 遅い夜明け、早い日暮れは、農耕民の生活にとって、好ましいものではなかったはずだ。冬至を過ぎた頃から、寒さは本格的になり、春が待ち遠しく感じられる生活観は、今も変わりがない。そこで、これに類する祭りを冬至の頃に行うことによって、来る年の豊穣を祷るのである。
 新嘗祭と趣旨を同じくする祭りが古くから民間で行われてきたことは『常陸国風土記』の記述や『万葉集』の東歌などから窺えるようだ。 

 日本人の勤勉さは稲作が培ったものといえよう。
 太陽神信仰に支えられた民が、長い年月をかけて、農耕文化を育ててきた。四季折々の変化に富んだ日本の風土で、農耕は手を抜けば成り立たない。村落における協働も欠かせない。開拓農民をその起源とする武士もそれを継承していったことだろう。
 この農村に根付いた勤勉さが、江戸期の学問、特に武士にして禅僧の鈴木正三の思想や町人思想家・石田梅岩の石門心学によって、反省され、深化を遂げた上で広く普及し、日本の近代的発展の基礎を築いていったのである。

 この長い年月をかけて培われてきた貴重な「勤勉」の価値観が、国民の主観において、勤労感謝の日を祝っているとも考えられるのであるが、その根底にある価値観が、戦前は同日に新嘗祭として祝われてきたという事実は、日本文化の重層性を表していて、興味が尽きない。

 その勤勉の価値によって培われてきた技術や産業構造が、いまだに、失われた二十年を経過した今も、日本経済を支えているのである。
 これが政治の機能不全にもかかわらず、もっとも安定した通貨としての円を支えている。円高を望む、国際社会を構成する主要各国の思惑はあるにせよ、だ。

 もう一つは(その壱)でも触れた日本の国際主義であるが、これはなかなかブログでは言い尽くせないものがある。また別の機会にしたい。 

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