大東亜戦争開戦、七十年目の日

 本日は十二月八日。
 大東亜戦争の開戦、パールハーバーの奇襲から、ちょうど七十年が経過した。
 
 大東亜戦争をわが民族が経験した、必然にして、正真正銘の悲劇と観じていた小林秀雄は、終戦直後、次のように発言している。


「僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについて今は何の後悔もしていない。大事変が終わった時には、必ず若しかくかくだったら事変は起らなかったろう、事変はこんな風にはならなかったろうという議論が起る。必然というものに対する人間の復讐だ。この大戦争は一部の人達の無智と野心とから起ったか、それさえなければ起らなかったか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然性というものをもっと恐ろしいものと考えている。僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか。」(「コメディ・リテレール 小林秀雄を囲んで〈座談〉」)


 小林は後に「大戦直後、或る座談会で、諸君は利口だから、たんと反省なさるがよい、自分は馬鹿だから反省などしない、と放言し、嘲笑された」と言っているから、大方の読者の、世間の反応は、彼のこの放言には冷たかったわけだ。

 人性の本質に関わる問題の真の反省は利口になど出来るものではない。
 利口に出来る反省など、人生の問題からすれば、枝葉の問題に限られている。大抵は合理化との名を冠して、生活の効率化が図られるだけである。

 民衆、あるいは、民衆化した指導者が、戦前は政治が掲げた正義に従い、敗戦したら、これを反省したと言って、一部の人間の無智と野心のせいにして、勝者・アメリカの正義を自分のものとして掲げ直したとしても、これは驚くに当たらない。勝てば官軍。民衆とはそもそもそういったものなのだ。
 彼らにとって、それは相対的正義の問題であり、正義の問題は巨獣の欲望に添えるか否か、機嫌を取れるか否かが問題であった。
 第二次世界大戦とは、国家と言う巨獣がこれまでの歴史にはなかったほど、荒れ狂った時代である。続けて、米ソと言う巨獣が対峙した。
 これは勝者官軍の内部分裂でもある。
 米ソはともに、民主主義という看板を掲げていた。しかし、その色合いは、全体主義と個人主義と正反対の色に染められていた。ペリクレスにすればそれは名目に過ぎなくなるが、少なくとも、その対立は二大巨獣の欲望に添うか否かが問題であった。

 そういった中で、民衆がどちらの正義かを選択をせざるを得なくなってもこれは致し方ない。それは単なる転向であったが、口舌で食っていかなければならない知識人は、これを反省という名で糊塗した、あるいはこれを反省と思い込んだのである。
 転向をしなかった人々は、大方は巨獣の猛威に沈黙を余儀なくされたが、これを潔しとしない人々がいた。

 小林秀雄の放言は、単なる無責任な放言ではない。 
 一文士の巨獣、あるいは巨獣にまとわりつこうとしている民衆に向けた、勇気ある発言である。


 今の日本を取り巻く状況は、これまで、百獣の王であり続けたが衰退しつつあるアメリカという巨獣と、勃興する中国という巨獣の、対立の局面に入りつつある。
 だから日本国内にも当然、これらの影響を受けて、相対的正義がやかましく論じられている。
 こういった時代だからこそ、自分で考えようとの決意を固めさえすれば、真の反省をする糸口を見つけることが可能になる。


 今手元に、あの戦争に関する二冊の本がある。

 西尾幹二著 『GHQ焚書図書開封6 日米開戦前夜』(徳間書店)

 渡辺惣樹著 『日米衝突の根源 1858・・・・・・1908』(草思社)

 日米開戦 七十周年に向けて出版されたばかりの本だ。
 戦後アメリカが隠そうとしてきた、日本に対する、長い長い敵意の歴史を扱った本である。
 前者は、勝者アメリカが占領期間中の言論統制下で焚書した書籍、当然彼らにとって都合が悪いことが書かれていた、これらの書籍に光を当てることで、あの戦争に対する真の反省の材料となるべき、大東亜戦争への道のりと、日本人の側の正義を明らかにしようとした本であるし、後者は、アメリカ側の史料によって、彼等の日本人に対する敵意の歴史を明らかにしようとした労作である。

 まだ読みかけだが、今日、これからじっくり読むつもりだ。



【GHQ焚書図書開封】大平洋の覇権と米西戦争[桜H23/12/7]
http://www.youtube.com/watch?v=AWQy2-VvyVE&feature=youtube_gdata


 今日はいろんなところで、巨獣に阿る利口な人々が、あの戦争に関する様々なことを言ったり、書いたりしているだろう。
 そして、大抵は、あの戦争の反省をその趣旨にしているはずだ。

 たとえ多くの史料が証拠として、そこに組み込まれていたとしても、巨獣に阿る心根を取り除くことが出来なければ、歴史の真実に近づくことはできまい。巨獣に阿る心根は、敗戦という悲劇的必然に対する民衆の復讐、つまり怨みと表裏一体のものである。「怨望」を人間交際を害する「衆悪の母」としたのは福沢諭吉であった。

 反省がその怨望と表裏一体のものならば、当然、真の反省とは程遠いものとなろう。

 大東亜戦争開戦の主旨を表した、古格な名文「開戦の詔書」などは、戦後教育に慣れ親しんだものには、ほとんど理解不能なものではあるまいか。巨獣に奉仕する人々にとっては、反発か、無視を決め込む以外に対しようのないものではあるまいか。 

 こういった歴史史料に対して取るべき態度を、小林秀雄の比喩から引用しよう。 

「例えば、岩に刻まれた意味不明の碑文でも現れたら、これに対し、誰でも見るともなく、読むともない態度を取らざるを得まい。見えているのは岩ではなく、精神の印しに違いない。だが、印しは読めない。だが、又、読む事を私達に要求している事は確かである。言葉は日常の使用を脱し、私達から離れて生きる存在となり、私達に謎をかけて来る物となる。」(『考えるヒント2』所収「弁名」)


 開戦の詔書を、歴史に刻まれた意味不明の碑文として、じっくり、素直に読んでみれば、あの戦争に起ち上がった理由が、日本伝統の国際主義に基づくものであり、それが生きていくためには、障害となっている西洋のインターナショナリズムを粉砕するほかないという、ギリギリのところまで追い詰められたことにあった、ということが読み取れるはずである。もちろん、より多様なものが読み取れるだろう。


 エジプトのスフィンクスは、今我々が見れるような形で、その姿を現してはいなかった。長い年月にわたって砂漠の中に頭だけを出していたのである。その前に立つ、武士一行の写真を見たことがある。(http://pds.exblog.jp/pds/1/200510/15/36/d0065236_10275086.jpg)写っているのは幕末の幕府使節団だ。

 現在のスフィンクスの姿を見、科学的調査に基づいて、我々はスフィンクスを知った気になっているが、それは風雨にさらされ、砂嵐で埋もれたスフィンクスを掘り起こした人々がいたからである。
 しかし、それでも、スフィンクスを建造した人々が、なぜそのようなものを創ったのか、その理由はいまだ不明である。
 ある説によれば、作られた当初の頭部は、獅子の顔をしていたという。天文考古学によれば、1万年前の春分・秋分の日の夜明けには、歳差運動により、今と違って、その獅子像の視線の先の地平線に、獅子座が姿を現したという。
 だが碑文でもない限り、これらの説が作成者の意図を正確に裏付けているかどうか判定することは出来ない。
  
 あの戦争における史料には、歴史に刻まれた碑文の如き性格があるといえよう。戦争に前後して、煥発された詔書はその最たるものだ。七十年前に刻まれた文字はまだ新しく、努力すれば碑文の判読は難しくない。

 巨獣に奉仕する民衆の正義は、巨獣が握っている。
 碑文は、その相対的正義という風雨にさらされ、埋もれ、文字の判読は難しくなっていく。吹き荒れる風雨を冒して、埋もれていく碑文を掘り起こそうという人々は、巨獣の足に踏み潰される危険を冒さなければならない。
 しかし、巨獣という盛者は必衰の理である。
 風雨は常に吹くものではない。
 嵐の前の今ならば、心静かに観ずることで、碑文に印された、精神の印しは見えてくるかも知れない。


 詔書

 天佑(てんゆう)を保有し、萬世一系の皇祚(こうそ)を踐(ふ)める大日本帝国天皇は昭(あきらか)に忠誠勇武なる汝(なんじ)有衆に示す。

 朕(ちん)、茲(ここ)に米国及英国に対して戦を宣す。朕が陸海将兵は全力を奮て交戦に従事し、朕が百僚有司は 励精職務を奉行し、朕が衆庶は各々其の本分を尽し、億兆一心国家の総力を挙げて、征戦の目的を達成するに遺算なからむことを期せよ。

 抑々(そもそも)東亜の安定を確保し、以て世界の平和に寄与するは丕顕(ひけん・・・大いに明らかなる徳を有すること)なる皇祖、考丕承(こうひしょう・・・考えを大いに承けること)なる皇考の作述せる遠猷(えんゆう・・・遠いはかりごと)にして、朕が挙々(けんけん)措かざる所、而(しこう)して列国との交誼を篤くし、万邦共栄の楽を偕(とも)にするは、之亦(これまた)帝国が常に国交の要義と為す所なり。今や不幸にして米英両国と釁端(きんたん)を開くに至る、洵(まこと)に巳むを得ざるものあり。豈(あに)朕が志ならむや。

 中華民国政府(…国民党)、曩(さき)に帝国の真意を解せず、濫(みだり)に事を構へて東亜の平和を攪乱し、遂に帝国をして 干戈(かんか)を執るに至らしめ、茲に四年有余を経たり。幸に国民政府更新するあり(…汪兆銘の南京政府のことを指す)。帝国は之と善隣の誼(よしみ)を結び、相提携するに至れるも、重慶に残存する政権は、米英の庇蔭(ひいん)を恃(たの)みて、兄弟尚未だ牆(かき)に相鬩(あいせめ)く(…『詩経』の言葉)を悛(あらた)めず。

 米英両国は、残存政権を支援して東亜の禍乱を助長し、平和の美名に匿れて、東洋制覇の非望を逞(たくまし)うせむとす。剰(あまつさ)へ与国を誘ひ、帝国の周辺に於て武備を増強して我に挑戦し、更に帝国の平和的通商に有らゆる妨害を与へ、遂に経済断交を敢てし、帝国の生存に重大なる脅威を加ふ。朕は政府をして事態を平和の裡に回復せしめんとし、隠忍久しきに彌(わた)りたるも、彼は毫(ごう)も交譲の精神なく、徒(いたずら)に時局の解決を遷延せしめて、此の間却つて益々経済上軍事上の脅威を増大し、以て我を屈従せしめむとす。

 斯(かく)の如くにして推移せむか、東亜安定に関する帝国積年の努力は、悉く水泡に帰し、帝国の存立亦(また)正に危殆(きたい)に瀕(ひん)せり。事既に此に至る。帝国は今や自存自衛の為、蹶然(けつぜん)起つて一切の障礙(しょうがい)を破砕するの外なきなり。

 皇祖皇宗の神霊上(かみ)に在り。朕は汝有衆の忠誠勇武に信倚(しんい)し、祖宗の遺業を恢弘(かいこう)し、速に禍根を芟除(せんじょ)して、東亜永遠の平和を確立し、以て帝国の光栄を保全せむことを期す。

御 名 御 璽

昭和十六年十二月八日

各国務大臣副書 

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