正心誠意

野田佳彦首相が所信表明演説で使用した「正心誠意」という四字熟語について、シナ哲学の泰斗・加地伸行氏が次のように書いている。

(記事転載開始)

産経新聞
2011/09/30

【正論】立命館大学教授・加地伸行 「正心誠意」を海舟作とした浅学


 琴奨菊が大関に昇進した。日本人の大関、久しぶりである。

 その決定の前日、彼が受諾するときの挨拶において、どういう成句を使うのか、と報道関係者が問うているシーンをテレビのニュース番組で見た。

 横綱や大関という高位に即(つ)くとき、その覚悟を示すのに、何か名句を使って応諾するのが慣例となっているらしい。

 それなら、そのことばは当日に聞けばすむものを、前日に聞いておこうというのは、もし意味が分からないと困るので、前日に聞いておいて下調べしようという魂胆か。自信のなさである。

 ≪実は『大学』の有名なことば≫

 ところが、なんと琴奨菊はあっけらかんと「ここから取ります」と言って、表紙に『四字熟語』と大書した本を見せた。

 おみごと。私は琴奨菊の正直さに好感を抱いた。これに反して、もし安物の政治家や知識人どもであると、秘(ひそ)かに『四字熟語』級の安物の実用書をめくってめくって何か探し当て、いつも心がけていると言わんばかりに「座右の銘」と重々しく述べるところである。

 その典型が野田佳彦首相の所信表明演説の中にあった。すなわち「正心誠意」ということばだ。

 伝えられるところではこうである。原稿では「誠心誠意」であったのを、「正心」のほうがいいと言って自ら修正したという。

 なぜそうしたのかと言えば、「正心誠意」は勝海舟の『氷川清話』の中にあり、歴史小説ファンの首相は、勝海舟が政治の要諦として語った「正心誠意」を取ったのだと諸報道は伝えている。おそらく所信表明演説下書きに関わった首相周辺からの説明であろう。

 驚いた、私は。「正心誠意」ということばは、現代でもすこし漢文を学んだ者ならば、まして江戸・明治期ならば5歳の幼児でも知っていることばである。

 すなわち、「正心誠意」は、四書の一つである『大学』のはじめあたりに出てくる超有名なことばなのである。

 勝海舟はそれを引いたまで。そのころの人は「正心誠意」ということばを知っていたので、勝はわざわざ「『大学』に曰(いわ)く」などと出典を示す必要はなかった。読む側も「ああ、『大学』のことばね」と思いながら読んだのである。

 ≪官邸の教養望むべくもなし?≫

 ところが、近ごろは『大学』など知らないので、勝海舟のことば、ああそうですかとなり、報道陣の一部は、財務事務次官が勝海舟の子孫なので、次官につまりは財務省に迎合、などとあらぬ妄想を逞(たくま)しくしたりしている。

 いや、もっとだめなのは、首相を支えるべき複数の秘書官たちである。「正心誠意」が「誠心誠意」と俗化されたことを知らなかったのは許されるとしても、「正心誠意」を所信表明において使う以上、その意味をしっかりと調べるべきであっただろう。

 いやいや、首相秘書官という高官となるような人は、すこしは古典の教養があるべきであろう。次官を経て首相となった岸信介はいい漢詩を作っている。内閣書記官長だった迫水久常に至っては、みごとな漢文を書いている。

 しかし、もうそういうことは望むべくもない。中国古典の入門書中の入門書、『大学』すら読み学んだことのない連中が、政権や役所を担当しているのである。もちろん、野田首相も『大学』を読んではいない。本当に読んでいたのならば、勝海舟のことばという誤伝を必ず訂正させたはずである。

 ≪野田氏も基本から学び直せ≫

 では、『大学』とは何なのか。

 儒教古典は大量なので、ここが分かればいいということで、四書が選び出された。『礼記』という古典から大学篇・中庸篇を抜き出し、『論語』『孟子』と併せて四書とした。学庸論孟とも略称し、この四篇の学習を必修とした。日本で言えば、平安時代のころである。

 『大学』は政治の目的を「道徳的社会を作ること」とした。そこに至るためには、八項目(八条目)を連関づけながらしっかりと究めることとした。順を追って言えば、こうである。

 国を治めようと思えば、まず家を斉(ととの)えよ。家を斉えようと思えば、身を修めよ。身を修めようと思えば、心を正せ。心を正そうと思えば、意思を誠実にせよ。意思を誠実にしようと思えば、知識を磨け。知識を磨くには、物の道理を感得せよ、と。

 皆さん御承知の「治国・斉家・修身・正心・誠意・致知・格物」である。この「治国」の上が「天下平らか」。この「平天下」と併せて八条目。

 国際社会(天下)に貢献しようと思えば日本国をきちんと治めよ(治国)。そのためには民主党内を秩序づけよ(斉家)。そのためには内閣に疑惑ある者(例えば山岡賢次氏)を入れるな(修身)。となって、そこから「正心誠意」が始まるのである。「正心誠意」だけを突出させても、それは『大学』の趣旨ではない。首相はもっとしっかり基本から学び直せ。(かじ のぶゆき)


(記事転載終了)

 
 そうか、「正心誠意」の出典は『大学』だったか。
 『大学』『西郷南洲伝』を書くにあたってよく読み、八条目もよく知っていたが、野田氏の「正心誠意」という言葉を聞いても、全く思い当たらなかった。
 そもそも勝海舟の『氷川清話』も青年期に何度も読み返した愛読書で、今でもたまに読み返したくなる本であるが、野田氏の発言から、これも思い当たる事がなかった。

 なぜだろう。

 それは野田首相にそのような古典的な思想背景が一切感じられないからだ。
 一応、保守を装ってはいるが、その背後に伝統精神の継承が一切感じられないのである。
 そもそも伝統を継承している限り、民主党に籍を置くことは深刻な葛藤を抱え込む事である。そうである以上は、まともな精神(あえて言うなら正心誠意)はどこかで居ても立ってもいられなくなったはずだ。
 にもかかわらず、民主党という汚泥に泥みながらここまで出世してきた上に、改めて、年来の政治信条を弊履のように捨て去り、敢えて、どじょうとなってその泥を飲みつくす、と天下に公言した首相に伝統を感じられないのは当然の事だろう。

 民主党初の首相・鳩山由紀夫氏は維新内閣と言った。
 今振り返ってみれば、へそで茶を沸かすような発言だが、深刻な国政の危機を招いたのだから笑いごとではない。
 その鳩の傀儡子で、汚職疑惑にまみれた、こわもてのどじょう・小沢一郎氏は、西郷南洲翁の「敬天愛人」を座右の銘としながら、それを葬った大久保利通の果断に魅せられた三流模倣者であるから、これも同じ穴の狢だろう。。
 次の菅首相は自らを高杉晋作に準え、自身の内閣を「奇兵隊」内閣と称したが、その実質は、朝鮮半島の傀儡にして、エージェントであった。つまり、半島の奇兵であった。お遍路などで許される罪ではない。

 外国の内政干渉は、維新の指導者の断固拒否したところである。
 野田氏はこの菅政権で財務大臣の地位にあったのであり、彼が首相になったところで、過去の保守的発言を政治行動に生かしえないのは初めからわかりきった事だ。
 そもそも表向きの発言はともかく、彼の過去の言動に伝統精神を看取できなかったとしてもこれは無理からぬであろう。
 しかし、それは看取できなかったのではない。
 おそらく、ないのである。
 

 今、『氷川清話』を調べてみると、ここでは「誠心正意」となっていて、『大学』「八条目」の言葉とは「誠」と「正」が入れ替わっている。
 もっとも、これは勝の口述を記録したものが元になっているから、勝自身は「せいしんせいい」と筆記者に音で述べたのであって、『大学』「八条目」が出典である事は間違いないだろう。
  
 勝海舟は『氷川清話』に見られる江戸っ子の啖呵と放言で誤解されがちだが、幕末期から維新期にかけての言動を追いかけていくと、幕臣の身ででりながら、まさしく四書の精神に則って、「正心誠意」日本のために尽くした、維新の精神を体現する人物であった。

 保守の言論人・江藤淳は、歴史学者・松浦玲と共に、「勝海舟全集」の編纂に当たり、政治家としての勝海舟を大変高く評価したが、勝の言動に彼らの政治観を読み込みすぎて、四書の思想的影響をかなり排除しようとしているようである。
 これは彼らが、勝の口述を筆記し、『氷川清話』を編纂した陽明学者・吉本襄(のぼる)の改竄に対して強い憤りを感じていたからであろう。
 しかし、それも行過ぎれば、図らずも、自らが新たな改竄を為していることになりかねないのである。

 加地氏の論旨に基本的には賛成なのだが、江藤氏に見られるように(彼の『海舟余波 わが読史余滴』を読めば明らかだ)、保守論壇においてでさえ、朱子学、延いては儒学的な思想に対する拒絶反応は強いのであって、確かに江戸期から明治の初期にかけては、「正心誠意」という言葉は、五歳の幼児でも知っていたであろうが、今となっては超有名な言葉ということはないであろう。
 加地氏は言葉の綾でそう言ったのかも知れないが、現にほとんどの人が首相の所信表明演説にあった「正心誠意」という言葉の出典などに気付いてはいないのである。
 超有名どころの話ではない。

 逆に、民主党の歴代首相が自己の政権を維新に準えてきたところから見て、野田氏が『氷川清話』からこの言葉を取ってきたというのは正しいであろう。党内融和を図る首相は、この政権も維新政権ですよ、政権交代以来の革命政策はこのまま継続しますよ、とのメッセージを派閥の領袖に伝えるために、敢えて、維新の立役者の一人・勝海舟の『氷川清話』から言葉を択んだ、とのリークをしたのかもしれない。
 しかし、大方の日本人としての常識(=やまとごころ)を持つ人々は、『大学』は読んだことがなくとも、また『氷川清話』は読んだことがなくとも、そこに漂う嘘臭さを嗅ぎ取ったはずだ。

 わが国には儒学受容の長い歴史がある。
 朱子学なら鎌倉時代以来だ。鎌倉末期の「建武の中興」はこの思想の強い影響を受けている。
 儒学なら聖徳太子の「十七条憲法」にその影響が確実に見られるし、伝承によれば応神天皇の御世の『論語』の渡来に始まる。
 特に江戸期はそれが庶民にまで広がり、その成果として明治維新があった。
 その思想的影響下での日本人の経験がすでに、この「正心誠意」という言葉の語感に含まれており、その事が、野田氏の発言に嘘臭さを感じさせるのである。
 「正心誠意」という言葉、それ自体はすでに日本語となっているのである。

 シナの古典を学ぶ事の重要性は、私もそれを説くところではあるが、それはあくまでもこの日本語の語感を、先人の経験を含んだこの言葉の精神を、さらに屹立せしめる意図においてで十分だと思っている。

 
 勝が「正心誠意」という言葉を吉本に語る際、その言葉の出典を述べなかったのは、加地氏が言うように、読者が当時の常識として、この言葉の出典を知っていたからではなかったであろう。
 聞き手の陽明学者・吉本には自明のことであったから、ということもあったに違いないが、私はむしろ、勝がここで自分の思想を表現するのにもっともふさわしい言葉と思ったからこそ、「正心誠意」という言葉を持ってきたのだと思う。
 つまり、勝の体温が余りにもこもった、幕末から維新期を果敢に生き抜いてきた彼のそれまでの人生の重みがかかった言葉だということである。

 もちろん、その言葉の出典は『大学』には違いないのだが、若い頃から四書の思想を柱に、自己の武士道を陶冶し、それを人生に応用して、幕末から明治という激動の時代を生ききった勝が、「正心誠意」と言ったとき、その四文字にはその経験のすべてが含まれていたはずなのである。
 これはこの『氷川清話』を熟読玩味してみればわかる事だ。

 彼は決して学者ではなかった。
 どこまでも日本的な英雄であったと言っていいだろう。
 彼が、四書でも禅でも何でもいいが、それを、武士道に、皇室に結びつけ、日本の歴史に適用して生まれた彼固有の思想こそが我々にとっての最大の遺産だと思われるのである。

 加地氏は、首相のスタッフにシナ古典の教養が必要だと言う。
 しかし、古典を読んで何も理解しない人も居るし、ただの知識で終わってそこから何も吸収しない人も居る。
 無論、読書経験はないよりあるに越したことはないが、「正心誠意」という言葉を知っているか、出典を知っているか、という教養などは本質的にはどうでもよく、要は、首相に正心誠意があるかないか、そこにかかっていると思われる。
 野田首相が問題なのは、「正心誠意」を自己の政治信条として宣言したにもかかわらず、肝心の正心誠意がどこにも感じられない、その事にあるのである。


 勝海舟に限らず、維新の指導者の精神を陶冶したのは、当時の武士道に重きをなした四書の精神であった。
 討幕の密勅降下に大きな役割を果した、明治天皇の外祖父・中山忠能の日記には確かに「正心誠意」との題字が添えられていたし、勝が、天下に恐るべきものを二人見た、と絶賛した横井小楠も、西郷南洲翁もまた、四書をその学問の柱としていたのである。

 特に南洲翁の学問は二度の遠島時に格段の深化を遂げたのであるが、二度目の沖永良部島への遠島時には、島の子供たちへ行った、上記『大学』「八条目」の根源となっている「三綱領」に関する講義が文書の形で残されている。

 「三綱領」とは『大学』の冒頭にある次の言葉を指す。

「大学の道は、明徳を明らかにするに在り、民を親しましむるに在り、至善に止まるに在り。」

 朱子の『大学章句』では「親民」が「新民」となっていて、南洲翁の講義はこれに依っているのであるが、これが翁の王政復古維新運動の綱領ともなっていることは、この講義を読み、その上で、島からの召還後の活動を見ていけば判然としてくる。
 大学の道とは、まず仁義礼智信の明徳を、欲に惑わされることなく、明らかにし、次にこれを人々に及ぼす(新民)。
 それが行き届いた状態を至善に止まると言う。
 要は、この仁義礼智信の至善に止まることを目指すのが維新運動なのである。
 翁の幕末から明治の初期にかけての言動はこれが綱領となっている。


 ここで、野田首相が引用した勝海舟の肝心の言葉を含む談話を引用しておこう。


「陸奥さん(陸奥宗光、当時外相)は、条約改正難事にあらずと申さるる由、あの方も利口なる方なれば、左様かも知れず。
 外交の極意は誠心正意にあるのだ。誤魔化しなどをやりかけると、かえって向うから、こちらの弱点を見抜かれるものだヨ。
 維新前に岩瀬、川路の諸氏が、米国と条約を結ぶ時などは、五洲の形勢が、諸氏の胸中によくわかって居たというわけではなく、ただ知った事を知ったとして、知らぬ事を知らぬとし、誠心正意でもって、国家のために譲られないことは一歩も譲らず、折れ合うべきことは、なるべく円滑に折れ合うたものだから、米国公使もつまり、その誠意に感じて、後に向うから気の毒になり、相欺くに忍びないようになったのサ。」



 「知った事を知ったとして、知らぬ事を知らぬとし」というのは『論語』の言葉「これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為す、これ知るなり。」から来ている。
 つまり外交とは知の仕事であり、これを正心誠意で押し通すことだというのである。

 これを明治六年の対清外交で実践し、大いなる成功を収めたのが当時外務卿の副島種臣だった。遺訓に見られる南洲翁の外交論も同じ思想的基盤を持つものだったといえよう。彼らは征韓論破裂によって政府主流からは外されてしまった。

 ならば、野田首相はこの王道外交に立ち返るつもりかといえばそんなつもりは一切ない。
 彼は、首相就任までの発言を見る限り、東京裁判に由来する自虐史観の過ち、戦前の日本の正当性を知っている。
 しかし、それを為そうとはしない。
 靖国にも、総合的に判断して参拝しないと明言している。
 所信表明からしてすでに支離滅裂なのだ。

 野田氏はむしろ勝が批判した利口なる方の部類なのである。

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