今後の活動について

 今後の活動について書きたい。

 このブログをこれまでお読みいただいてきた方はすでにご承知のことと思うが、今後の活動としてとりあえず考えていることは、「国體論」を書いていくことである。
 しかし、「国體論」は日本人としての自己を深く探って、強く引き出す行為に他ならない。少しづつこのブログでも書いてきたが、なかなか片手間でできるものでないことを痛感させられている。


 哲学者の長谷川三千子氏は名著『からごころ』の中で、「いま世に流行りの『日本人論』」「いずれも何処か呑気な隠居仕事の趣きをもつ」と言っているが、戦後のパラダイムの中で語られてきた「日本人論」に関しては確かにその通りだっただろう。
 彼らが軒並み「日本人論」として扱って、決して「国體論」という言葉を使わないのも、それはこの国を想うことが、どこか他人事で、深切なものがないからだ。旧戦勝国によって作られた戦後のパラダイムの中で考えている。
 そういった他人の眼で眺める仕事が、どこか呑気で、隠居仕事の趣きを持たざるを得ないのも当然なことだ。

 南洲翁は「理に当たりて後進み、勢を審らかにして後動く」と、その王政復古維新という日本文明再生事業における姿勢を述べているが、「国體論」とはその理、公理・公論の土台となるものだろう。
 日本というものを深く探って強く引き出すことで、幕末の指導者たちに国體観を用意したのは、江戸期の儒学や国学という学問の伝統であった。

 人間天然の思惟の働きである、思・慮・謀の螺旋運動はそういった価値判断の上に行われた。イデオロギーはそういった人間天然の思惟の働きを阻害するものであるから、一つの観念体系に基づいた改革は、決して文明を再生させはしないのである。


 書くとはすなわち一種の行動である。
 徳富蘇峰のような文章報国という命懸けの生き方もある。
 蘇峰は日露戦争終結の講和に関して自己が公論と信ずるところを主張し、勝利に酔う大衆の焼き討ちに遭ったが、文字通り体を張ってその言論を守ったのである。
 その後半生は、さまざまな不幸に襲われながらも、『近世日本国民史』百巻という、織田信長の登場以来の明治日本までの歴史の叙述を通じて(老齢により、明治十年の西南戦争、および翌年の大久保利通の遭難で筆を折らざるを得なかったが)、ある意味、史実を以て国體を明らかにすることに捧げられたのである。


 『国體論』とはその人の生き方でもある以上、私の言う「今後の活動」とは、物事の理に当たって書くという行為に限らず、勢いを審らかにして、そこからどのように発展・展開していくか、予測のつきかねるものである。
 この道に既成の未来地図は存在しないのだ。
 歴史という羅針盤を頼りに、勇気を出して一歩一歩踏み出していくほかない。


 勝海舟の談話によれば、南洲翁は常に「人間一人前の仕事というものは高が知れる」と言っていたという。

 その高が知れている人間一人前の仕事が集まって、日本文明再生の大業を成すには、命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ、そういった境地に達した、あるいは、そういう境地に達しようと思う人々が集り、心を一つにして艱難を克服していかなければ決して成らない。

 南洲翁はそう考えた。

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。されども、かようの人は凡俗の眼には見得られぬぞ」 

 南洲翁遺訓三十条にある余りに有名な言葉である。

 南洲翁のこの言葉を聞いた庄内藩士は、すかさず『孟子』の言葉を連想し、

『孟子』に「天下の広居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行う。志を得れば民とこれに由り、志を得ざればひとりその道を行う。富貴も淫すること能わず、貧賤も移すこと能わず、威武も屈すること能わず」とありますが、今仰せられたような人物でしょうか

と問い質した。

すると翁は

いかにもその通り、道に立ちたる人ならでは彼の気象は出ぬなり。

と答えたという。


 志を得れば、民とこれに由る。
 
 
 南洲翁は薩摩藩士として島津の殿様から禄を受けながら、維新後は朝廷から下された章典禄などによって天下の大道を行ったが、これは民に由っている。義戦である西南戦争は、鹿児島県庁や有志からの支援によって戦われた。


 以前、ある方のコメントに対して次のような返答をしたことがある。


「人間社会というのは色々な要素、人間で成り立っていますから、いろいろな見方ができるのは当然のことと思います。ですから、いろんな論が成り立つことはよくわかります。

 要は、着眼点の違いでしょうが、これは自己の立ち位置など様々な要素によって変わってくるものでしょう。受けた教育や育った環境、時代のパラダイムの影響度などなど。年齢によっても変わってくるでしょう。

 私はよく日本の国體のことについて考えていますが、自分一己はその一部であり、細胞のようなものと考えております。その一細胞は、體がしっかりしているからこそ、活発で有益な活動が出来る。
 その逆ではありません。

 もちろん人体には有害な細胞(たとえばがん細胞)や、成分もあって、これらと共存していかなければなりません。
 しかし、これらが猛威を振るって人体そのものを危機に貶めるとしたら、これと戦うのが生命体としての健全な反応かと存じます。」



 健全な肉體は、各器官、各細胞がそれぞれの分を尽くすことによって保たれる。負傷したり、病んだりして、衰弱した體を回復させるには、強力な外科手術や薬剤の外部からの投与を必要とする場合もあるが、それも、これらに耐えられる生命力、體力があってこその再生である。
 この生命力、體力があるということは、體の各器官、各細胞がそれでも正常な働きを成すということだ。

 そして、その人體の器官、あるいは、それを構成する細胞もまた、人體が外部から摂取し、體内を駆け巡っている養分によって、各々が分に応じた働きを成すのである。


 孔夫子は

「君子は道を謀りて、食を謀らず。耕して餒(う)えその中(うち)に在り。学べば禄その中に在り。君子は道を憂えて貧しきを憂えず。」(「衛霊公」)

と言ったが、禄とは公の費であり、要は民の収める血税のことである。

 
 また孔夫子は「束脩を行うより以上は、吾未だ嘗て誨(おし)うること無くんばあらず」と言っている。
 束脩とは、一束の乾し肉のことであるが、礼で定められた、入門のときに持参する進物のことである。
 もちろん師表としての十分な資格が私にあるとも思っていないが、私の書くことに、あるいは書くという行為に何か学ぶところがあるなら、自発的な協力を求めるのも筋違いではないだろう。

 そもそも書くという行為自体が、読者を想定してのものである以上、そういった読者の協力を得て始めて、行為は完結する。
 それが後世の読者を宛てに行われる場合にしてもだ。

 もちろん自分はこの拙い文章を、顔も知らぬ不特定の読者に向けて書いている。
 しかし、理解を、共感を求めている以上は、そこに理想的読者を思い描いていることになる。そして、その理想的読者が具体的な顔を持たぬ以上は、その第一の理想的読者とは自分なのである。
 そして、それが日本語で、日本人の立場で書かれている以上は、同じ感性を持つ人がきっといるはずとの、健全なる日本人に対する信頼感が本となっている。
 その本とは、伝統的な意味合いでの「やまとごころ」であるし、日本人としての健全な「常識」といっていいし、「良知」といっていい。


 さて、先ほどの孟子の言葉に戻ると、自分は路傍の石ころ、一己の草莽に過ぎず、正位に立っていないから、もちろん税で公の事を行う立場にはない。
 が、理解者の自発的協力を得て、公のことを為すのは道に適っているし、またそうでなければ成すことは出来ないであろう。
 今後の活動は、読者、有志の協力のもと進めて行きたいと思う。

 
 ここに言う協力とは経済的なものに限らぬ自発的行動全般を指すが、研究、会誌の発行、やがては論考の出版なども視野に入れているので、ひとまず必要なのは経済的な支援である。また知的協力である。
 少しでもそれに専念できる環境を作って行きたい。

 ブログにはブログの長所もあり、記事は書き続けていくつもりだが、国體論に関する本論については、会誌という形でお読みいただこうと考えている。 

 どのような形で御支援いただくか考えがまとまっているわけではないが、ひとまず、西郷南洲顕彰会が行っているように、期間を区切って自発的に会費を納めていただき、十分な内容の論文がある程度たまったところで会誌のような形でお読みいただく、というのを考えている。
 当然不定期にならざるを得ないと思うが、有志の方の優れた意見や論文、後進の優れた論考もあれば掲載していけるようにしていきたい。
 そして、ここから公論を世に発信し、輿論にまで高めていければと思う。

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