似非愛国者・河本大作 (その一)

 前回、昭和天皇が田中義一首相の上奏に際し、食言を責めた上で、辞職を促し、田中首相の弁明を拒絶されたことを批判した。
 確かに、張作霖の暗殺が河本大作単独の犯行によるものだったのなら、弁明をお聴きになろうがなるまいが、結果は同じだったろう。

 しかし、結果が同じであっても、やはり首相が弁明の機会を求めている以上は、拝謁をお認めになるべきであった。
 そもそも公論を聞こし召すことには、幕末の政争に対する反省が含まれており、明治維新以来の議会政治の基本だったのである。

 実際の所、昭和天皇が独白録でご洞察されているように、この態度が将来に禍根を残した。


 田中内閣は右のような事情で倒れたのであるが、田中にも同情者がある。久原房之助などが、重臣「ブロック」と云う言葉を作り出し、内閣の倒(こ)けたは重臣達、宮中の陰謀だと触れ歩くに至った。
 かくして作り出された重臣「ブロック」とか宮中の陰謀とか云う、いやな言葉や、これを間(真)に受けて恨を含む一種の空気が、かもし出された事は、後々迄大きな災を残した。かの二・二六事件もこの影響を受けた点が尠(すくな)くないのである。



 昭和天皇の若気は幕末と同じ轍を踏むに至らしめ、内政の危機を惹起する一因にもなったのである。



 田中首相の上奏は、その趣旨から公表が憚れるものであったとは言え、一応は帝国議会での質疑応答を経ている。
 ならば、その憚られる部分については、昭和天皇ご本人が不審な点についてつぶさに質す必要があっただろう。
 そうでなければ適切に裁可を下すことが出来ないはずだ。
 
 昭和天皇は終生河本単独犯行説を信じておられた。
 しかし、それは最初の上奏で、田中義一首相自身がそう断言したか、あるいは、白川陸相が二月二六日の上奏でそう言っているからである。

 ところが時間の経過とともに内閣はこれを覆した。
 不審感を抱かれるのは当然である。
 しかし、これを食言と断定してはならないはずだ。
 というのは、調査の進行によって、結論が変わったということだってありうるからだ。


 秦郁彦氏の論文「張作霖爆殺事件」は自ら検証することもなく河本単独犯行説に立っているから、史料の引用が不十分だが、その不十分な史料の中だけでも田中義一首相の態度そのものは一貫している。
 首相が最初の拝謁時に河本大作の名を挙げたかどうかは引用史料からは確定できないが、少なくとも、事件を調査の上、犯人を厳重処罰すると言明したのは確かである。
 これが天皇への忠義心からくるものであったのは既に見たところだ。

 陸軍の調査結果がどのようであったか、この論文からはわからないが、三月二十七日の陸相による中間報告では次のようになっていたという。

 繰り返しになるが秦氏の論文から引用する。


「矢張関東軍参謀河本大佐が単独の発意にて、その計画の下に少数の人員を使用して行いしもの」と犯人を特定したが、処罰については「処分を致したく存ずるも、今後この事件の扱い上、その内容を外部に暴露することになれば、国家に不利の影響を及ぼすこと大なる虞(おそれ)あるを以て、この不利を惹起せぬよう深く考慮を致し充分軍紀を正すことに取計いたく存ず(後略)」とまわりくどい論法でぼかしている。


「矢張(やはり)」ということは以前の内奏でも容疑者として河本の名を挙げていたということだが、ここではそれを特定し、しかしながら国益の観点から、犯人の公表は避けたい、と陸相は言っているのである。
 現在の感覚からも十分理解できる内容だ。
 別にまわりくどい論法ではないが、ぼかしているのは河本の処罰についてである。

 ところが、これだけはっきりと特定した犯人を、二ケ月足らず後の五月二十一日付けの陸軍報告では「関東軍は爆殺に無関係」と白紙に戻している。
 この陸軍報告を受け入れ、首相は参内し、最終報告を行ったのは六月二十七日の事である。

 その最終報告を秦氏はこう書く。

 まず、爆破の真相は不明と結論を示すが、それだけでは心苦しかったのか、各論風に「我軍部又は軍人に於いてもこれに関与したる証跡」はなく、かといって「支那人の側にも在留邦人の側にも何ら証跡を得ずとのことで、御座ります」と補足したので、犯人はいません、自爆でしょうともとれる言い回しになってしまった。
 おまけに一度は犯人と指名した河本大佐を、「独断で陸橋下に支那国憲兵の配置を許容した」陸軍の調査結果に沿ってという、訳のわからぬ理由で行政処分に付し、爆破のとばっちりで保護すべき満鉄線を破壊された責任者にはすでに懲罰を加えました、と言わずもがなの事柄まで付け足してある。


 これも原典を読んで見なければわからないが、秦氏の解説部分を流しておいて、上奏文案に絞って読むと、河本の犯行と断定するには証拠不十分であった、しかし明らかに過失はあったので、その点に関しては既に処分した、という風に読める。

 もし、これが嘘で誤魔化しがあったのなら、なぜ在留邦人や支那人の側にも証左がなかったと、ある意味正直に述べているのだろうか。
 苦し紛れなら、彼らに責任転嫁してもおかしくはなかっただろう。

 秦氏がそう読み込んだような「犯人はいません、自爆でしょうともとれる言い回し」よりも、犯人が他にいることを示唆する言い回しにしたほうが、ゴマカシとしてはよっぽど筋が通っている。
 秦氏的には、田中内閣は出鱈目ゴマカシ内閣だったようだし、関東軍はあくどい陰謀ばかり張り巡らしていたようだから、証拠の捏造など陸軍には朝飯前だったはずだ。

 ところが実際の上奏は、秦氏の言い回しに倣えば、天皇が「ばかにするな」と怒り出しそうな「拙劣な嘘で塗り固めた筋書」の内容であった。

 ここで考えられるのは、本当に田中首相が迂闊で、天皇を馬鹿にしていたか、それとも秦氏が迂闊で、田中首相を、延いては戦前の日本の指導者(特に陸軍関係)を馬鹿にしているか、のどちらかである。

 並外れた誠意は利口者には馬鹿に見えるものだ。
 それは愚直という言葉があることでもわかる。
 大賢は愚に似たり、という言葉もある。

 少なくとも田中首相は昭和天皇の厳命を一身に請け負った。
 「独断内奏」と非難され、孤立したのはそれゆえにである。 

 もし、最終的に首相が受け入れた、その調査結果に嘘がなかったとしたら…。


 ここで河本大作本人に焦点を当ててみる。



《「張作霖爆殺事件の真相 (その五)」 終わり》

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