張作霖爆殺事件の真相 (その一)

 二〇〇八年の印象深かった事件の一つに田母神航空幕僚長の更迭事件があった。
 その原因となったのが、いわゆる田母神論文である。
 
 当時は自民・公明連立政権時代で、保守と期待された麻生太郎首相が、この保守のまっとうな論文を擁護しなかったことで、自民党は保守の支持を失わざるを得なかった。
 自虐史観にうんざりしつつある、どちらかといえば保守的な多くの庶民の支持を得られなくなった麻生内閣は、支持率の更なる低迷にあえぐことになり、結果、解散総選挙で、民主党に政権を明け渡すことになったわけだから、保守を看板とする自民党政権の試金石となった事件であったといっていいだろう。
 この事件で、自民党は腐っても鯛ではなく、鯖の生き腐れであることが白日の下にさらされたのである。

 ともかく何事も国家の根幹に関わる重要問題を先送りにしてきた、意思決定能力の衰退した自民党が、即時に更迭を決断したことは、表向きの理屈はどうであれ、不可解であり、異様な光景であった。

 いま思えば、中国での布教活動に熱心な公明党との連立がそうさせた面もあったものと思われるが、それも含めて、中国の日本間接侵略計画である「日本解放第二期工作要綱」がほぼ完成の域に達していることを暗示している事件であった。

 日中の近現代史は、中国共産党にとって、どうしても日本が悪かったということにしておかなければならない、統治の正当性に関わる重要問題である。
 彼らが天下を取るまでに行った悪事はどうしても隠しておかなければならないのだ。


 いわゆる田母神論文の正式な題名は「日本は侵略国家であったのか」で、自虐史観に対する問題提議であり、日本の近現代史に対する再検証をその内容としている。

 その中の重要なテーマの一つが、中国共産党を含むコミンテルンの暗躍という問題である。
 これは中国共産党の党是に抵触する。日本軍国主義と戦い、これを撃退したという、中華人民共和国建国神話の虚偽に抵触する。
 日本悪玉史観を支持する左翼にとってもこれは看過できない内容だ。

 しかも、それが現役の航空自衛隊の幕僚長から発せられたわけだから、これはなんとしても封印し、国民の目から隠さなければならなかった。

 そこで中国共産党の走狗にして、猿の妖怪たちが一斉に動き出して、麻生内閣を突き上げた。
 禁箍児が強く締め付けられたのである。
 (中にはこの禁箍児が過って股間にはめられてしまった人物もいるらしいが。)

 この事件で起きた論争は、今でもどのような論評をしたかで、大体、その人の思想的立場を浮き彫りにして、一種のリトマス試験紙のような働きをしている。
 近現代史について勉強すればするほど、評者の論理によって、彼らの心のお里は明らかになっていくだろう。

 興味がある方は「『真の近現代史観』懸賞論文」ウィキ解説をお読みいただきたい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%80%8C%E7%9C%9F%E3%81%AE%E8%BF%91%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E5%8F%B2%E8%A6%B3%E3%80%8D%E6%87%B8%E8%B3%9E%E8%AB%96%E6%96%87


 当時、田母神論文を読んで、これを擁護する記事をブログに書いたが、これに早速噛み付いてきた人物がいた。
 それが最近たびたび記事を転載させていただいている「ヒロシ」氏だが、議論するうちに、それまで国際情勢に詳しい、単なる台湾の国民党シンパと思われていたこの人物が、実は外務省チャイナスクールの官僚で、その頭に禁箍児がはめられて、筋の通らぬことを言っている、ということに気づいたのである。
国民党シンパのポーズは中共に事(つか)えている自身の立場を隠すためのカムフラージュだったようだ。


 参照

「田母神論文に関する問答 (その一)」

http://saigou.at.webry.info/200906/article_8.html

「田母神論文に関する問答 (その二)」

http://saigou.at.webry.info/200906/article_9.html

「田母神論文に関する問答 (その三)」

http://saigou.at.webry.info/200906/article_10.html


(ちなみにこれらの記事に前後する、「理と勢」までの問答体の記事はすべて「ヒロシ」氏との間で交わされたものである。)



 彼が噛み付いてきた箇所の一つが、張作霖爆殺事件の犯人に付いてだった。

 田母神論文では張作霖爆殺事件について次のように書かれている。

「一九二八年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。『マオ 誰も知らなかった毛沢東』(ユン・チアン、講談社)、『黄文雄の大東亜戦争肯定論』(黄文雄、ワック出版)及び『日本よ「歴史力」を磨け』(櫻井よしこ編、文藝春秋)などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。」 


「ヒロシ」氏は、このコミンテルン陰謀論について、コミンテルンにとって張作霖を爆殺することにどのようなメリットがあったのか、との疑問を投げかけ、これに対し私は答えることが出来なかった。
というのは、私のこの事件に対する知識は、秦郁彦氏の『昭和史の謎を追う(上)』の第二章「張作霖爆殺事件 青年天皇の熟慮」の範疇を出るものではなかったからである。
 それでも「ヒロシ」氏の言い分がおかしいことには気づいたのだが、この事件について自分で考えたことはなかったので、大した反論も出来なかった。

 今でも事件に対する認識はあまり深まっていないのだが、ウィキペディアの「張作霖」の解説に次の記述を見つけた。

(「張作霖」ウィキ解説;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E4%BD%9C%E9%9C%96

 共産主義者との対決 [編集]
国民革命軍の背後で暗躍するソ連を嫌った欧米勢力は国民革命軍を支持せず、張に好意的な姿勢を取った。張も日本よりも欧米勢力に追随する風を見せた。張は1926年12月、北京で大元帥に就任し、自らが中華民国の主権者であることを宣言した。

張による北京のソ連大使館捜索 [編集]
1927年3月に起こった南京事件の北京への波及を恐れた列強は、南京事件の背後に中国共産党とソ連の策動があるとして日英米仏など七カ国外交団が厳重かつ然るべき措置をとることを安国軍総司令部に勧告した。その結果、同年4月6日、北京のソ連大使館官舎を奉天軍が家宅捜索し、ロシア人・中国人80名以上を検挙、武器及び宣伝ビラ多数などを押収した。これは奉天にも国民党軍からの共産主義者が浸透し、それによる満洲の共産化運動を防ぐための処置でもあった[1]。張がソ連大使館官舎を家宅捜索したことについては日本を含む列強各国から事前に国際法上の問題がないことの承認を得ていた[2]。また南京事件は共産主義者が起こしたとされ[3]、各国の共産主義に対する警戒心は高まっていた。

ソ連大使館捜索の影響 [編集]
4月10日、ソ連大使が本国に召還されソ連と中国の国交は断絶した。一方、ソ連は張に圧力をかけるためにモンゴルに大砲、弾薬、毒ガス、航空機を集中させている[4]。北京のソ連大使館捜索によって捕らえられた共産党員は軍法会議にかけられ、北京大学教授李大釗らは処刑された。ソ連大使館で押収された書類には北京において工作活動、あるいは暴力に訴えるための4120名に及ぶ宣伝部員等の名簿やイギリス、フランス、日本に対する反抗的策動を目的とする委員会の調印文書など共産化の陰謀を示すものがあり、その内容はイギリス下院においてもチェンバレン外相から発表され[5]、さらにイギリス国内ではアルコス事件が起き、イギリスとソ連との国交は5月27日[6]断絶している。

張のソ連大使館捜索に続き、4月12日には蒋介石が上海クーデターを起こし共産主義者への弾圧を開始した。

 

 張作霖爆殺事件はこれらの事件の翌年一九二八年(昭和三年)六月三日のことである。コミンテルンが彼を暗殺する理由は十分あるといわなければならない。「ヒロシ」氏はこの点ほっかむりしていたのだろうか。
 だとすれば、彼はコミュニストだったのかもしれない。


「張作霖爆殺事件」ウィキ解説;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E4%BD%9C%E9%9C%96%E7%88%86%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6 

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