平成二十三年、一年の計 ⑪

 以前書いたように(「平成二十三年、一年の計 ⑥」)、本物の創造的発展とは、人間に備わった精神の自然の働きによる思・慮・謀の螺旋的運動であるから、理に当たって後進み、勢を審らかにして後動く、というものでなければならない。
 これを阻害しがちな激動の時代を迎えて、時勢はどのように展開していくのかわからないが、所詮は、非力な浪人志士に過ぎない、己れの分を尽くして行くほかない。
  
 特定のイデオロギーにすがるような、そのイデオロギーに卑小な自分を隠しこむような、そんな安易な生き方では創造的発展はありえない。
 心の中に点った光で、これまで来た道を、足元を、周囲を、前方を照らして力強く歩んでいくほか、困難に処するどのような態度もありはしないのだ。

 どんな弱虫にだって、国民的名曲である坂本九の「上を向いて歩こう」には共感できるだろう。
 西欧人を中心に世界中の人々が共感しているのだから、これは普遍的な生き方のはずだ。
 もちろん私の心に住みついている弱虫だって共感する。

「上を向いて歩こう」歌詞;http://j-lyric.net/artist/a000c56/l007472.html

「上を向いて歩こう」ウィキ記事;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E3%82%92%E5%90%91%E3%81%84%E3%81%A6%E6%AD%A9%E3%81%93%E3%81%86

 涙がこぼれぬように、上を向いて歩けば、そこには、それまで下を向いていてはわからなかった、天が広がり、四季折々の空がある。
 太陽があり、月があり、星がある。
 ふと周囲を見回せば、昼夜を舎かず無限の変転を遂げる様々な光景を目にするだろう。
 そして、自分が歩んできた道も見えるはずだ。
 どんなに孤独な闇夜であっても、やがて夜は明けるのであり、待っていれば月も生まれ変わる。


 明治開国初期の日本人はキリスト教の宣教師に会って「少年よ、大志を抱け」との言葉に共感した。
 現代人はこの一節しか共感できないかもしれないが、明治人は、彼の詩のすべてを伝統的感性を以て受け止めたのである。


 少年よ、大志を抱け。
 金銭や栄誉の為ならず。
 人々が名誉と呼ぶその儚きことの為ならず。
 人は如何にあるべきか。
 この道を全うせんとする大志を持つべし。


 
 南洲翁の有名な「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ」云々の言葉を待つまでもなく、江戸時代の多くの人々の心をとらえた『論語』を読んでもいいし、維新の精神を凝縮したような「五箇条の御誓文」を読んでもいい。
 江戸期の人間の学問とは、人生如何に生くべきかの学問だったのだ。

 その伝統的な道の感性が、クラーク博士の言葉に共鳴したのであって、その逆ではない。
 彼らは人生を道という感性でとらえていたし、心のどこかで天を仰いでいたのだ。
 それは大志を抱くことに始まる、御皇室を戴く「和」にして、「天地の公道」を全うせん、とする力強い精神であった。


 こんな堅苦しい物言いが嫌なら、次の詩でもいい。 


この小父さんは不器用で
少年の声色がまづいから、
うまい文句やかはゆい唄で
みんなをうれしがらせるわけにはゆかない。

そこでお説教を一つやるとしよう。
みんな集まつて本気で聞けよ。

まづ第一に毎朝起きたら
あの高い天を見たまへ。
お天気なら太陽、雨なら雲のゐる処だ。
あそこがみんなの命のもとだ。
いつでもみんなを見てゐてくれる。
ご先祖さまだ・・・。
あの天のやうに行動する、
これがそもそも第一課だ。
偉い人や名高い人にならうとは決してするな。
持つて生まれたものを深くさぐつて強く引き出す人になるんだ。
天から受けたものを天にむくいる人になるんだ。
それが自然とこの世の役に立つ。

窓の前のバラの新芽を吹いてる風が、
ほら、小父さんの言う通りだといつてゐる。



 「知恵子抄」で有名な彫刻家・ 高村光太郎の詩「少年に与ふ」である。
 高村光太郎の父・光雲は、上野の西郷さんの作者として有名だ。皇居外苑の「楠公像」の製作主任でもある。

(「西郷隆盛銅像」ウィキ記事;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%B7%E9%9A%86%E7%9B%9B%E5%83%8F

 光太郎は父・光雲との確執があったというが、それは「美味しんぼ」の海原雄山と息子・士郎の確執のようなものであったと考えれば理解しやすいかもしれない。
 光太郎もまた、少年時代からの父の教えに従って、天から受けたものを深く探って、強く引き出そうと努めたのだろう。
 この場合、父との確執は、不易と流行の間で真を求めようとする芸術家の魂の衝突が生んだものであったように思われる。
 この詩には、父から受け継いだ明治人の魂のようなものが感じられるのである。


 その魂は、大東亜戦争開戦の報を聞いて詠んだ詩にも表れている。


「十二月八日」


記憶せよ、十二月八日。

この日世界の歴史あらたまる。

アングロサクソンの主権、

この日東亜の陸と海とに否定さる。

否定するものは彼等のジャパン、

眇(びょう)たる東海の国にして

そを治しめたまふ明津御神(あきつみかみ)なり。

世界の富を壟断するもの、

強豪英米一族の力、

われらの国に於て否定さる。

われらの否定は義による。

東亜を東亜にかへせといふのみ。

彼等の搾取に隣邦ことごとく痩せたり。

われらまさにその爪牙を摧かんとす。

われら自らの力を養ひてひとたび起つ。

老弱男女みな兵なり。

大敵非をさとるに至るまでわれらは戦ふ。

世界の歴史を両断する

十二月八日を記憶せよ。


 

「鮮明な冬」

この世は一新せられた。

黒船以来の総決算の時が来た。

民衆の育ちがそれを可能にした。

長い間こづきまわされながら、

なめられながら、しぼられながら、

仮装舞踏会まで敢てしながら、

彼等に学び得るかぎりを学び、

彼等の力を隅から隅まで測量し、

彼等のえげつなさを満喫したのだ。

今こそ古にかえり、

源にさかのぼり、

一濱(いっしゃ)千里の奔流となり得る日が来た。




 嘘と欺瞞に満ちた戦後教育を受けて、大事なことを教えられぬままに、今は大人になってしまった、かつての少年も本気で感じることはできる。
 朱子が言ったように、まさに「少年老い易く、学成り難し」だが、戻らぬ過去を悔いても仕方がない。
 誰だって生まれる時や場所を選ぶことは出来ないのだ。
 それよりも肝心なのは一歩前に踏み出すことだ。

 高村光太郎の詩「少年に与ふ」を知ったのは、『論語』への関心から、これを幼児たちに素読させていた「丹養塾」という幼児園を知ったのがきっかけであった。
 ある方からいただいた園の通信にこの詩を見つけた。
 もちろん幼児たちはこれを復唱していた。
 これが子供たちの心の中でどのように育っていくのかわからないが、伝統は確かに生きているのである。 
 

 この光太郎の詩の中の小父の説教に感じ入る少年の心を持つ人は多くいるはずだ。
 皆、日本の伝統的な感性を受け継いでいると見ていい。
 ならば、かつての少年少女たちも、これを深く探って強く引き出す人間にならなければならないだろう。
 今からでも決して遅くない。
 日本の再生は各人の中にあるこの自覚から始まるはずだ。
 子供たちは大人達の背中を見ながら育つのだ。

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