農業振興と環太平洋パートナーシップ協定(TPP)

 政の大體は、文を興し、武を振るい、農を励ますの三つに在り。
 その他百般の事務は皆その三つの物を助くる具なり。
 この三つの物の中において、時に従い勢に因り、施行先後の順序はあれど、 この三つの物を後にして、他を先にするは更に無し


 (『西郷南洲翁遺訓』三条)



 南洲翁が政の大體の内の一つと言う「文」は、

 遺訓の九条で

「忠孝仁愛教化の道は政事の大本にして、万世に亙り、宇宙に弥(わた)り易(か)うべからざるの要道なり…。」

 十条で

「人智を開発するとは、愛国忠孝の心を開くなり。国に尽くし家に勤むるの道明らかならば、百般の事業は従って進歩すべし。」

 と言っていることからわかるように、この忠孝仁愛の国民精神のことである。
 南洲翁はこれを興すことが政事家の最も重要な仕事だというのである。

 その忠孝仁愛の精神がもっとも試される分野が、国防に直結してくる「武」であり、国民の食に直結してくる「農」である。
 この「武」「農」は、日本においては、効率化や合理主義だけでは割り切ることが出来ない側面を持っている。いや、むしろこちらが日本文化の本質に関わってくる部分であろう。
 効率化や合理化は、土台にあるものをどう生かすかの問題であって、本質的ではない。

 戦後、軽武装の商人国家としてやって来た日本は、この非合理的で、非効率的な部分を最も軽視してきた。

 この忠孝仁愛の精神を初めて説き、多くの先人たちが師表としてきた孔夫子は「仁者は難(かた)きを先にして獲るを後にす」と言ったが、戦後日本は、この難事を蔑ろにし、易きを先にしたがゆえに、忠孝仁愛の精神を賊(そこな)ってきたと言っていい。
 その象徴的な事件が、アメリカに押し付けられた憲法をついに改正できぬままに、ここまできてしまったという事実であろう。

 民を愛するのは仁愛の精神だが、農家に対する補助金漬けに始まる自民党のばら撒きや、これを引き継いだ民主党の子ども手当てなどのばら撒き政策は、仁愛の精神に発する政策ではない。
 票目当ての政治家の自己愛に発する政策である。
 現に、民主党を中心とするTPP推進論者の議論は、いまや農業に携わる者を眼の仇にした議論になってきている。

 民を愛するということと民を甘やかすということは違う。
 甘やかされた民は甘えることに慣れ、ただ反抗的なぐれた国民となる。ぐれた国民に媚びて選ばれた政治家は、当然、ぐれた国民にして、ぐれた政治家となる。

 大東亜戦争によって、首の皮一枚を残して、アメリカに国體をことごとく破壊された日本は、食糧難を克服した時点で、この国體の回復という難事をこそ優先して復興すべきであった。
 シナとコミュニストの反日プロパガンダ工作の攻勢の中で、政事家はこれを率先して行わなければならなかったのである。
 自民党の結党趣旨は、そもそも自主憲法の制定にあったわけだから、その歴史的使命は国體の回復にあったはずである。
 もっと言えば、忠孝愛国の精神を国民道徳の柱としていた戦前への回帰こそが、保守政党自民党の歴史的使命であった。
 これを怠ったまま、戦後は六十年以上を経過した。
 ならばここに来て、国がガタガタになって傾くのは当然である。 
 今その弊害が一気に噴出して、国民の生活を不安定なものにしている。
 

 明治維新の目的は開国にあったのではない。
 自主的な文明化である。

 南洲翁の言葉を借りるならば、「文明とは道の普く行わるゝを賛称せる言」であり、「文」、すなわち「忠孝仁愛の精神」が誰の眼にも「明」らかであり、普く行われている状態を言う。

 孔夫子が唱えた「仁」とはこの意味での文明精神のことだが、一国一文明の日本においては、文明精神とは国体観を宿した精神である。
 難きを先にする「仁者」とは、国体観を体現している人物のことだが、戦後政治はそのような人物によってなされてこなかったといっていい。

 この文明精神が行われるためには国家は自立していなければならず、開国はそのための手段の一つに過ぎない。
 アメリカの悪意に気づかぬ、忠孝仁愛の精神の希薄な、開国をスローガンにしたTPP推進論者の軽薄さ、浅はかさはほとんど不仁、ひいては不忠にして不孝ですらある。


 以上の趣旨が抽象的で分からないという人は、次の経済討論をお聴きになればお分かりいただけるだろう。 






 








 なお、この経済討論には参加していないが、「日本文化チャンネル桜」常連の西村慎吾氏のブログにTPPに関する次のような記事(二月二十八日付)が載っていたので転載させていただく。(http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?page=606

「…ところが、この「盲いたる民」が、急に飛びついて流されているのが、TPPである。
 TPPによって、我が国も「開国」をしなければならない、というもっともらしい議論である。
 この議論には、我が国が、我が国の國の形即ち国体、そして固有の伝統と文化また社会の成り立ちを守ろうとする当然のことを「鎖国」と見なす前提がある。
 これが、鎖国=封建・悪、開国=近代・善、という歴史観ならまだ矯正可能だ。
 しかし、およそ国家が守ろうとするもの=悪という思想即ち左翼コミンテルン思想が、我が国に迫る「開国」は、我が国家を解体させる結果をもたらすものであり断じて許容できない。
 
 何度も指摘するように、現在の民主党政権は、左翼の牛耳る左翼政権ではないか。
 左翼思想とは、国家というものを弱体化させることが人々の幸せにつながるという嘘によって国民を惑わし権力を奪う思想である。従ってTPP推進論者は、我が国から国家の大きな権能である関税自主権を奪えば、国民は幸せになるというのである。
 この我が国の左翼思想とアメリカのハイエナである巨大多国籍企業のマネーゲーム戦略が、絡み合って推進に動いているのが、我が国のTPP議論である。
 
 このTPPこそ、今まで毎年アメリカから押しつけられてきた「年次改革要望書」の年度ごとという手間を省くために、一括して、我が国の国土と国民を巨大多国籍企業の餌場にするという意味の「開国要求」なのである。
 それを、我が国の、国家=悪で関税自主権喪失=開国=善、
という左翼思想が受け入れようとしているのだ。
 
 そもそも、菅総理が、昨年唐突にTPP検討を主張し始めたことも奇妙なら、まことによくアメリカに行っていて政治家として「成長し」、アメリカのペットになっている兄ちゃんがTPP推進を叫び始めたのも、怪しいではないか。
 我が国の各省庁は、仮にTPPを受け入れればこうなるという試算をしているが、TPP受け入れが経済的に得か損かという側面に限っても、試算した省庁の結論は損得正反対に分かれている。つまり、TPPは、訳が分からんのである。
 この状態を前提にすれば、いま唐突に菅内閣でTPPを推進しているのは、アメリカのペットであると言える。

 また菅内閣に誘導されて、TPPを農業分野の問題だと矮小化してはならない。
 我々の全生活分野に影響が及ぶのがTPPである。
 TPPは、医療、弁護士業務、保険そして労働市場などあらゆる分野に及ぶのである。
 TPP受け入れによって、例えば医療では、混合診療が当たり前となり株式会社が医者を雇って収益を上げることを競い、我が国で現在当たり前となっている、全ての人が同じ費用を負担して専門医の診察を受けることができるというすばらしい保健医療制度は崩壊する。これはつまり、アメリカをはじめ世界が見習うべきすばらしい医療制度が世界から無くなることを意味する。
 弁護士業務では、「小泉改革時代」の影響で粗製乱造された法曹人口にさらに外国人弁護士が加わり様相が一変する。もはや弁護士は、「社会正義の実現」などと言っておれば生活できなくなる。
 さらに、東大阪など我が国の中小企業が集まる地域では、労働者のほとんどは低賃金で働く外国からの出稼ぎ者で占められ、賃金は高くとも技術を持った日本人労働者は失業する。こうなれば、我々の住居周辺の治安状況も一変する。
 
 もちろん、守るべき我が国の農業はどうなるか。
 無くなる。
 農業が無くなれば、我が国の文化と伝統はその基礎を失う。
 新嘗祭をはじめとする宮中の祭祀、各地の秋祭りや伝統行事は農業の上に成り立っていることを深思すべきである。
 TPP受け入れは、我が国の文化の喪失をもたらす。
 我が国の農業を守ることは、我が国の文化を守ることであり、
即ち、我が国そのもの、日本を守ることなのである。
 これらを考えると、現在の左翼政権に断じて任せられない。」

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