平成二十三年、一年の計 ⑧

 前に、

「西郷論を書くことも、維新論を書くことも、伝統論を書くことも、皇室論を書くことも、結局は国体論を違う斬り口から書くことであり、国家百年の大計はそこに胚胎している。」

 と大きなことを書いたが、このことは考えれば考えるほど難しい。
 どう提示したらよいか、途方に暮れる思いがする。

 というのは、そもそも国體論そのものが、『荘子』にある、人間なら当然あるべき七つの穴を穿たれて七日目に死んだ渾沌の話のように、固定的な理で捉えては、やがてその実体を死に至らしめてしまうような、そういった矛盾した問題を孕んでいるからである。

 しかも、この道は、突き詰めていくと究極のところで、本居宣長が喝破したように、「実(まこと)は道あるが故に道てふ言(こと)なく、道てふことなけれど、道ありしなりけり」というような微妙なものを蔵している。

 どのように提示するのがいいか、途方に暮れるのは当然である。
 そもそも、道として、理として、提示できるような代物ではないのかもしれないのだから。


 もちろん、このことは別に誰に頼まれたわけでもない。
 勝手にやっているだけだが、日本人として、日本人たるの道を歩まねばならない、ということで、これまで歩んできた道である。
 それはまるで兎を追いかける亀のような歩みである。
 私の遅々たる歩みを見て、亀年生まれ(?)という人もいる。

 今の時点で終点までのどれくらいが歩めたのか、見当もつかない。
 これは終点が見えていないから当然なのだが、それでもおそらくほんの数歩しか歩めていないだろう。
 しかし、それまで路傍の石ころか雑草だったものが、おぼつかない足取りながらも、何とか歩みだしたのだがら格段の進歩ではある。

 足の速い兎たちがすでにかなり先まで進んでいるのを前に見、焦りを覚えながらの前進だったが、今ふと立ち止まって観察してみると、そのほとんどが道を大きくそれているか、足踏みしているか、休んでいるか、そんな感じがしている。
 しかし、それでも道のまだまだ先の方を走っている偉大な兎がいるし、先にスタートして地道に歩み続けている偉大な亀もいる。
 著名ではなくとも、著作を出したり、ネットで言論活動をして、尊敬すべき地道な活動を続けている人が多くいることも知った。
 そういった人々の苦労に比べれば、私の歩みなどは苦労のうちに入らないだろう。好む所に従っているに過ぎないのだから。

  しかし、よく考えてみれば、この道を歩むことは別に他者との競争ではない。ならば、私を焦らせているのは、兎ではなく、時間なのかもしれない。
 日本の伝統にとっての致命的な危機がやがて確実に来るという、そのタイムリミットまでの時間である。
 もちろんそのタイムリミットは容易に掴むことは出来ない。


 未来というものは見えないのだから、この道は、一歩先からすでに確かな道が用意されているわけではない。

 人能く道を弘む。道、人を弘むるに非ず。

 そういった道である。

 来た道を、かつてスタートを切った、その地点の向こうまで、途方もなく続く向こうまで、振り返りながら、前に進まなければならない道である。
 そうでなければ、道をそれてしまう危険がある。
 しかも、それは、アメリカの荒野を切り拓いて作られたハイウェイのような一直線の道ではなく、日本という自然の起伏に富み、緑に覆われた大地を、人々が長い年月をかけて歩むことで踏み固められてきた道である。
 場所によっては、多大な犠牲を払って切り拓かれた難所もある。
 当然、我々はそれを遠い過去から遠望するわけだから、その人の立ち位置、脚力、眼力、知力、平衡感覚などの個性によって見える風景はそれぞれ異なり、その歩む道は当然のことながら違ってくる。
 道を歩むことが様々な軋轢を生み、失敗の危険を伴うのはそのためである。

 しかしながら、我々が、道のある地点に大きな足跡を確かに残した偉大な先人達を手本にしてしか、道を歩む足がかりを得ることが出来ない以上、日本人各々の道には、共通する方向性があり、全体としては離合集散を繰り返しながら、大きな道を形成することになる。

 国體論とはその日本人の大道に関する論である。


 我々が日本の大道を振り返った時に、幾つかの道の合流点に、何人かの偉大な先人達がいるが、百数十年前の幕末維新期という比較的近い距離にありながら、いや、近いが故になおさら、その大きさがよく理解されていない人物として、私は西郷南洲翁を取り上げて、これを富士山に譬えた。

 現代の日本社会はその明治維新の成果の上に立っているから、我々は富士山の麓に立っているようなものだ。
 ならば、巍々と聳えるその山容を十分に捉えることが出来ないのはある意味当然のことであろう。

 政治家は口を開けば、明治維新を引き合いに出して、維新だ、改革だ、開国だと言うが、そもそも明治維新とは、革命を意味するレヴォリューション[revolution]ではなく、回復や復活を意味するリストレイション[restoration]で表されるべきものである。
 現に維新の号令は王政復古の名のもと煥発された。
 だから英語で「明治維新」のことを[the Meiji Restoration]という。
 今、明治維新を引き合いに出すなら日本としての原点回帰こそが主張されなければならないのである。
 ところが左翼がかった政治家は、維新を唱えつつ、それとは逆のことをしようとする。これは彼らの頭の中に、日本としての原点とは何か、という問いかけが欠けているからとしか言いようがない。

 
 日本の大道を知るうえで南洲翁程格好な人物はいないと思う。
 事件としては、明治維新、あるいは大東亜戦争は、日本の大道を知る上での格好の題材であるが、大東亜戦争は世界史的スケールでの理解を必要とする事件であるし、まだまだ熱い政治問題であるから、なかなかこれを冷静に理解するのは難しいし、そもそも幕末維新から語らなければ、大東亜戦争への道、そして、その歴史的意義も理解できない。
 さらには、その幕末維新そのものが、中心的人物であった南洲翁の理解を欠いたまま論じられているし(特に、いわゆる征韓論政変および西南戦争)、日本の歴史の縦糸が抜けたまま論じられていることが多いのである。

 その大道をこれから国體論として明らかにしていきたいとの「はかりごと」を固めている。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

ガッツ(がんばれ!)

この記事へのコメント

noga
2011年02月27日 02:47

我々日本人は、英語を通して世界中の人々に理解されている。
かな・漢字を通して理解を得ているわけではない。
我が国の開国は、英語を通して日本人が世界の人々から理解してもらえるかの努力に他ならない。
我が国民のメンタリティを変えることなく、ただ、法律だけを変えて交流したのでは、実質的な開国の効果は得られない。
鎖国日本に開かれた唯一の窓ともいうべき英語を無視すると、我が国の開国も国際交流もはかばかしくは進展しない。
この基本方針にしたがって、我々は耐えがたきを耐え忍びがたきを忍んで、万世のために太平を開く必要がある。

英米人は、「我々は、どこから来たか」「我々は、何者であるか」「我々は、どこに行くか」といった考え方をする。
我々日本人にしてみれば、奇妙な考え方であるが、彼らにしてみれば当然の考え方になる。
それは、英語には時制というものがあって、構文は、過去時制、現在時制、未来時制に分かれているからである。
3時制の構文は考えの枠組みのようなものとなっていて、その内容は白紙の状態にある。
その穴埋め作業に相当するものが、思索の過程である。

http://koshin.blog.ocn.ne.jp/koshinblog/2011/02/nago_7890.html

この記事へのトラックバック