TPP論議

 西郷論を書くことも、維新論を書くことも、伝統論を書くことも、皇室論を書くことも、結局は国体論を違う斬り口から書くことであり、国家百年の大計はそこに胚胎している。


たとえば昨年後半になって、降って沸いたように、国民の前に現れ、十分な議論がなされぬままに進められているTPPの議論があるが、「日本文化チャンネル桜」の次の経済討論を見ていて感じたことがある。

 

 13分50秒あたりから始まる、三橋貴明氏の常識的なTPP反対論を引き継いでの中野剛志氏の精微な分析に基づく本質的な反対論。
 元々この番組はレベルの高い経済討論番組なのだが、それでもレギュラーメンバーの予定調和的な討論に対する、中野氏の理を尽くした論(その名の通りまさに剛志論)が、予定調和的な議論を崩す呼び水となって、TPPの消極的賛成論が、日本の衰勢を前提とした大人しい議論であることを明らかにしている。
 37分40秒あたりの中野氏と小山和伸氏のやり取りは、とげとげしいが、小山氏のエントロピー論、外圧論は、維新に対する認識の乏しさ、ひいては国体に関する認識の浅はかさが、保守論壇のTPP賛成論の根底に横たわっている事をはしなくも露呈している。
 このやせ我慢を忘れた衰勢論が、アメリカや中国の策略に飲み込まれての、保守の衰勢となって現れているのである。

 放送局も、予定調和が破られた本質的な討論になったからこそ、普段は開放しない3時間目を著作権フリーのユウチュウブにアップしたのだろう。
 実際のところ、経済討論は、本質的に相対的な議論の応酬になりがちで、長時間見ていると飽きてくることが多いのであるが、3時間目になって、出演者もヒートアップして、俄然面白くなっているのである。
 幕末維新の各場面において、交わされた熱い討議の場面を彷彿とさせた。
 中野氏の議論を聞くのは初めてだが、その名の通り、平成の志士官僚というのが第一印象である。
 彼の熱い問題提議が討論の流れを変えた。
 

 国体観は、経済討論においても、背後に隠れながら、これを左右する。
 53分30秒から始まる中野氏の発言の趣旨に私は全面的に賛成である。
 日本は黒船に象徴される外圧によって変えられたのではない。
 変えられたというような受身の国は、皆、西洋の意志によって独立を奪われたのだ。

 日本は黒船の来航という刺激を受けて、伝統が主体的に応じた。
 この場合、西洋文明の衝撃は、日本が主体性を発揮する触媒の働きをなしたに過ぎない。

 日本がその主体性を発揮する背骨となったのが、江戸期の学問の伝統である。
 惰眠を貪っていたと言えるのは一般の民草であって、意識の高い層は、孔子や孟子を教師、あるいは反面教師としつつ、学問的陶冶を怠らなかった。 
 その連綿とした学問の流れが、古典復興(ルネッサンス)となって、国体観を磨き、それが維新回天の偉業に結びついたのである。

 たとえば幕末の志士に大変よく読まれていた頼山陽の『日本外史』
 この名文が彼らに日本の歴史を教えたといっていいが、その山陽の晩年の著作に『日本政記』という歴史評論がある。亡くなったその日にようやく脱稿したというほど、彼がその著述に精魂を傾けた集大成的な著作であるが、幕末維新期の南洲翁は、『日本外史』とともに、この歴史評論を愛読していた。
 当然、それは彼の王政復古討幕運動における「思」「慮」「謀」に大きな影響を与えている。大久保利通の遷都の建議にそれが現れているのは前回触れたところだ。
 要するに、王政復古討幕運動における「思」「慮」「謀」の根底に、土壌を提供しているのが日本の歴史であり、先人達の思惟から生まれた、日本の歴史の叙述という「謀」なのだが、そこに一つの規範を提供しているのが、所謂「孔孟の教え」なのである。これが当時の国体観であった。
 その国体観の上に、公議公論の名の下、様々な議論が花を咲かせ、それが様々な「謀」を生み、幕末の騒乱となったのである。外患は結果的に国体に注入されたカンフル剤となった。

 
 内村鑑三は

「維新革命における西郷の役割を十分に記そうとすれば、革命の全史を記すことになります。ある意味で一八六八年の日本の維新革命は、西郷の革命であったと称してよいと思われます。」

と言ったが、これは正しい。

 明治から大東亜戦争までの日本人の多くは大体直感的にこのことを見抜いていたと言っていいだろう。
 ならば、その王政復古討幕運動を最終的に統合した南洲翁を中心に議論を見ていくことはなおさら重要だ。
 謎、よくわからぬ、のままで済ましておいて良い訳がない。

 実際、南洲翁の事跡を追っていくと、幕末期の行動においては、どのようにこの伝統が起ち上がって、王政復古維新の本流となって結実していくのかが見え、また、明治期の行動においては、どのようにこの伝統が西欧化の大勢に飲み込まれようとしていくのかが見えてくる。
 前者が王政復古討幕から廃藩置県までの流れであり、後者が、明治六年の征韓論政変から西南戦争までの流れである。 
 そして、このことが大東亜戦争の評価、戦後社会の評価にも大きな影響を及ぼすのである。
 もちろん、山積する問題にこれから周到なる「謀」を以て対処していかなければならない日本人の「思」「慮」の土台を形成する国体観の問題として、だ。
 一見迂遠ながら、土台を強固なものにしておかなければ、国難を迎えていながら、脆弱な「思」「慮」「謀」を以てしか対処できず、後手後手となってにっちもさっちも行かなくなる。

 日本の舵取りの役を国民から任されながら、勢のみで術策におぼれ、「思」「慮」はもちろん、「謀」を欠いた民主党政権(自民党も同じだが)では、本年から本格的に吹き荒れるであろう大陸からの暴風を前に、日本丸の沈没は必至である。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック