菅「奇兵隊」内閣の空虚

菅直人氏は山口出身である。
例によって、再び維新のイメージを打ち出している。
今度の新しい政権は、奇兵隊だそうだ。
まことに片腹痛い思いがする。 

 前回、日本文明の一つのピークであった明治維新以来の余勢が確実に失われつつあると話を唐突に打ち切ってしまったが、実は菅直人氏のこの「奇兵隊」発言にもそれは端的に現れているのである。
 また平成の御世の維新家気取りが日本の前途に災いをもたらす。

 彼は国民の中にある維新に対する好イメージを意識して、これから国政の舵を取る自身の新内閣を、維新回天の偉業に貢献するところ大であった奇兵隊になぞらえたわけだが、これは「生活維新」を唱えて、打倒自民の衆院選を戦った小沢氏、そして民主党による国政を「無血の維新革命」となぞらえた鳩山路線を踏襲したもので、やはりその延長線上にあると言えるだろう。
 民主党に蔓延している金権腐敗体質に対する無反省ぶりを見ても、何ら変わるところがないが、「奇兵隊」の通俗イメージにおける比喩や新内閣の顔ぶれを見る限り、より過激化しそうな気配が濃厚である。

 私としては、形骸化した維新の革新的イメージばかりが一人歩きし、左翼政事家に利用されて、その実(まこと)の姿が国民の心に映じない状況に歯痒い思いをしているのであるが、見方を変えれば、国民の中にある維新に対する好イメージは、その名、実を正すことで、国民の活力を呼び覚まし、日本文明が息を吹き返すことにつなげ得る、ということでもある。
 

 菅氏の発言から忖度すれば、彼が奇兵隊を持ち出したことの趣旨は、一つは既成概念を打ち破る革命軍であること、もう一つは、自身が市民活動家から身を起こして、総理大臣にまで上り詰めたというサクセス・ストーリーをアピールして、ジャパニーズ・ドリームを実現できる社会作りを国民に訴えたい、ということらしい。
 本来ならサクセスかどうかは、今後の国政運営いかんにあるはずだが、そういった言動を為しているところを見ると、彼の浅はかさが見え隠れしていると言えよう。

 何になりたいかが最も重要なのではない。
 何をなしたいか、それが最も重要なのだ。
 何になるかは、あくまでも何かをなすための手段でしかないのである。


 氏が自らの政権を、一知半解の歴史理解に基づいて、奇兵隊になぞらえたところを見ても、また前回紹介した、宇田川敬介氏が示した民主党の組織構成を見ても、革命政権であることは明らかだが、奇兵隊創設の意味を理解していないところを見ると、それは伝統の破壊しか意味してはいまい。
 その点、菅「奇兵隊」内閣は小鳩「無血維新」内閣と同じ穴の狢なのだ。

 氏の発言の空虚さを明らかにするには、まずは名を正すところから始めなければなるまい。

 「奇兵隊」という名の「奇」とは、正に対する奇であり、『孫子』にいうところの「凡そ戦いは、正を以て合い、奇を以て勝つ。故に善く奇を出だす者は、窮まりなきこと天地の如く、つきざること江河の如し。」というところからきている。
 つまり、勝つためには、敵の勢力を受け止めるための正兵の他に、臨機応変、機動性に優れた奇兵を必要としたことから、「奇兵隊」と名づけられたのだ。
 「奇兵隊」は、敵に勝つという目的のために、創設された軍隊だったのである。
 ちなみに明治十年の西南戦争においても、同じ趣旨から、奇兵隊という一隊が熊本城攻防戦敗退後の薩軍で組織されている。

 奇兵隊と命名された主旨は、次の通りである。

「奇兵隊、総奉行の正兵に対して名づく。けだし、専ら奇に事(つか)えるにあらず、奇兵中、また正有り、奇有るなり。」

 奇兵とはいいながら、奇兵としても、正兵としても活用する、と述べているわけだから、『孫子』の兵学を柔軟に解釈していることがわかろう。


 開闢総督の高杉晋作自身は設立の趣旨を、書簡で次のように述べている。

「奇兵隊の儀は、有志の者相集まり候儀に付き、陪臣、雑卒、藩士を選ばず、同様に相交わり、専ら力量を貴(たっと)び、堅固の隊相調え申すべくと存じ奉り候。
 …奇兵隊の人数、日々相加わり候。付いては、これまで小銃隊の内にこれ有り、または小吏相務め候者もこれ有り、その内御一手人数中もこれあるべく候えども、畢竟、匹夫も志を奪うべからざるに候えば、これらも拒み難き趣に御座候。素より御組立人数をこれより相招きは仕らず候えども、自然奇兵隊に望み候わば、隊中へ相加え申すべくと存じ奉り候。」


 
 要するに志ある者によって創設された軍隊、ということである。
 小吏であっても、御組立の人数、すなわち長州藩の正規兵からであっても、雑卒であってもかまわない。
 身分を問わない志願兵によって、実力本位で作り上げた軍隊、それが奇兵隊なのだ。
 

 ここまでを浅く読めば、志の価値を説き、革命を目指す菅氏の発言は、奇兵隊設立の趣旨に則っているではないかと思われるかも知れないが、それは高杉の発言の表層的な理解に止まる。

 ここで「匹夫も志を奪うべからざる」と、高杉が、『論語』の言葉を引用して、理解を求めているところが、維新の精神を知る上で重要である。
『論語』では「三軍も帥を奪うべきなり、匹夫も志を奪うべからざるなり」で、数万規模の大軍でもその総大将を奪うことが出来るが、身分の賤しい男であってもその志を奪うことは出来ない、との意である。

 正規兵ではどうにもならないことが判明した時に、孔子の言葉が高杉に艱難克服の道を照らしているところが重要なのである。
 そして、それを引用することによって、強い軍隊を作るには須らく志願兵でなければならないという、設立趣旨の共通理解、コンセンサスが期待された。
 ということは、孔子の言葉が権威として、常識として、武家社会に広く行き渡っていた、ということだ。

 維新の元勲を、精神を論じる時にどうしても私の眼はそこに行く。
 維新の思想的背景に、『論語』を中心とする和漢の古典が育んだ深くて豊かな学問の伝統が浮かび上がってくるのである。


 さて、それを踏まえて高杉の真意を考えてみなくてはなるまい。

 結局、後の討幕に至る実戦で、正を以て敵と合うはずの正兵が、世襲で役に立たず、奇兵隊、およびその後、同じ趣旨で続々と創設された諸隊が、正兵の役をも担ってしまったがために、本来なら創設趣旨の副産物に過ぎない身分制の脱却という革命性が、その意義のように捉えられるようになってしまったが、創設者である高杉の立場に立てば、これは本末転倒の議論ということになる。

 彼が当時、前田孫右衛門に出した書簡に次のようにある。

「・・・私儀、当地(馬関)罷り下り候ところ、殊の外、混雑驚き入り候次第に御座候て、この中の敗軍慙愧に堪えず候。何卒恥を雪(すす)ぎ候わんと思慮仕り候ところ、総奉行方、自ずから総奉行の指揮に御座候ことゆえ、いかんとも為し難く、遂に有志隊を相調え候と決定仕り候。これも好みて異外に出候わけには御座無く候。已むを得ざるの窮策に御座候間、その段御含み下され、御序(おついで)の節、(君公の)上聞に達し候様願い奉り候。
 追々人数相集め候えども、なかなか防御方出来候様相成りがたく候。有志者は軽率以下に多く御座候。この一事にて万端御推察下さるべく候。」


 これは文久三年六月八日付の書簡だが、高杉の忸怩たる思いが伝わってくるだろうか。

 長州藩は、勅命を奉じて攘夷戦を決行し、その結果としての六月の一日、五日の両日の惨敗による衝撃から、高杉に馬関防衛の任務を与えていた。
 そして、馬関防衛の窮策、つまり苦肉の策としての奇兵隊の創設となったのである。
 長州藩の上士にして、長州男児として自尊心の強い高杉としては、その自尊心に詰め腹を斬らせての窮策であったことがわかるだろう。

 だからこそ、後に、四カ国艦隊の砲撃、長州征伐を受けて、山口の政庁が俗論党に支配された際、事態静観を決め込んだ諸隊長の面前で、俗論党との調和論を説いて回っている赤禰武人を次のように罵倒して決起を促したのである。

「全体諸君等が、晋作の言う所を聴き入れぬのは、赤禰武人の調和策に欺瞞されて居るのであろう。彼、武人なる者は何者と思うて居るか。彼は大島郡の土百姓である、これに反しこの晋作は三百年来譜代恩顧の士である。晋作が尽くす所と、武人如き匹夫の尽くす所と、一様に見られては困る。」(『忠正公勤皇事績』)

 高杉は、匹夫でもその志を奪うことは出来ない、だから強い軍隊は作れるが、その志の強さと内容においては、匹夫と譜代恩顧の士である自分においては格段の違いがある、という認識を持っていたのである。

 だから続けて次のような発言になる。

「しかし、諸君が晋作の言う所に従うことが出来ぬとあれば、強いては申さぬ。唯、従来の交誼に免じて、一頭の馬を貸して呉れ、晋作はその馬に鞭うちて、萩城に駆け付け、城門を敲(たた)いて、君公を御諫め申上げ、もし御聴納なきにおいては、門前において腹掻き切って、臓腑を攫(つか)み出し、門扉に打ちつけて、死を以て君聡を回らす覚悟である。
 不幸にしてその途中、姦党の為に捕らえられて、殺戮せらるるは天命である。決して厭う所でない。
 今日の如き危急の場合には、一里行けば一里の忠を尽くし、二里行けば二里の義を尽くすのである。臣子たる者が、一日も安座して居る時ではない。」
(同上)


 高杉のこの英雄的な決起によって、逼塞していた長州藩の国論が息を吹き返して、尊皇攘夷(積極的攘夷)で統一され、維新回天の偉業へ突き進むことになったのは、周知の通りである。

 言いたいことはわかるだろう。
 つまり奇兵隊は尊皇攘夷決行の必要性から生まれた軍隊だ、ということなのである。
 結局、高杉の言う志とは、勤皇の志なのである。
 正規兵を補佐、あるいは、なり代わって、その尊皇攘夷の目的を達成する。  それが奇兵隊の使命なのだ。

 ここに目をふさいで、左翼革命実現という、いわば誤った志のために奇兵隊を名乗るなら、それは高杉の表現を借りるなら、好みて異外に出る者であり、奇兵隊とはいわず、異端、あるいは奇人隊とでも称されるべきものであろう。

 もし菅総理が奇兵隊の精神を受け継いでいると言い張るなら、ご皇室はもちろん、日の丸・君が代には敬意が払われなければならないし、幕末維新以来の国事に斃れた英霊を祭る靖国神社には堂々と参拝してしかるべきである。
 もちろん中国や北朝鮮の脅威には断固立ち向かわなければならないし、アメリカや韓国やロシアを含めた近隣諸国の不条理な要求や主張には毅然と立ち向かわなければならないだろう。
 ところが中国共産党序列第六位の習金平の今上陛下のご引見の件で、副首相の地位にありながら、小沢一郎氏の倣岸不遜な態度を諌めたという話も寡聞にして聞かない。藩主への命懸けの勤皇の諫言も辞さなかった高杉を思えば、贋物としか言いようがない。 
 ましてや日本人拉致に関わった北朝鮮のスパイ辛光洙(シンガンス)の釈放嘆願に署名するなどもってのほかである。 

 菅氏は高杉がもっとも唾棄すべき志を抱く人物というほかないのである。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 35

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた
面白い 面白い 面白い 面白い 面白い
ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス
ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!)
かわいい かわいい かわいい かわいい かわいい

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック