建武の中興 (その七)

 建武の中興なくして、明治維新なし。
 明治維新なくして、近代日本なし。
 近代日本なくして、有色人種の白色人種の差別的支配からの解放なし。
 

 「後醍醐帝なくして明治大帝なし」という評価が動かしがたい事実であることと同じ意味において、「建武の中興なくして明治維新なし」と言うのも動かしがたい事実である。
 岩倉具視が王政復古討幕を建武の中興に倣おうとしていて、国学者玉松操に、もっと規模を宏大にして、神武の創業に則るよう忠告され、意を翻したのは有名な話だが、南洲翁や大久保利通、木戸といった薩長の指導者も、王政復古の事業を進めるに当たって、建武の中興の志の継承と失敗への痛切な反省という立場に立っていたのである。

 ここしばらく「建武の中興」について論じてきたが、そんな昔のこと、我々の生活に関係ないし、どうでもいいよ、という人は多いだろう。東洋史の大家内藤湖南でさえ、応仁の乱以前の歴史は、我々に直接的に関係ない、学ぶ必要はない、という趣旨のことを言っている。
 確かに直接的な関係にはないか、かなり少ないとは言えるかも知れないが、間接的には大ありである。
 わかりやすい例を挙げよう。

 知っているだろうか。
 江戸への遷都が、建武の中興への反省に立って行なわれたということを。
 実は、現在の華の都大東京の栄華も、その基は、「建武の中興」の失敗にあったのである。

 それがあるから、今の日本の姿がある、すなわち今の我々が在る、という点を重視し、その歴史に敬意を表するのが歴史に接する正しい態度とするなら、床屋談義ならともかく、歴史をまともに論ずるものは、「建武の中興」のような昔の出来事など論ずるに足らぬ、などと、他人事のようにうそぶいてはおられぬはずである。

 もちろん江戸の繁栄は徳川家康によってその基は築かれたわけだが、来る王政復古の新時代おける首都を江戸に定めるについては、大英断を必要としていた。
 何といっても、一時の例外を除いて、平安遷都以来、千年以上にわたって、皇室は京都を離れることが無かった上に、朝廷にとって、江戸とはまさに穢土であり、東夷(あづまえびす)の住む文化果てる地だったのである。
 ともかく前例のないことであり、当時の保守勢力の反発には大変なものがあった。
 これを固い信念に基づいて江戸への遷都を実現させたのは大久保だったが、これは南洲翁や小松帯刀らの間での一定の方針であったと見て間違いない。そして、それは当時の勤皇家必読の書であった『太平記』や、頼山陽の諸著作から容易に導き出せることであった。

 司馬遼太郎は、『この国のかたち』の中で、大久保の大坂遷都論から江戸遷都論への移行について、幕臣前島密の匿名の、江戸・大坂の都市比較による得失論的建言の影響によるものであるかのような書き方をしている。
 前島の建言の趣旨は、①ロシアの南下対策として重要な北海道は大坂からは遠すぎる、②大坂港は黒船の時代の港としては小さすぎ、施設面で横須賀に劣るなど、インフラ面で問題がある、というものであったらしい。

 これに基づいて司馬は大久保の大坂遷都論を次のように評価している。

「これは推量だが、大久保にとっての大坂遷都案は、百年の大計から出たわけではなく、当座の現実認識から出た一種の暫定案だったのではないか。」

 然らず。
 大久保にとっての大坂遷都案というのは、ある伝統に則った上での国家百年の大計から出た、しかも当座の現状を踏まえた上での暫定案だったのである。
 その伝統と百年の大計から、江戸への遷都はすでに見据えられていた。

 次回、以前書いた大久保の遷都論に関する文章を掲載することにする。




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この記事へのコメント

よしよし
2011年09月26日 23:11
後醍醐天皇さまのお気持ちが、史跡を巡礼する内にある時に本当にわかった。それは争いのない民(たみ)中心の太古の日本にもどしたかったのだ。武士が利権をとるのではなく天皇一族が利権をとるのでもない。太古は天皇も田を作り機をおる労働者だった。天皇も民もひたすら高次の存在と、この世の安泰と子孫への真摯な深い愛そのものの祈りが根底にあった。利権社会ではなく、平等利益だった。と、つくづく思った。

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