建武の中興  (その二)

 三年前出版した『新西郷南洲伝』の上巻において、王政復古討幕の事業を叙述する上で、その下敷きとして「建武の中興」に触れておく必要がった。しかし、今、改めて「建武の中興」を振り返ってみて、その記述には、重要な点で未熟さがあったことに気づかされた。
 当時あとがきに書いたように、未熟な議論が含まれていることは承知の上で、従来の維新像に疑問を投げかけるために、史観の成熟を待たず、あえて私の未熟な議論をありのままに世に問うたのであったが、建武の中興に対する認識の問題点に気づいた以上は、修正しておく必要があるだろう。
 とはいえ、これもまた現段階での修正であり、成熟したものとはいえないことは断っておく。
 歴史認識はその意味で、完熟することはありえず、成熟までの道のりでさえ遠いものとわきまえておく必要があり、新しい認識に出会うたびに、その像を更新するくらいの心の用意が必要だ。ある本を読んで、それひとつで安易に得られるものではないのである。
 それを得るには、過去の事象を現代の感覚、価値観にひきつけるのではなく、先人の成果を手がかりにして、その対象となっている時代に自ら推参して、全人格的に何かをつかみ出してくる必要があるのだ。
 そして、それを継続的に行っていくためには、その歴史時代、歴史上の事象、人物に対するよほどの愛着が必要であろう。孔夫子の言う温故知新、すなわち故きを温めて、新しきを知るとは、そういった意味合いである。少なくともそれは冷ややかな態度でも、憎悪でもない。『論語』の編者が、孔子の言葉に、温という文字を当てて、書き伝えていることが重要である。
 そういった愛情に基づく心の作業を繰り返して、心に沈殿してくるものがあるとすれば、その積み上げられたものこそ、その人の史観と呼ぶに値するものであろう。

 ところで、現代に、楠木正成に愛着を持つ人はあっても、後醍醐天皇に愛情を持てる人は、なかなかいないだろう。その王政復古の志を認める者でも、後醍醐天皇に対する支持は、どこか理に基づいていて、情に基づくものとはいえないように思える。どこか敬遠されているきらいがあるのだ。
 私とて、それは例外ではない。
 『新西郷南洲伝』上巻で、後醍醐天皇について、次のように書いた。

「実は後醍醐天皇が目指していたのは、支那の皇帝のような専制君主であり、儒教の理想とする天子ではない。儒学を愛した前天皇花園上皇は、持明院統出身でありながら、大覚寺統出身の後醍醐天皇の政事を支持したが、それはやがて失望に変わっていく。多くの忠臣たちも、最初の期待が大きかった分、天皇の振る舞いや政治に失望していった。」
 
 私はまだ、この「建武の中興」という歴史事件に全人格的に取り組んでいるなどとと、とてもじゃないが、言える所まで行っていないし、あの時代に推参などもしていない。愛着を持って眺めることができるのも、楠木正成を代表とする南朝の忠臣であるし、多少なりとも親近感を持てそうなのは、武家の棟梁として振る舞い、結果的に「建武の中興」を破ることになった足利尊氏のほうである。少なくとも彼は善人とは言えても悪人ではなさそうである。
 後醍醐天皇には、何か生きた人間像のようなものが浮かんでこない。不撓不羈の信念に、驚嘆こそすれ、むしろ不気味なものさえ感じてきたのである。

 おそらく、それは後醍醐天皇の事跡に、こちらに愛着を抱かせる手がかりになるようなエピソードにかけるからだ。
 それに引き換え、批判的な文書、エピソードは豊富だ。
 当時の後醍醐天皇の利害対立者のみならず、宋学という、天皇と同じ価値観に基づき、同じ理想を追った人々でさえ、同じ価値観からの批判の言葉を書き残しているということが大きい。
同時代で言えば、後醍醐天皇と同じく宋学的理想を目指した、花園上皇がそうであったし、南朝の忠臣として名高く、『神皇正統記』の著者である北畠親房も、後醍醐天皇の施政方針のある面について批判的であった。楠木正成は献策を退けられても、そういった言葉を残さなかったが、少なくとも後世の人間は、『太平記』を通じて楠木正成に対して共感を覚えることで、間接的に、無意識的に、後醍醐天皇に対する批判を継承してきたといってよい。
 そのことが意識化されたのは、江戸時代の儒学者たちによってであった。
 彼らは同じ宋学的規範から後醍醐天皇の君主としてのあり方、施政を批判した。
 彼らが最も難じたのは、足利尊氏であったが、後醍醐天皇についても批判的であった。

 また、戦後の史家においては、どちらかといえば、足利尊氏の評価が上がり、後醍醐天皇の評価はさらに下降線をたどった。網野善彦は、後醍醐天皇に対する非難のために、『蒙古襲来』において、自身に宋学的規範に対する共感もないにもかかわらず、道学者花園上皇の日記における後醍醐天皇に対する批判を利用している。これは彼の価値観からすれば、他人のふんどしで相撲を取るようなものだが、同時代の、しかも同じ宋学者からの批判であるだけに、説得力はある。
 私が先に引用した、『新西郷南洲伝(上)』における後醍醐天皇に対する批判的文章も、これらの見解にのっとったもので、当時、私が参考にしていたのが、戦後のもので言えば、佐藤進一『南北朝の動乱』、網野善彦『蒙古襲来』、井沢元彦『逆説の日本史』、戦前のもので言えば、頼山陽『日本外史』および『日本政記』、そして、建武の中興に近い時期に書かれたものとして、北畠親房『神皇正統記』、著者不明ながら『太平記』であった。
 これらの書物を参考にして書いた『新西郷南洲伝』の記述については、参照のため、次回掲載することにする。
 中でも後醍醐天皇に対する批判は先に引用したとおりだ。 
 しかし、今の自分は、この記述に懐疑的である。
 情実をもう少し突き詰めてみれば、あのような断言は撤回せざるを得ない。
 つまり、後醍醐天皇が目指したものが、シナ皇帝流の覇道であったはずがない、ということだ。
 確かに、後醍醐天皇の言葉と伝えられる「朕の新儀は未来の先例」という言葉は刺激的で、皇帝流の覇道を裏付けているようではある。
 しかし、後醍醐天皇が、宋学的規範を通じて、その聖典たる四書、特に「孔孟の教え」を通じて、皇室の伝統が、ある裏づけを持って、自己の精神に脈打ち、ふつふつと漲っていると確信していたならどうだろう。
 彼の批判者たちが見たような、その形跡から眺めた後醍醐天皇の言動は、また違った意味を帯びてくるのではあるまいか。情実から、また違った趣を持つのではあるまいか。
 そういった予感が今の自分にはあるのである。
 
 
 
  
 



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