所功氏の皇室論の問題点 (その二)

 次にこの国の歴史・文明の本質に対する深い洞察からくる問題点について。

 すでに触れたように、所氏は自己を忠臣と規定し、その精神から皇室を見ているわけであるが、これに対して、西尾氏は日本の国体が君民共治であり、君主制と民主主義は両立していると見ている。つまり皇室あっての国民であり、国民あっての皇室であるという立場である。

 これに私は賛成で、天皇と国民は有機的一体であり、これを私は分かりやすく人の体に引き写して、天皇を頭部、国民を肉体であるととらえている。しかしこれは私個人の見解でもなんでもなく、常識を持って日本の歴史を眺めている多くの識者が頭に描いてきた伝統的な見解である。国体論は伝統および歴史に対する解釈の問題でもあるから、ここでは深入りを避けたいが、ひとつだけ言っておくことにする。
 連続した歴史の長い歩みとともに形成されてきた日本という文明を、時間とともに成長していく人間になぞらえるなら、その精神を形作る、その大本のところには幼少期のかすかな記憶があるだろう。大人の日常生活において普段意識されることはほとんどないが、ふとしたことがきっかけで意識に上ってくることがある、意識の奥底に刻印された記憶のことである。これは成長したどの個体にも当てはまるように、発展を遂げたどこの民族、文明にも言えることだ。日本文明におけるそれは大和言葉の世界であり、最も古いそれによって表された神話の世界だが、それと成長した現在の精神をひとつに結ぶのが皇室の存在である。
 皇室の歴史を遡ることが、すなわち我が民族の幼少期の記憶を遡ることなのである。
 幼少期の記憶が個性の源泉であり、合理主義的な、あるいは理性的な接し方を拒否しがちなように、文明の記憶というものもそういった接し方を拒否している。仮に合理的な接し方が可能なようであっても、それは外的環境に適応していかなければならない現在の自分が、生活していく為に、自己を欺いて、さかしらな解釈をしているにすぎず、生活状況の変化などによって、幼少期の記憶に付された合理的な解釈などは簡単に動揺してしまうはずだ。
 
 皇室を尊ぶという点では態度の共通している所・西尾両氏だが、この文明の源泉に対する接し方という点では、態度に微妙な違いがある。
 それはやはり前回触れたように、それぞれの自己規定と密接に関係してくるのだろうが、君民共治という国体観はおそらくは西尾氏と共通する部分があると思われるが、所氏が皇室に対する忠臣であろうと自己規定しているが故に、その視線は現在の皇室、特にここ数代の皇室に釘付けになっているような印象を受けるのだ。
 忠臣というアナクロニズムとは裏腹に、皇室のあり方については、アナクロニズムと近代主義とをない交ぜにしたような中途半端な危うさを感じるのである。

 皇室の伝統の中にも、大人の分別によって変えて行っていい部分(流行)と、理非を超えて堅持されなければならない部分(不易)がある。その不易の部分とは、皇室が皇室であることの本質的な部分であって、一時代の情況によって左右される理非などに、二千年以上にわたって継続されてきた伝統が変えられていい訳がないのである。元来、理屈などというものはどんな物にもくっつくという性格があるものである。一世を蔽う知性でも越えてはならない一線があるのだ。
 その根源的なところを理解しているのが、西尾氏なのである。
 所氏に対して、西尾氏は、忠臣より一般的な民の視点を以て、日本の歴史を、伝統の根源を探る自由な視点を持ち、それでいながら世界を広く見渡す自由な視点をもあわせ持っている。しかも歴史というものに対する態度には厳格なものがあり、近代科学における歴史の専門家という人たちが、おろそかにしがちな歴史哲学というものをしっかり踏まえ、知的怠惰に陥るのを免れているのである。
 所氏が知的に怠惰であるなどと大それたことを言うつもりはない。しかし忠臣というアナクロニズムに付随しがちな思考の不徹底と硬直化の問題はやはり免れてはいないのである。
 そういった所氏の皇室論の持つ傾きを知れば、皇室の伝統という観点から、自己の知を恃むという不敬を犯しているのが、むしろ所氏の方であることが分かるであろう。

 論語に次のようなエピソードがある。
 孔子には、世間から孔子より賢いと言われている子貢という弟子がいた。現代で言えば合理的知性の持ち主であるが、それを超えるものを認識する知性もかね合わせていて、確かに賢人の名に値する人物だったといえよう。子貢が自己の知性の限界を弁え、孔子を尊敬してやまなかったのも、その部分で及ばぬ物を感じ取っていたからである。
 その合理的知性の持ち主である子貢が、魯国において、告朔の礼(新しい月の始まりを宗廟に報告する儀式)が行なわれなくなって久しいにもかかわらず、その儀礼に用いられる生け贄の羊を、無駄であるからという理由で止めさせようとした。これに対し孔子は、「なんじはその羊を愛(おし)む、我はその礼を愛む」と言って、たしなめた。
 孔子が言わんとするところは、一見無駄であっても、お供えだけでも続けていれば、いつかその礼が復活することもあろうが、それさえも取りやめてしまえば、その礼が復活する道は完全に途絶えてしまうだろう、ということである。
 論語はその後どうなったかを記していないが、聡明な子貢は孔子の忠告を受け入れたことだろう。
 伝統とはそういうことなのだ。伝統の意味が分からなくとも、続けていればその精神が復活することもありうる。それは伝統を受け継ぐ物のひとつの責任と言っていいものである。私が伝統の立場から、西尾氏よりもむしろ、所氏の方が不敬の大罪を犯していることになると言ったのは、そういう意味においてである。

 伝統の中には、現代のように文字記録が確実に残れば復活できる類のものもあろうが、男系による皇統の維持という伝統は、失われれば回復の仕様がないものである。なぜに歴史時代の皇室が、この男系を守るということを頑なに守り続け、幾多の苦難を乗り越え、奇跡的に現代までそれを維持してくることが出来たのか。
 皇室がそれを守ろうとした理由はおそらく西尾氏が述べているように、女性天皇の結婚相手によって家系が乗っ取られる、すなわち易姓革命の拒絶にあったと思われるが、究極的のところは誰にも分からない。皇室の中にそういった遺訓があるのかどうかも分からないが、外の者には知りようがない。しかし皇室が男系による皇統の継承を守っていこうとしてきたのは動かしがたい事実であって、それは、これまで何とか守られてきたという、歴史事実の奇跡的な一回性が絶対的なものであり、途切れた瞬間に全てが失われてしまうものである。 
 だからこそ、そこをそこなう人間は皇室の伝統に対し、あえて大罪を犯そうとしていることになるのである。
 易姓革命の理論を説いた孟子は、仁をそこなう者、これを賊と言った。
 仁とはいわば伝統精神のことである。
 朝敵という刺激的な言葉を用いて、西尾幹二氏の問題提議を批判した旧皇族出身の方が居られたが、本質的な意味において、朝敵とはこの伝統精神をそこなう者、すなわち賊のことを言うのだ。その根源的な意味を問うことによって、忠臣と朝敵の位置関係は、逆転する可能性すらあるのである。

 次回はこの観点から、所氏の立論を眺めてみたい。
 

 

 


 




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河出書房新社
松崎 敏弥

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