所功氏の皇室論の問題点 (その一)

 今回は所氏の皇室に関する諸論の問題点について考えてみたい。
 私が所氏の著作で読んだことがあるのは、『新地球日本史 1』(産経新聞社)所収の「昭和天皇の近代的帝王学」、『皇位継承のあり方』(PHP新書)と、テレビ番組『たかじんのそこまで言って委員会』での発言くらいだが、これを前提に話を進めることにする。

 まずは所氏の自己規定についてだが、これは前回触れたように、番組で菅原道真の死を覚悟しての諫言を事例として挙げたことからも分かるが、それは朱子学的な忠臣のそれであろう。
 菅原道真は朱子学を生んだ宋朝以前の人物だが、日本史上初めて、学問を通じて立身出世を遂げた人物である。もちろんその学問の対象は漢籍だが、その見識を生かし、忠義を捧げる対象が皇室とされることで、日本的な良心の系譜に属する人物と言っていいように思える。江戸時代の学問によって理想化される忠臣の魁と言ってよい人物だ。
 国際政治学者の中西輝政氏は、この菅原道真を、聖徳太子、西郷南洲翁と並んで、歴史教科書で日本の子供たちに教えるべき重要人物として挙げている。氏は道真の「心だに まことの道に かないなば 祈らずとてや 神ぞ守らん」という和歌を挙げているが、日本人の良心に、もののあわれの感情に直接訴えてくる人物と言ってよかろう。
 聖徳太子、南洲翁と並んで、日本というものの本質を見抜いた理想主義的改革者であり、悲運に見舞われたその最期によって、日本人に敬慕の情を掻き立て続けている。
 
 所氏は、この天神さんと呼ばれる学問の神を、菅原道真公という尊称をつけて呼んでいることから、自らを皇室に忠なる朝臣と位置づけられていることは間違いないところだろう。
 あの西尾氏に対する批判の語気から察するに、いざ為すべき時が来たれば、皇太子殿下に対する、死を覚悟しての諫言を辞さないであろうことを私は疑わない。だからこそ、皇太子殿下に対する批判を公にした西尾氏の姿勢を強く咎めるだけの資格を多くの人が認めるのである。所氏の意見が視聴者に訴えかけてくる力を持っているのはそういったところにあるのだろう。

 しかし、よく考えてみるとちょっと待てよ、となるのだ。
 所氏が自己をそのように規定し、そのように生きるのは、皇室の護持を掲げる人としての鑑にすべきことではある。
 だが、この問題にそれは相応しいことなのか。
 西尾氏への批判として、それは適当なものなのか。
 この国の、歴史としての、文明としての本質を深くまで洞察しているのか。
 時代、時勢というものを見極めているのか。
 もっと言えば、所氏の主張に、堅実な人によく見られる思考の硬直化は見られないのか。
 
 いくつかの思い当たるところがある。

 まず所氏が挙げた道真公の事例についてだが、公は時の太政大臣へ死を覚悟しての諫言を行なったのであって、皇室に対するそれを行なったのではない。
 公は後に藤原氏の讒言に遭って配流の憂き目を見ることから見ても分かるように、この太政大臣を頂点とする当時の体制と対立し、それを牛耳る藤原氏と政治的に対立していたのである。だから公の皇室を思っての政治的主張を通すには、既得権益を守る側である藤原氏との対立を辞さない覚悟が必要であったし、当時の政治的対立というのは、大抵がどちらかの死を以てしか解消できないものであった。見通しの聞く頭脳を持った公が死を覚悟して主張したのは、公の置かれた立場の然らしむるところであって、忠義の行動ではあっても、今回の忠言騒動に適用されるべき事例とは思えない。 
 西尾氏は今回、皇太子殿下に対するご忠言と銘打って、広く問題提議を行なったのであって、それは目の前の政治的対立に対する発言ではないし、おそらくは今上陛下の皇太子殿下および皇太子妃殿下に対するご心配、ご意志に沿ったものでもある。それは皇統の断絶に対するご心配と拝察される。
 すなわち西尾氏の発言と天皇陛下のご意思が対立関係にあるわけではないのだ。
 これが所氏が挙げた事例が不適切であるとする根拠である。それは所氏自身を語っているに過ぎないのではあるまいか。

 現に西尾氏はこういった批判が的外れであることを、『皇太子さまへの御忠言』まえがきの始めの箇所で次のように述べている。

 私は日常生活のうえで、天皇の存在を必要としていません。それは普通のことだと思います。自分を陛下の臣下だと意識したこともありません。最近自分を「臣下」と呼ぶ保守系言論人がいて、言葉遣いのアナクロニズムに驚きました。最近の風潮がそういうところまできている現われですが、私はその種の感傷的な流れに掉さしておりません。

 自分を忠臣と規定していない人間に、お前は忠臣としての基準を満たしていないと批判してもナンセンスであろう。現に、西尾幹二氏は草莽の言論人、学者に他ならないのだから、この自己規定を咎める理由はないのである。
 もちろん官僚でもない所氏が自己を忠臣と規定して、気高く生きること自体はとても貴いことではある。日本の政治家、官僚に少しでも見習ってもらいたいものだ。彼らの中にこそ、今、そういった人材は求められている。(続く)

  





皇族の「公(おおやけ)」と「私(わたくし)」
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寛仁 親王 工藤 美代子

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