大和民族存亡の条件 (その四)

 ここまでの記述で、私が西尾幹二氏を全面的に擁護していると感じている人がいるかもしれない。
 でも私の中の感覚では必ずしもそうではないのだ。
 
 私は南洲翁に共感し、明治維新の精神、目指したところを、この国の民族的伝統の立場から称賛しているだけあって、所氏の忠言論はむしろすんなりと入ってくる。ああ、もっともだなと、素直に首肯するところがあるのである。
 後醍醐天皇への忠言が容れられず、文句ひとつ言わず、死地に赴いて、戦死した楠木正成に感動するし、維新の志士のバイブルの一つであった『靖献遺言』も読んだことがある。
 そして何よりも、維新の志士たちの忠義には素直に感動している。
 所氏も同じ思想的立場から西尾氏を批判していることは確かで、氏が挙げていたのは、菅原道真の時の太政大臣への、死を覚悟しての諫言の歴史的事例であった。簡単に言えば、経学儒教的な、朱子学的なリゴリズムの立場から、西尾氏を批判したのである。これは日本における忠臣の伝統からいえば、分かりやすい批判である。
 同じ「たかじんのそこまで言って委員会」に出演していた大高美貴氏の、御簾をこじ開けるような、という批判も、基本的に皇室に対する不敬という点では同じ批判であろう。もちろん神道的な感覚からの批判も、そこには含まれているはずだ。

 しかし、西尾氏の言い分を聴いていると、ちょっと待てよ、とても大事な問題提議を行なっているぞ、もっと冷静に耳を傾けてみるべきではないのか、となるのだ。この問題は忠義などの個々人の立ち居振る舞いの問題ではなく、皇室という、我が文明における核心部分の存在の玄妙深微さの問題ではないのか。

 私と西尾氏の思考経路は違う。
 氏の著作を読んでいて常々感じることだ。
 私は明治維新を、南洲翁の精神を日本文明の精髄とし、それを手がかりに日本文明のあり方、皇室のあり方を考えるが、西尾氏はそれとは違う。西尾氏の維新に対する認識は、こう言っては何だが、大した深みに達しているとも思えず、それを証拠に言及することも少ない。
 しかし、それでも日本の歴史を鳥瞰し、広く深い識見に基づいて提出される文明論、皇室論、これはあえて国体論と言ってもいいだろうが、それが示唆するものは、南洲翁の思想を通じて見えてきた私の国体観と、妙にクロスしてくるのである。
 私が、南洲翁にとらわれるという、直観によって近道を行き、そこに到達したのだとすれば、西尾氏は日本の歴史と世界に対する、根気よく分厚い思考を重ねた上で、そこに到達したということができるのではないかと思う。最近小林秀雄を読むようになって、西尾氏が何を踏み台にして、あるいは模範にして、独自の見解に到達したのか、少し分かってきたような気がするが、それでもその積み重ねられた知識と分厚い思考は、容易につかまれることを拒否して、卓然として立つが如き感を抱かしめるのである。 

 要するに、私は最近まではそれをつかみ切れていなかったわけだが、氏の『国民の歴史』や山本七平氏の諸著作など、私ではつかみきれない何かを持ちながら、非常に筋の通った思考する人びとの著作を読んで、常に南洲翁に対する強い信仰と懐疑を問い、理解を深めてきたのである。今思うのは、翁を問うことは、まさに日本を問うことであり、また天皇とは何かを問うことでもあった、ということである。 
 西尾氏の発言で激しく巻き起こった皇室を巡る議論に強い関心を抱き、所氏の心の底から激しく噴出してくるような怒りに感動するのには、それなりの理由があるのである。

 山本七平氏は、前述の『存亡の条件』の前書きで、次のように言っている。

「…では一体どうしろと言うのだ」と言ったところで、だれもそれに答えてはくれない。どうするかは自分で探さなければならない時代が来たのである。
 だがこれは、結局、多くの民族がやってきたことであった。そして何かを模倣するときはその対象は相手だが、手さぐりで探すときの基準は「自分」であり、探している対象も実は「自分の位置」すなわち自分なのであって、それ以外に何もないのである。従って手さぐりの第一は、いかにして自己を規定し、ついで世界における自己の位置を規定するかにある。
 そして、自己と自己の位置とは、どのように二つ以上の対象を見、その対象と自己の位置とを、どう規定するかで決まることであろう。この方法は、基本的には、大洋で船が自分の位置を測定する方法と変わらないはずである。…
 

 山本氏はかなり早い時期からこのことを言っていたわけだが、今こそそれは切実に求められていると言っても過言ではなかろう。西尾氏が、老いてなお、積極果敢な発言をしている背景には、その世界における日本の立ち位置を知った上での危機意識があるからである。
 要するに西尾氏は、山本氏が挙げた、この二つが作業ができているのである。

 所氏は一つ目の作業、すなわち自己規定は出来ているかもしれないが、二つ目の作業、すなわち世界における自己の位置を十分把握していないのである。これは所氏の見る対象が皇室ひとつしかないことからくる当然の帰結である。皇室とは民族レベルで見た自分自身であるから、結局自分しか見つめていないことになるのだ。
 しかも、西尾氏の問題提議で重要なのは、今世界は激変しようとしているということである。国際情勢が根底から変われば、自己の世界における位置づけは当然のことながら変更を迫られる。
 要するに、今、この国の指導層に求められているのは、自己規定が出来ていない人間が大多数を占める現状では、これがまずは為されるべきことなのは当然として、それが出来ている人でも、第二の作業、すなわち世界における自己の位置を見極める作業のやり直しなのである。

 西尾氏が、たとえば保坂正康・半藤一利・秦郁彦といった、昭和史家と呼ばれる自称保守、その実リベラルな著述家を大変な剣幕で攻撃しているのも、彼らの発言がこれらを大いに妨げているからである。
 実は前回述べた「王政復古討幕運動を、単なる権力闘争としか見ることができない、乏しい知性・醜態をさらしている人が未だ後を絶たないが、彼らの歴史を見る目は節穴だらけで、取るに足らないにもかかわらず、そういった歴史観を受け入れて納得している輩が多いのは嘆かわしい限りである」というのは、最近『幕末史』という本を出し、『文芸春秋』5月号でも維新史について語っている半藤一利氏を念頭においていた。
 『幕末史』は、以前、西南戦争のところだけ本屋で覗いて、立ち読みの価値さえないと思って止めたが、今回記事を書くため、念のため『文藝春秋』のほうの記事を読んでみたが、相変わらずのあまりの内容のお粗末さにあきれてしまった。恥ずかしくないのだろうか。自分の姿がわかっていないから恥ずかしくもないのだろう。
 私としては、司馬遼太郎の二番煎じのようで、何の独創性も感じない、このへぼ歴史探偵の早期の引退を勧告したいくらいなのである。

 はっきり言って、彼らの歴史観が通用する時代は終わっているのだ。
 同じ高齢者でも、この世界における自己の位置を探る作業をやり直せるか否かで、その人がこれからの時代に必要となるか、それとも不要となるかの分かれ目となるであろう。読者はそこのところを見極めなければならないが、おそらく彼らに付いている読者は、そういった精神的活力を老衰させている人が大半であろう。司馬さんの夢の中でまどろんでいるのだ。
 もちろんご隠居である限りはそれはそれでかまわない。ただ、これからの日本を背負って立つ若い人間はそうであってはならない、そういうことである。

 話を元に戻せば、問題は所氏の言い分にそういうところはないのか、ということなのである。



 

 


 

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この記事へのコメント

伊58
2009年04月25日 20:31
香り高い御論考が続いていますが、今回はまた現行の保守言論界の頂点付近の構造を明らかにしているという点で、大変な実力を示されたと思います。
一読、正論・WILL・諸君のスタメンは確実だと思うのですが、まだ原稿ご依頼は舞い込んで来ませんか(山本七平が百人斬り論争であれほど活躍した諸君は脱落しましたが)。
まだだとしたら、各誌の編集者の目は節穴さんというしかないですなー。
日本というものの淵源がもう少し解ってくれば、山本さんのキリストへのベクトルや西尾さんのヨーロッパ文明へのベクトルも大いに違ってくるようになるのではとわたしは予感しています。
その日が近いか遠いかは分りませんが、、、。
哲舟
2009年04月27日 13:33
いつも暖かい励ましの言葉をありがとうございます。
原稿依頼なんてとても、とても。まだまだ、意余って言葉足りずの文章しか書けません。今は自分の節穴を少しでも減らすつもりで書いています。
 読む側が、日本の根っこをなんとなくでもつかんでいれば、山本氏や西尾氏の文章ほど、視界を開く上で役に立つ論考もすくないのではという気がいたします。
今『存亡の条件』を読み直していますが、本当に鋭いことが書かれていて、目の覚める思いがします。
また西尾氏のまなざしは、やはり日本文明の淵源の方に向かっているのではという気がします。この点では、西尾氏は大変深く踏み込んでいて、それは荻生徂徠、本居宣長に深い関心を持っていることからも分かります。そこが私に、立つところあって卓爾たるが如き感を抱かしめるのだと思い、引き込まれるのだと思います。西尾氏の神はおそらく日本の神々でしょう。
伊58
2009年04月28日 07:11
山本七平氏の著作で覚えているのは、氏の日本軍体験を考察した一連の著作がもっとも鮮明で、あとは貞永式目論を除いてあまり印象に残っていないです。理解できなかったというか、焦点がぼんやりしたままといった方がいいかもしれません。古典解説のテープも買って聞いたことがありますが、どうも印象に残るほどのものはありませんでした。西尾さんは最近の焚書の紹介という大きな仕事がやはりいいですね。小林よしのりも戦争論で実際の手記をたくさん紹介して埋もれようとする民族の体験を若い人の中に蘇らせました。所巧さんの著作は一冊も読んでいないのですが、このような種類の著作があれば読んでみたいものだと思います。やはり時代の中にあった精神とどれだけ対話したかを確認したいのですね。大きな枠組みとしての文明論はそういった作業のかなたに明滅してくると思います。
哲舟
2009年04月28日 12:06
こんにちは。山本氏の文章が鮮明に記憶に残らなかったのは、やはりあらゆる伝統的規範から距離を置いて、理知的に腑分け・解析していくその態度が原因ではないでしょうか。日本の伝統を肯定的に生き、その中で充足して生きようという人には、共感、あるいは共鳴するところが少ないのではないでしょうか。
 山本氏の言論の持ち味は、論理の鋭さにあったと思います。敗戦によりイデオロギーやあらゆる価値観に懐疑的であった手塚治は山本氏にあったとき、尊敬していますと言って固く手を握ったといいますが、そこにもやはり戦争経験の傷痕を見ることが出来ます。
 
哲舟
2009年04月28日 12:06
(続き)伊58さんのおっしゃる西尾氏や小林よしのり氏の重要な仕事は、山本氏の仕事からどうしても抜け落ちざるを得なかったのではと思われます。渡部昇一氏なども、山本氏には感服、触発されながらもそういった部分の仕事をされた方ですね。時代精神と切り結んで、日本文明の不易と流行の中にまことを見極めようという仕事をされている方々です。
 所氏もそういった視点は多少はあるようですが、以前触れたように堅実ではありながら、視野の広がりと洞察の深さが欠けているきらいがあるように私には感じられてなりません。

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