「敬天愛人(その二)」 (南洲翁遺訓解説 2-2)

人は人を相手にせず、天を相手にするものなり。故に天より見れば我も人も同一に愛すべきなり。因りて己を愛する道を以て、人を愛するものなり。

(戸田務敏への教戒)


 南洲翁の「敬天愛人」思想は、聖書に由来するという説がある。
 実際、翁は新約聖書を読んだことがあったらしい。

 有馬藤太の回想に次の話があるのである。

 間もなく耶蘇(キリスト教)教師について、取調べるため、照幡(てるはた)大忠と神戸に出張した。耶蘇のことなど何にも知らぬからおおいに閉口した。
 その点では、西郷先生の眼の早いのには感心したものだ。
 いつだったか忘れたが、ある日西郷先生を訪問すると、

 『日本もいよいよ王政復古の世の中になり、おいおい西洋諸国とも交際をせにゃならんようになる。西洋では耶蘇を国教として、一も天帝、二も天帝というありさまじゃ。西洋と交際するにはぜひ耶蘇の研究もしておかにゃ具合が悪い。この本はその経典じゃ。よくみておくがよい』

 といいながら、二冊ものの漢文の書物を借してくれた。

 『私は無学でコンナむずかしいものはとても読めません』

 『自分で読めねば、今藤新左衛門にでも読んでもらえ』

 持って帰ったものの読むのはイヤだ。三、四十日ほどたってから先生に返してしまった。
 今度神戸に出張して、耶蘇教を調べるのにはたと当惑、あの時一ぺんでも読んでおけばよかったと後悔したものだ。


  幕末、慶応二年のパークスの鹿児島訪問前の一時期、藩主以下、漢訳の『大英国志』(トマス・ミルナー・ギブソン撰、慕維廉《ム・ウェイリヤン》訳)を研究したことがあったが、翁が西洋のことを漢訳経由で知ろうとした可能性は十分ある。
 また自らの規範が官学の儒教であることから類推して、西洋人の規範を国教のキリスト教の経典に見ようとするのは自然である。
 『西郷南洲遺訓』の九条に道は天地自然の物なれば、西洋と雖も決して別無し」と言っているところを見ても、そう確信させる経験があったことは確かであり、有馬藤太のこの回想はおそらく事実であろう。少なくともそれを否定する材料はない。

 有馬が権大巡察に任官していたのが明治三年頃であるから、翁が彼に聖書を読めと勧めた話はそれ以前のことになる。回想中の翁の言葉に「日本もいよいよ王政復古の世の中になり、おいおい西洋諸国とも交際をせにゃならんようになる」とあることから、王政復古の大号令煥発の前後数ヶ月中の話と思われる。
 つまり、翁が聖書を読んだのは、さらにそれ以前ということになるが、孝明天皇の崩御以後にそのような余裕はなかったように思われるから、おそらくそれ以前であろう。

 南洲顕彰会発行の『敬天愛人 第十四号』で、高柳毅氏(南洲顕彰館現館長)がこのことを検証して、翁が聖書を入手した可能性が最も高いのは、慶応二年末から翌三年六月頃までと推定している。
 その一つの根拠が、慶応二年六月のパークス訪薩の前後は王政復古を議する状況ではなかった、ということであるが、思想的に見て、遠島以降の翁の理想は王政復古実現にあるのだから(雄藩連合策そのものが王政を前提としている)、そのことは根拠にならない。従って、もう少し前倒しすることも可能だろう。 やはりパークス訪問に備えての『大英国志』研究時の可能性が高いように思える。あるいはそれがきっかけとなって入手して、パークスの訪薩以降に読んだのかもしれない。

 前述の高柳氏の論文によれば、翁が入手した漢訳の聖書は、香港で刊行された英華書院版の旧約・新約聖書の二冊ではないかとのことだが、少なくとも「ゴッド」を天帝と訳している以上、支那思想によって翻訳された聖書であることは間違いない。(ちなみに『大英国志』でも「エホバ」は天帝と訳されている。)
 つまり支那思想の概念によって翻訳されているのだから、支那思想に引き写された聖書である。聖書の思想そのままではない。

 すなわち、翁の聖書理解には、西洋人の聖書理解との誤差が存在するのであるが、支那思想によって理解された聖書思想は、翁に、聖書と儒教に相通ずる部分があること、そして、そこに儒教になじまない概念が存在することを、容易に理解させたはずである。

 そして、翁がそこから聖書の思想を斟酌して採り入れたとも解釈できるのが、冒頭の戸田務敏に与えた教戒の一節である。
 この一節は前回紹介した戸田への教戒に続く部分なのだが、中でもその後半の部分について、『西郷隆盛全集』編集者は「新約聖書〔マルコ伝〕おのれの如く汝の隣を愛すべし」との注を付している。
 確かにこのくだりは儒教的ではない。
 南洲翁が漢訳聖書を読んで取り入れたと考えられる部分である。

 しかし、そのことは、取り立てて声高に言うほどのことではないだろう。
 翁はそもそも学問の骨を欲に去ることに置いていたのであり、それを実践する上で良かれと思うものは積極的に取り入れた。儒教各派の説もそうだし、禅もそうである。
 欲を去るというのは、自意識に詰め腹を切らせるという、どちらかといえば内的、消極的作業だが、己を愛する道を以て人を愛するとなれば、積極性、実践性は嫌が上にも増す。つまり翁の進取の精神の表れであり、道を行なう上での心の工夫として、取り入れたということだ。
 良かれと思うものを何でも取り入れるのが、日本人の進取の精神の表れなのであり、それを自己に合うように換骨奪胎していくのが、いわゆる日本教であるとすれば、翁もまた、そういった意味での典型的な日本人なのである。

 しかし、翁は理性の人であり、進取に急な、分別を欠いた狂者ではない。

広く各国の制度を採り、開明に進まんとならば、まず我国の本体を据え、風教を張り、しかして後、しずかに彼(西洋)の長所を斟酌するものぞ」(遺訓八条)

 というのが翁の思想的立場なのであるから、自己の思想の本体である天地自然の道に、キリスト教の教えの長所を取り入れたと解釈するのが正しいのである。

 これを成しえた時点で、翁は儒教の枠を踏み越えた、普遍主義的な日本教の聖者への道を大きく一歩踏み出している。
 それを成しえたのは、翁が東西の別なしと言った天地自然の道を、自己の信仰として、すでに見つけ出していたからである。
 それも聖書に出会う前に。

 翁が、全く異質な文明である西洋との接触という、幕末の思想的混乱を力強く、理性的に乗り切ることが出来た大本のところにあったのが、中村敬宇同様に、天道思想にあったというのは偶然の一致ではない。
 この国の伝統が、彼らをして「敬天愛人」という崇高なる天道思想へと至らしめたのである。
 その、大綱のように、この国の先人たちによって太く縒り上げられてきた伝統こそが、現代日本の縺れに縺れた思想的混迷を解きほどく鍵を握っているのである。
 


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