昭和史問答 ②「西郷隆盛のいわゆる征韓論の全体像」

 今回は「西郷隆盛のいわゆる征韓論の全体像」という記事に付されたコメントとそれに対する回答です。

ヒロシさん

「これはよくご存知ですね。
 参考までに。
 林房雄氏の大東亜戦争肯定論によれば、満州経営のアイデアは島津斉彬にあるそうです。

 李鴻章は背後でロシアから賄賂を受け、密約を結んでいたようです。」


管理人

「私も南洲翁の満州への着眼は、島津斉彬から受け継いだものだと思います。
 
 露清密約の背景に賄賂のやり取りがあったとすれば、李鴻章も堕落したものです。」



ヒロシさん

「 ほかの方と違い、あなたは外交面でも信義を重んじる方。
 それなら、日本は日清戦争でも日露戦争でも朝鮮の独立を理由に戦争しましたが、国際公約を反故にして韓国を併合したことはどう思いますか?
 またそれをなじった安重根については?
 一進会は日韓合邦を請願しましたがそこでいう合邦とは国家統合のこと、吸収合併とは違います。
 これについてはどうでしょうか?」」

管理人

「確かに私は国際関係における理想は、信義を以て交わることだと考えております。しかし、それは日本国憲法前文にある『平和を愛する諸国民(具体的には当時の連合国ですね)の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した』というくだりに見られるような夢想的なものではありません。

 かつてこのブログの副島種臣に関する記事でも書いたことがありますが、副島は清朝に全権大使として派遣されたとき、清朝の官吏を前に、国際関係というのは、『孟子』の五倫五常に言うところの『朋友信あり』に当たり、そうあるべきだと説いていますが、それに近いです。
 そもそも信頼関係とはお互いの関係から生まれるものです。一方にのみ求められるものではない。
 相手が信用するに足らぬ相手の場合はどう対すればいいのか。

 再び一例としてあげますが、副島種臣は明治五年台湾原住民による琉球人虐殺事件が起きたとき、清朝との関係において次のような対処案を述べています。

 第一等の処置は、清朝自らに台湾原住民を処罰してもらう。
 第二等の処置は、清朝がそれを出来ない場合、日本と清朝が協力して、台湾原住民を処罰する。
 第三等の処置は、それも無理な場合、日本自らが台湾原住民を処置する。

 副島の発言は記録では次のようになっています。

「我見込み三等これ有り候。第一、支那政府にて琉球人を殺害し候土人を罰し候か。第二、支那と日本戮力(協力)して土人を罰し候つもり。右もならざれば第三の如し。第三、支那の手を経ず、直にホルマサ島(台湾)へ問罪の官員を派出の目的。」
 
 第一等とは互いに自主独立の国として信義を以て交われる関係で、第二等とは、互いに一応は自主独立の国ですが、相手国の統治能力がやや不足している場合で、第三等は信義を以て交われる関係とはいえない場合と言っていいかと思います。

 明治初期から大東亜戦争にいたる過程において、おおむねですが、日本の清朝や李朝に対する態度は、相手の態度や情勢を見て第二あるいは第三等の処置に出ざるを得なかったということではないかと思います。

 本来なら日本としては、自主独立の国としての清朝や李朝に信頼を置いて、国際的常識や道理を以て申し入れれば、それが行われる関係が望ましかったと思います。
 この記事を書くために、念のため、韓国人エッセイスト呉善花氏の『韓国併合への道』(文春新書)を読みましたが、併合に至る過程を見ていくと、日本側が心から、朝鮮人が自ら近代化を達成し、自主独立を維持してくれることを望んでいたことは間違いないと思います。
 もちろん日本側にも至らぬところが多々あったのは確かです。
 甲申事変の際の金玉均らに対する竹添公使の背信的態度や井上馨の不誠実な態度など、日本人として残念に思うところは多々あります。
 私はそういった立場から、『(新)西郷南洲伝』を書いて、南洲翁の征韓論の真相と道義性を明らかにしようとしたのです。もちろん日本の伝統精神に則ったものとして顕彰する意図を込めてです。副島種臣の主張を知ったのはその執筆過程においてでした。
 しかし明治政府の外交にいくら非があったからといって、それを以て即李朝側の非が棚に上げられて、日本が一方的に弾劾されていいということにはなりません。
 それほど李朝の混迷・頑迷・背信はひどかった。詳しくは呉善花女史の著書をお読みいただければと思いますが、大まかに言って李氏朝鮮は、内政に目を向けると、民衆は虐げるわ、軍制は貧弱で国土保全はままならぬわ、国家財政は破綻してどうにもならぬわ、外に目を向ければ、国際情勢が全く理解できず、日本の忠告には一切耳を傾けず、日清戦争までは宗主国である清朝に、その後はロシアに依存し、どんどん国土を侵害され、日本の安全保障を窮地に陥れました。日清・日露戦争ともに、その戦争目的は李朝に対する両国の影響力を排除することがその主な目的でした。日本の指導者の朝鮮に対する近代的自主独立国家建設の希望は本物だったと思います。
 しかし朝鮮の現状は、不平等条約を背負いながら、自らの力で近代的自主独立国家を建設しつつあった日本人から見れば不甲斐なく、しかも背信的で、大国に頼ろうとばかりする。
 極め付きは日露戦争の時にとった朝鮮の態度でしょう。 
 呉女史の本では、朝鮮は中立宣言を出したということになっており、公正な態度を取ったかのように思われるかもしれませんが、実はこれには裏があって、当時ソウルはロシア軍の制圧下にあり、日本軍が進軍路として朝鮮半島を利用できないよう、ロシア軍の示唆で大韓帝国政府から出されたものであったのです。しかもこの声明の数日後、日本海軍は黄海で朝鮮人を乗せた小型船を拿捕しましたが、その朝鮮人は、先の声明を発信した大臣自身の命を受けて、ロシア軍の旅順への出動を要請する文書を携えていたのです。背信もここに極まれり、です。
 日本が国家の存亡を賭けて、しかも朝鮮・満州からロシア勢を一掃するための戦争を遂行しようとしているときに、このような背信行為が行われたことををどう思われますか。
 世界の誰もが日本の敗北を予想し、日本人自身その困難さを思い、不安で居ても立ってもいられぬ時に、このような背信行為を行っては、日本人の朝鮮人に対する不信と侮蔑の感情は行き着くところまで行ったと見ていいのではないでしょうか。
 日本はこの戦争に何とか勝った後、朝鮮を国際社会の承認を得て保護国化し、ようやく朝鮮の近代化は推し進められました。
 これを推進したのが併合反対派の大物、維新の元勲の一人にして、元初代総理大臣、朝鮮初代統監に就任した伊藤博文でした。伊藤の改革が強引で強制的に推し進められたのは確かですが、明治初年から40年の経験を経て、もはや朝鮮人には何を言っても埒が明かぬという思いがあったのは間違いないと思います。
 もちろん日本も列強の動向や宗主国清の態度を慮って、姑息な対応に出たり、背信的な行動に出たことがあったのは確かですが、それは朝鮮に自主独立の国家になってもらいたいという思いが本物で、この思いが李朝に対する苛立ちとなって現れたものと見ることも出来るのではないかと思います。
 
 こういった朝鮮側の非を見ないで、棚に上げてしまい、その張本人が日本が公約を守らなかったといって難ずるのは、友人であったなら、まさに侮蔑に値する卑劣な態度なのではないでしょうか。それでも日本は朝鮮を信頼し、もっと朝鮮のために尽くさなければならなかったとでも言うのでしょうか。
 こういった事情で朝鮮の保護国化は行われましたが、伊藤の維新改革中も大韓帝国王室はオランダのハーグで行われていた国際平和会議に密使を送って、日本の主権侵害を訴えるという背信行為を行っています。もちろん国際社会は朝鮮のこの訴えを相手にしませんでした。
 そして伊藤の統監辞職後、安重根は朝鮮の独立という国際公約を守らなかったということで、併合反対派の最大の大物伊藤を暗殺し、いよいよ日本における併合の輿論が決定的となります。安重根は結果的に合併への最後の扉を押し開いた人物なのです。本人がどう思っていたにせよ。この人物を英雄としている朝鮮人の精神構造が日本人としては理解できない。大体暗殺者を英雄扱いすること自体が、日本人の感覚と合わないのです。幕末の攘夷派の志士で暗殺をした人物は沢山いましたが、誰一人として英雄扱いされていないでしょう。
 日本は伊藤の暗殺後、大韓帝国政府との間で合邦で合意に達し、その名の下合併を行います。後に合併時の政府の中心人物李完用は『だまされた』と言ったといいますが、ここまでの経緯を踏まえて、対等な合邦などというのが果たして現実的な政策だったと言えるでしょうか。これだけ性格の違う、しかも不信の極みにあった両民族の間に、日本の皇室と李朝の皇室という、統合の中心が二つあっては、あの激動の時代にうまくやっていけたはずがありません。そして事情を詳らかにしてみれば、どう考えても日本を主とし、朝鮮を従とせざるをえなかったと思います。
 だましたことについては、火事の家屋の中で遊びに興じる子供たちを、甘言で釣って外に連れ出したというたとえは朝鮮民族にとっての侮辱に当たるでしょうか。

 この時代における日朝の関係は、全く遺憾であったとしか言いようがない、というのが正直な実感です。
 ですから、ますます明治六年の時点で、南洲翁の大胆略である遣韓大使論あるいは征韓論が実施されていれば、と思えて仕方がないのですね。
 信義ある外交関係を確立するためには、まずは日本が誠意を尽くした態度を示さなければならなかった。それを超然として主張したのはただ一人、南洲翁だけだったのです。

 朝鮮民族が自尊心を傷つけられたのはよく分かりますが、自己の非を見つめて、同じように遺憾であったと心から感じてもらえる日がいつか訪れればと願ってやみません。」

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