篤姫、江戸城無血開城

 たかがテレビドラマ、されどテレビドラマ。
 NHK大河ドラマ『篤姫』最大のクライマックスといっていい江戸城無血開城が放送されました。
 北大路欣也の勝海舟かっこいいですね。
 宮崎あおいの篤姫も凛としていてとてもよかった。
 しかし純朴なる西郷さんと冷徹非情な大久保の描かれ方は、いくらドラマとはいえ、篤姫の引き立て役とはいえ、余りにも実像とかけ離れすぎていて残念です。岩倉具視もあれじゃかわいそうですよ。かつてはお札の肖像にまでなった人なのに。
 NHKも最近は視聴率を稼ごうとしているようで、しかも『篤姫』は当たっているようだから、これは作る側だけでなく、一般視聴者の明治維新に対する歴史認識劣化の反映といえるのかもしれません。

 少し前の「朝まで生テレビ」で、西尾幹二氏の『皇太子様へのご忠言』が取り上げられた際も、尊王思想が問題にされました。その中で歴史学者の高森明勅氏が、尊王といっても時代によって違い、戦前の尊王は最極点であったに過ぎず、大正には大正の尊王があり、明治の元勲の尊王はまた違うものだったという趣旨の発言を行いました。これに対し、田原総一郎氏がしたり顔で、西郷や木戸の尊王はあれですよ、玉を握るかどうかですよ、と言っていました。西郷や木戸の尊王は、攘夷同様、対幕府の戦略的なものであったと言いたいのでしょう。もちろん幕府との対決を控えていたわけですから、戦略的な面がなかったとは言いませんが、大変嘆かわしいことに、保守論客や歴史家が何人もいたにもかかわらず、誰もこれに異議を差し挟みませんでした。
 確かに王政復古の大号令の準備段階で、万が一のとき天皇の身をどうするかについての覚書(慶応三年十一月二十七日付)があり、西郷さんは天皇を玉と表現しているのですが、いくら田原氏の言語感覚が乏しくて、玉という表現で将棋ぐらいしか思い浮かばないからといって、維新の元勲までそうと早とちりするのはいかがなものか。また誰もそれを指摘しないというのはどういう事でしょう。
 それは現代人の卑近な感覚まで歴史上の先人偉人を引き摺り下ろして、貶めていることになるのではないでしょうか。
 玉とは、西郷さんの漢詩で言えば、「丈夫玉砕瓦全を愧ず」の玉です。すなわち玉砕の玉で、道徳的完成を表す言葉です。
 特攻隊の若者たちは、大東亜戦争という大義ある戦争で、その大義に死に、その生を道徳的に完成させることになるから玉砕と呼ばれるのです。ですから生きているうちから、一般民衆から神のように大切にされたのでした。
 そして天皇が玉とされるのは、道徳的に完成された至尊であることが潜在的に求められているからです。天子という表現も同じでしょう。
 これも歴史上の偉人の、現代的感覚による卑俗化の一例といえるかもしれません。まあ田原総一郎の場合、テレビの威を借るあの人のパーソナリティに問題があるといえなくもありませんが。

 話を『篤姫』に戻しますが、テレビドラマに対して野暮なことではありますが、いくつか事実関係を正しておきたいと思います。
 まず大久保と小松帯刀の関係について。
 王政復古の大号令煥発、小御所会議から三日後の慶応三年十二月十二日付の蓑田伝兵衛宛ての藩庁への報告書別紙の追記には次のくだりがあります。

「小大夫(小松帯刀)御上京の儀先便より申し上げ越し置き候通りに御座候間、なにとぞ桂(久武)大夫談仰せられ、早々御上京これあるよう御尽力なし下されたく平に願い奉り候。」

 その前便、十二月五日付蓑田宛大久保書簡追記。

「小大夫には少々ご快方に候はば、御勉強にて御上京相成り候よう、御尽力成し下されたく、万々願い奉り候。十分無事(王政復古の大号令煥発を)相遂げ候えばもちろん、事あれば殊更跡のところ大事に御座候につき、幾重にも御尽力、早々のところ伏し冀(こいねが)い奉り候。」

 鳥羽伏見開戦直前の十二月二十八日付桂久武宛書簡でも追記に同様のくだりがあります。
 本当に小松帯刀を欠いて、大変な思いをしていたのですね。
 最も状況の緊迫したこの時期、本来なら三人でやるべき仕事を二人でやっていたのですから、当然のことです。大久保は心から小松の復帰を渇望していたのです。そもそも三人の意見は一致していたのですから当然なのです。
 NHKなのですから、近代日本建国の父たちの史実を捻じ曲げてまで視聴率を追求するのはいかがなものか。
 『篤姫』の時代考証を担当した鹿児島大学の原口泉教授は地元の英雄を貶めるこの演出に一言申さなければならないのではないでしょうか。今『篤姫』の経済効果に沸いたとしても、薩摩の英雄の地位を引き下ろすことになるわけですから、長期的に見れば、むしろ薩摩の勢いを失わしめる結果になるでしょう。
伝統の芯を傷つけた地域が再生・発展するのは困難なのです。
 
 もう一つ。
 大久保や西郷さんがどうしても慶喜を処刑しなければならないと考えていたのは事実です。しかしそれは慶喜憎しでも、革命のため必要と考えていたからでもありません。あるいは、統帥の術として、こういった強く激しいことを言っておいて、味方の士気を高め、相手を圧倒して敵の戦う意思を挫き、本当ははじめから寛容な処分にすると決めているというわけではありません。
 これは原理原則の問題と考えるべきです。
 例えば、慶応四年二月中の大久保の徳川家処分の意見書が存在します。
 その第一条は「恭順の廉を以て、慶喜処分の儀、寛大仁恕の思し召しを以て、死一等を減じらるべき事。」とあるのです。
 これを素直に読めばよろしい。
 つまり慶喜が恭順なら死一等を減ずる、恭順しなければ死罪である、と。
 これは西郷さんと大久保があらかじめ示し合わせてあった方針であることは間違いありません。
 勝との会見は、第一回が三月十三日、第二回が翌十四日です。ドラマでは一回ということになっていますが、実際は二回あり、しかもその前の九日に、勝の意を受けた山岡鉄太郎と西郷さんとの間で会見が行われています。慶喜の恭順の意思が本物であり、勝が本当に恭順でまとめようとしているということを西郷さんが悟ったのは、この山岡との会見でです。
 この会見により、官軍側の条件さえのめば徳川討伐を取りやめるつもりに変わったのです。その直後にパークスからの横槍が入りますが、これも西郷さんの決断に駄目を押しました。しかし西郷さんは勝と会談するに当たって、そのあたりのことを隠しておきました。もちろん勝から見れば、この会見での西郷さんの大英断がすべてを決めたと思ったでしょう。
 ともかく先の意見書は、これらの出来事より前に提出されたものなのです。
 これまでの経緯から大久保や西郷さんは、慶喜が詐術を用いる人であるという認識を持っていて、大変不信感を抱いていました。薩摩藩の朝廷への働きかけは、常に慶喜によって覆されてきましたから、その不信感は大変根が深かったのです。その上慶喜は鳥羽伏見の戦で京都に攻め入ったのだから、西郷さんや大久保は彼をとんでもなくけしからんやつと思っていたのです。だから江戸に退いたのも何か腹に一物あると考えたのも無理はありません。しかも江戸には勝海舟という油断のならぬ知恵者がまだいる。京都にいる大久保も、その日記ででしたか、西郷さんが勝の罠にはまるのではないかというのを大変心配していますね。
 当時徳川と京都の新政府の間のコミュニケーションが全く途絶えていたことをよく考えなければなりません。
 朝廷側にあって慶喜のためにいろいろ取り計らってきた越前福井藩の松平春嶽でさえ、江戸から周旋依頼の手紙を送ってきた慶喜に対し、鳥羽伏見開戦前後の慶喜の行動を一喝しています。慶喜の側にも言い分はありましたが、彼があれこれ言い訳せず恭順一筋になったのは、これにより自己の非を悟ったからでした。ともかく両者のパイプは一時的に完全に途絶えたのです。
 東下中の官軍にとって箱根より先の事情はほとんど分かりませんでした。幕府が戦備を整えているのか、それとも恭順でいるのか。
 官軍は厳戒態勢で東下しますが、そこに勝の手紙が西郷さんの元に届きます。 
 慶喜は恭順の意で謹慎中である、箱根から先に官軍を進めるな、激昂した幕臣を抑えられなくなる、官軍を軍艦を使って兵を運んで、背後からこれこれこう攻めればわけもなく勝てるが、それをしないのは恭順が本気である証拠である。
 大体こんな内容だったと思いますが、これを聞いた西郷さんは激怒します。諸隊長を集めて、恭順といいながら箱根を越えるなと条件をつけるとは何事か、しかも恫喝している、勝はけしからん、と西郷さんは怒気を含んで言いました。
 これを士気を高めるための演技と見る見解もありますが、やはり勝の言い分を逆に受け取ったと見るべきでしょう。勝は率直に事実を述べただけだったのですが、これが却って逆効果で、西郷さんはより早く軍を進め、箱根の関所を一気に突破してしまいます。
 この非常に緊迫した状態で、山岡鉄太郎の勇気ある行動と、勝の大胆な方針が、江戸城無血開城という奇跡となって実を結ぶのです。

 このように篤姫の書簡で西郷さんが動かされたというのはフィクションです。静寛院宮も大変立派な嘆願書を官軍に送りましたが、官軍の方針はぶれなかったというのが史実です。
 ドラマ的にはともかく、天皇の下での公正な社会を目指した明治維新が、私的な義理人情に流されず、きわどかったとはいえ、公正さを逸脱しなかったということは、天下後世のためには喜ぶべきことだったのではないでしょうか。
 

(追記)
 ・・・ホームページ『敬天愛人』の掲示板「吉之助の部屋」のある方の報告によると、十二月六日土曜日の海音寺潮五郎記念館主催の文化講演会で、『篤姫』の時代考証を担当している鹿児島大学の原口教授の講演があり「篤姫、残り2回、どうか目をつぶってください。史実は0.1%、あとの99.9%はフィクションです」との発言があったとのことです。
 その0.1%の史実というのが、「その時期に、死んでいる筈の人物が出てこないこと」だそうです。

 たかがドラマ、たかがドラマ。・・・されど・・・。

 
 

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