西郷隆盛

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zoom RSS 道は天地自然の物にして、…天を敬するを目的とする 【西郷南洲翁遺訓解説】 第二十四条

<<   作成日時 : 2017/04/14 17:37   >>

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道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とする。 天は人も我も同一に愛し給うゆえ、我を愛する心を以て人を愛するなり。


(大意)道とは天地とともに自ずとあるものであるから、天地とともに生きるほかない人間もまた、これを行うものである。そして、それは至高の存在である天を敬するを目的とする。天は人を同じように平等に愛し給うから、我を愛する心はすなわち天の心であり、その心を以て人を愛するのだ。


【解説】「遺訓」の元となったものの一つに、明治八年九月に鹿児島を訪れ、翁に教えを乞うた庄内藩士戸田務敏の覚書がある。その中で、戸田の、学問の目的とは、との質問に対する翁の応答があるが、そこには次のようにある。

「忠孝は根本なるも、これを行う処を究むれば、天を敬し、人を愛すは第一の目的なり。道は天地自然のもの、天を敬するは本なり。総べて人は人を相手にせず、己を尽して天地を目的とするものなれば、必ず人を咎めず、己誠の足らざるを尋ぬべし。」

 また、「人を愛するの根元」との問いに対する翁の応答として、次のようにある。

「人は人を相手にせず、天を相手にするものなり。故に天より見れば我も人も同一に愛すべきなり。因りて、己を愛する道を以て、人を愛するなり。」

 人を愛せと言いつつ、人を相手にするなと戒めている。一見矛盾しているようだが、筆者なりの解説を施すとなると次のようになる。

 人を愛すとは人を思うということだが、個々の人物や特定の人間集団をもろ相手にしてしまってはいけない。「則天去私」すなわち「天に則り私を去る」をモットーとした夏目漱石が喝破したように、「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」が浮世の現実であり、これと一々まともにつき合っていては、愛憎にからめとられ、人情に流され、忠孝どころではなくなる。
 忠孝が根本であるとは、先祖代々仕えてきた主君にまごころを以て仕(つか)える忠心は同時に、祖先にまごころを以て事(つか)える孝心でもあって、人が世に立って生きていくうえで、目には見えないが根が地中深く張られることで、本となる幹がより強靭に支えられるということで、根本なのである。例えば、翁の根っこは菊池源吾と名のったこともあったように、南朝の忠臣であった菊池氏に出自を持つというところにあり、それを遡れば刀伊の入寇で攘夷の功を成した朝臣藤原政則に行き着くのである。この大地に張った深い根が翁の王政復古討幕の勤皇活動を精神的に支えたのである。一方の大久保利通が人事に拘泥し、権力を手放す事が出来なかったように見受けられるのも、こういった深い根を持たなかったからという穿った見方も可能だろう。
 孔子はある国の権臣に自分に媚びるよう示唆されて、「罪を天に獲れば祷るところなし」と言ったが、人を超えた存在である天を敬し、これを仰いでしっかり立とうとしなければ人はまっすぐ立っていることはできない。ということは、まっすぐ歩いて道を行くこともままならない、ということだ。
 『孟子』によれば、天意は民意を媒介して現れるとされている。だから民を愛さなければ、民意を感じ取ることはできず、延いては天意を感ずることが出来ない、ということになるのである。
 そこで『孟子』は一歩踏み込んで、為政者は人の心を取るような政治を心がけなければならない、と言ったのである。もちろんこれは仁義に基づく王道政治を堂々行って民心を取れ、ということであって、現在の民主主義制度で行われるような民意に阿る、あるいは民意を誘導する政事ではない。
 だから「天を敬し、人を愛す」すなわち「敬天愛人」は学問修行の第一の目的であり、本なのである。

 
 『西郷隆盛全集』の解説は、本条の「我を愛する心を以て人を愛する」のくだりに「イエスの考えと同じ」との注を付し、戸田の覚書の「己を愛する道を以て、人を愛するなり」のくだりに「新約聖書『マルコ伝』おのれの如く汝の隣を愛すべし」との注を付している。翁の思想の普遍性を強調したいのだろう。
 翁自身も天地自然の道と言って、東西普遍の道と考えていたから、これは翁の思想の注としては間違いではない。しかし、だから翁は実はクリスチャンだったとなると、本末転倒も甚だしいとしなければならないだろう。
 翁の思想の背骨はあくまでも「孔孟の教え」だったのである。本物のクリスチャンであった山本七平はだから、翁を「日本教の聖者」といい、わが国の武家政治家が歴史の節目節目で援用してきた『孟子』の天命思想、易姓革命の思想を「王道的人民民主主義」と呼んだのである。昭和天皇が敗戦直後の昭和二十一年元旦の詔書冒頭で、わが国の民主政治の起源として「五箇条の御誓文」を掲げられたが、その由来はこの長い年月をかけた「王道人民民主主義」の歴史的経験、すなわち伝統にあるのである。
 山本は決して『聖書』の思想と、これらの思想を混同する過ちを犯さなかった。
 翁はどこまでも日本の伝統中から生まれた英雄にして哲人である。

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