西郷隆盛

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zoom RSS 本当の意味での日本の復興

<<   作成日時 : 2015/08/22 17:41   >>

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 出典を明らかに出来ないが、昭和天皇は戦後日本の復興は250年かかるといわれたという。
 戦後70年の今日、安倍首相が様々な牽制を受けながらようやく公表した談話を読むと、昭和天皇のご心配は決して杞憂ではなかった。そんな気にさせられる。

 昭和天皇の御心を忖度するのは本来なら慎むべきことであるが、やはり重大な予言であることには変わりなく、日本の現在・未来を慮る上で、その達識は国民共有の認識であるべきではないかと思う。

 明治天皇も五ヶ条の御誓文の中で「上下、心を一つにして」と誓っておられるし、これを引用した昭和天皇も、「新日本建設の詔」の締めくくり部分で、「朕は朕の信頼する国民が朕と其の心を一にして、自ら奮ひ、自ら励まし、以て此の大業を成就せんことを庶幾(こいねが)ふ」と言っておられる。もちろん、上下、心を一つにするには、同じ目的、同じ価値規範、同じ認識を共有していなければなかなか難しいが、和の民である日本人が大業の成就に向けて力を発揮するには、時間をかけてこれらを達成していくほかないのではないかと思われる。
 


 前々回のこのブログ記事で、昭和52年8月の那須御用邸でのインタビューの内容を紹介した。いわゆる人間宣言の真意に関するご発言であるが、おそらく同じインタビューに関して毎日新聞が報道した内容の中で、昭和天皇は興味深いご認識を示しておられる。



 記事は以下の通り(黒田勝弘・畑好秀編『昭和天皇語録』から引用)。



【新憲法は制定までに天皇の地位をめぐって「元首」「象徴」の両論が対立、結局「象徴」となった。陛下は「それでいい」と、当時話されたという。この点について陛下は「第一条(憲法第一条)」、あの条文は日本の国体の精神に合っていますからいいと思いました。国体というのか、日本の皇室は昔から国民の信頼によって万世一系を保ってきた。その証拠には歴史が示すように戦国の皇室衰微のとき、戦国の武将、毛利元就、織田信長にしても皇室を尊崇して、お気の毒ということでばく大な財産を献上したことが歴史に書かれている。日本の国民は皇室を尊崇し、皇室もわが子と考え、大切にされた。その代々の伝統が今日を成した」と話された。陛下ご自身で『昭和史』をつづるお考えは?に対し「自ら編さんすることは、場合によっては、自分のことを称賛しなけりゃならん(他人に迷惑をかけるの意)こともあって、今のところ考えたことはありません」と答えられた。陛下は(略)「マッカーサー司令官との話はどこにもいわないと、はっきり約束を交わした」「男子の一言は守らなければならない」など時にはユーモアを交え、いろいろな思い出話を述べられた。】(「毎日新聞」52・8・24)



 おそらくこの会見で、例の「人間宣言」のご真意は述べられたと思われるが、小「朝日」と揶揄されることもある毎日新聞が略したのか、それとも『昭和天皇語録』の編者が略したのかわからないが、ここでは昭和天皇のもっとも重要と思われる発言が省略されている。


 それはともかく、250年という期間は平和が続いた江戸時代を連想させる。
 徳川家康が夏の陣で豊臣家を滅ぼした「元和偃武」から慶応末年(明治元年)の皇政復古までがほぼ250年である。「偃武」とは『書経』の言葉に由来し、武器を偃(ふ)せて武器庫に収め、文を修めることを意味する言葉であり、降伏により武装解除した戦後日本の今後の在り方として、この古言が昭和天皇の脳裏に浮かんでいたかもしれない。

 マッカーサーは藩屏を取り除くばかりか、皇室財産をも収奪し、皇室は戦国時代並みの衰微に追い込まれつつあった。国民は戦に倦み、人心には荒廃の兆しが見えた。そういった敗戦後の危機的状況の中で、一流の歴史教育を受けてこられた昭和天皇の脳裏に「元和偃武」以来の日本の歴史が浮かんでいたかもしれない。 

 皇室は武家に権力を奪われて以来、「偃武」の伝統を維持していた。これが戦国の世にあって皇室衰微の要因ともなっていたが、一方で、群雄割拠の中で、皇統が保たれる要因ともなっていたのである。この皇室の価値に気づいた戦国最大の実力者が織田信長であり、家康はこの路線をさらに拡充した。その上に、江戸時代に学問の花が咲くことになったのである。
 この儒学を軸とする学問の深化発展が皇室の権威を押し上げて、民の勤皇運動による維新回天の偉業となる。
 その意味で、皇室の「偃武」の伝統は古い伝統への回帰でありながら、時代を先取りしていたとも言える。

 幕末から昭和にかけて日本を取り巻く国際環境は西洋列強が角逐する世界的な戦国時代であったといえるだろう。戦国以来の皇室の衰微に直面した昭和天皇が、復興期の日本を「昭和偃武」と捉えて、模範とされた偉大な祖父、明治天皇のように維新回天の偉業を行う英君が現われるまで二百五十年を要すると算定されたと拝察されるのである。

 それまでは公武合体に如くはなし。
 昭和天皇は、もっとも衰微した時代の天皇といわれる後奈良天皇の次代・正親町天皇が織田信長に接したように、あるいは以後の歴代天皇が徳川幕府と接したように、今度は太平洋を渡ってきた傲岸不遜な武人マッカーサーと接せられたのかもしれない。そのためにはキリスト教を知っておく必要があるということで、皇室みずからが積極的にキリスト教を学ぼうとされたのだろう。
 皇室は、武器を武庫に収め、文を修める「偃武」の伝統に回帰されたのである。

 現代社会にあっては、時代はめまぐるしく変わっている。
 技術の進歩によって、世界は狭くなり、変化の速度は加速度的に速くなっている。二百五十年という数字をそのまま受け取るわけにはいかないが、日本人が、上下、心を一つにして、人類がこれまでなし得なかった大業に向かうには(おそらくそれが昭和天皇がお考えになられ、今上陛下が受け継いでおられる日本の真の復興であろう)、この認識を共有しておく必要があると思われる。

 そのためには官学がいまだ左翼的な価値観、自虐的な史観に席巻されたままの今日、再び草莽の方から学問の花を咲かせ、深化発展を遂げる必要があろう。
 安倍首相の談話を読む限り、越えなければならないハードルはまだまだ高いと言わざるをえないが悲観する必要はない。

 これまで自殺願望でもあるかのように、自虐的に、内攻的に樹海をさまよっていた日本人が、ようやく少し小高いところまで登って、自分の立ち位置を確かめ、あたりを見渡せるようになったのである。
 談話はそういった印象を与える。

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