西郷隆盛

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zoom RSS 大嘗祭の山頂と裾野

<<   作成日時 : 2015/08/05 17:46   >>

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大嘗祭についてずっと考えている。

知識は増え、理解は深まってきているはずなのに、知れば知るほど、謎は深まるばかりというのは一体どうしたことだろう。

樹海にでも迷い込んでしまったかのようだ。
頭上高いところに光は見えているのに、どの方向に向かえばそこに近づけるのかわからない。
 かと言って、どの方向に向かえば出口――謎から逃げ出すための――があるのかもわからない。



大嘗祭は日本というものをもっとも象徴する祭りの一つであり、山に譬えるなら山頂は高く聳え立ち、裾野は広い。

 その山頂に焦点を当てた研究は多いが、何合目までかで登りきれていないか、細部にこだわるあまり全体像がぼやけてしまった研究が多いようだ。
 そんな中でも前回紹介した折口信夫の「大嘗祭の本義」は示唆に富んだ良質な論文だろうが、そもそもが古代という霞がかった世界を窺うものである以上、どうしても限界がある。


 大嘗祭の確実な起源は天武天皇まで遡りうるが、その原型となった新嘗祭の起源まで遡ると神代にまで遡りうるから、さらに謎が多いのである。その辺まで行くと、霞がかってほとんど見えなくなるといっていい。


 そんな玉石混交の中で、高森明勅氏の『天皇と民の大嘗祭』は、現代的な視点で山の全容をスケッチした異色の研究である。特に山の中腹部から裾野にかけて鋭く太い描線で描いている。

 高森氏は新嘗祭と大嘗祭の共通点にその本質をみるのではなく、相違点にこそ本質が現われている、とのモチーフで両大祭を考察している。特に、新嘗祭が聖別された天皇に直属する畿内の御田からの収穫物で行われるのに対し、大嘗祭が主に畿外の百姓(おおみたから)――天下の公民との含みを持つ――の耕作地から卜(うらない)で定められた悠紀・主基両地方からの献上物で行われる点に注目して、公的・国家的収取を前提とする祭祀であると結論付けておられる。

 大嘗祭はこの枠に収まりきらぬものがあるとはいえ、大変重要な指摘だと思われる。


 終戦直後、昭和天皇は一部に行われていた非伝統的な現人神思想――日本民族が他民族に優越していて、世界を支配すべき運命を有するとの考えと結びついた絶対神としての現人神思想――を否定されたが、国民全般が共有していた伝統的な現人神思想まで否定したわけではなく、むしろその思想内容を再確認する内容の詔書を下された。それが昭和二十一年元旦の「新日本建設に関する詔書」であるが、これが天皇の「人間宣言」と誤解され、知性の未熟なものたちはそのまま信じ込まされたのである。
 
 ここで天皇と民の関係は、相互の信頼と敬愛の関係にあることが強調された。


「朕は爾等国民と共に在り。常に利害を同じうし休戚を分たんと欲す。朕と爾等国民との間の紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とに依りて結ばれ、単なる神話と伝説とに依りて生ぜるものに非ず。 」


これがそのくだりである。

そして次のように続く。


「天皇を以て現御神とし、且日本国民を以て他の民族に優越せる民族にして、延て世界を支配すべき運命を有すとの架空なる観念に基くものにも非ず。」


 これは天皇と民の関係が神話や伝説に起源をもつものであることは認めつつも、道徳的関係にあることが確認されている。だからといって、これを「人間宣言」によって伝統的な現人神思想まで否定したと見るのは、行き過ぎである。確かに、GHQの目を意識してどちらとも取れる表現となっているが、全体をよく読んでみれば普通の国語読解力を有するものならわかるはずだ。

 現に、昭和天皇御自身が後に、この詔書の第一(義)は冒頭の五箇条の御誓文――もちろん皇祖皇宗の神霊に対する御誓文である――とインタビューにお答えになられているし、昭和天皇とそのお考えを継いだ今上陛下が、国民との関係を大事にされる一方で、祭祀に熱心なのは良く知られるところである。

 戦後、歴史学界がマルクス主義に席巻され、かの詔書を「人間宣言」とみる学者が多くなった。そもそも象徴天皇制という言葉自体が、GHQに巣食った共産主義者の発明品であり、その起源はCIAの前身OSSに発するのである(『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』 加藤哲郎)。

 これに洗脳された学者は、大嘗祭に代表される皇室の祭祀は意味を失い、文化遺産的な地位しか認めないが、昭和天皇が詔書の中で再確認されたように、伝統的な現人神思想から言えば、天皇と民の関係は道徳的なものであり、これは神話や伝統に起源をもちつつ、儀礼という象徴的行為により、日本人としての模範を示し、国民共通の伝統的感情を呼び覚ますのである。

 著しくアメリカナイズされた戦後の教育の中で、伝統的感情は鈍化してしまっている。
 思えば明治の初め、学制が公布された時、それはアメリカの教育法を移植したものであった。
 明治十一年、明治天皇が地方巡幸された際、地方の優等生が英語はすらすら話せても日本語に訳すことが出来ず、また、高尚な演説は出来ても家業のことは何も知らない、ということに衝撃を受けられ、侍輔に「教学大旨」を起草させた。「教学大旨」は、時機をみて、当時内務卿であった伊藤博文に手渡された。これが後の「教育勅語」の淵源である。


 「教学大旨」から約七十年後、日本を侵略したアメリカが、彼らにとって脅威であった日本の高い民度を支えてきた、この「教育勅語」を廃止させたのは歴史の必然であったといえよう。

 今年はその敗戦からさらに七十年であるが、彼らが根絶を目論み、否定しようとした事が何であり、またその事の意味を問い直すことは、非常に大事なことである。
 その点、二十年以上前の今上陛下の大嘗祭を前にして、高森氏が「天皇と民」という視点からこの祭りの意味を問い直したことは、この祭儀の本義を問い直す上で重要な意義をもつものであったといえよう。

 しかし、「新日本建設の詔書」は、天皇と民の道徳による紐帯を示す内容であると同時に、天皇と皇祖皇宗という神霊との繋がりを示唆するものでもある。
 高森氏の卓見を土台に、この神との繋がりを大嘗祭に見出すことがこれからの日本のあり方を考える上で重要な意味をもつだろう。

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