西郷隆盛

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zoom RSS 皇室の権威  思想問題としての開国、そして文明開化 (その二) 

<<   作成日時 : 2015/05/12 16:04   >>

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江戸時代の皇室の権威回復現象についての政治学者・渡辺浩氏の見解。



 しかし、何故、禁裏の権威が、いつの間にかそれほど上昇したのだろうか。
 @外国を意識するほど、皇統の連続が貴重に思えてくるという事情は確かにあった。無論、それを公言したA浅見絅斎などの儒学者や、B国学と水戸学の影響も大きい。Cさらに、儒学的礼楽と平安の雅びの双方の美的憧憬の対象となったという面もある。美は力である。Dその上、二つの権威の並存故に、二大政党制に似て、政権党への不満の結果、在野党の人気が実績でなく、期待によって高まるというダイナミズムが働いたということもあろう。Eそして、より大きな背景として、体制の永い安定故に、持続と伝統が社会的権威の最大の源泉となっていた事実があろう。当時は自己主張が、しばしば我がイエや我が集団(町村・寺社・「仲間」「座」等)の歴史的「由緒」や「筋目」を誇る形でなされた。そのような状況においては、最古・最強の「由緒」「筋目」「格」を持つ禁裏がじりじりと権威を高めるのは当然である。多分、禁裏は近世後半の全国的「由緒」競争の最大の勝者だったのである。
 そして禁裏の一層の輝きは、「日本」とは天皇を戴く特別に優れた国、「皇国」だ、という自意識を強めた。



 ――渡辺浩『日本政治思想史』 第十九章「『瓦解』と『一新』」 ――

 
 大体、この通りだっただろう。
 
 しかし、その土台を作ったのは織田信長であり、それを継承した秀吉であり、その方向性をさらに明確にしたのが江戸幕府の開祖・家康であった。
 徳川家でさえ、源氏と称して、征夷大将軍として統治を行ったのであり、源氏の本家本元こそ、皇室に他ならない。
 この戦国三大覇者から説き起こしたほうが、戦国時代に衰微の極みにあった皇室が権威を回復するに至った経緯はより明確になっただろう。

 渡辺氏の当該著書名は『日本政治思想史[十七〜十九世紀]』となっており、その枠を外れることになり、戦国時代まで遡ることが出来なくても無理もないのだが、歴史の連続性を思えば、最低でもそこまで遡る必要があるのではないか、ということである。
 

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