テーマ:皇室

現代の錬金術師たちと日銀発行紙幣に隠された呪術(Yahoo!ブログ閉鎖に伴う挨拶を編集)

12月15日の閉鎖に伴い、本日8月31日をもちまして、記事の新規投稿、コメントの投稿サービスなどが凍結されます。  そもそも当ブログ(Yahoo!ブログ「国体学のすゝめ」)は筆者が『(新)西郷南洲伝(上)』(高城書房)を上梓した際、宣伝のために開設したブログで、2006年の1月まで遡ります。  13年半継続したことになります…
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「令和」ー新元号に思うこと

 四月一日、新元号が「令和」と閣議決定、発表されました。  何でまたエイプリルフールなんかに、という感じも致しますが、新年度の始まりということでしょう。事務手続き的混乱を避けるため、という政府の従来の説明とも矛盾しません。  新たな天皇の即位とともに発表されてきたこれまでのしきたりを破って、退位(本来なら譲位)される今上陛下…
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皇室と論語の出合い 【『皇室と論語』(七)】

 しばしばラジカルな問題提議を行ってきた西尾幹二氏の著作に、『皇太子さまへのご忠言』(平成二十年出版)という問題作があります。  現在皇室が直面している本質的危機に注意を喚起する内容で、氏の皇室に対する危機感と心配が、この、皇室に関する本としてはかなり刺激的な内容の本を生んだのです。  この本のまえがきの書き出しは西尾氏の皇室に対す…
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敗戦時の失われた記憶(壱)―天籟 【『皇室と論語』 (四)】

 小林秀雄は日本の伝統、いや日本そのものと言ってよい「和」の伝統を語るに際して、『論語』の言葉を引用して、これを語りましたが、これは日本人にとって実に深刻な意味を持っています。小林は日本の「和」の伝統が「君子相和し、小人同ず」を究極の理想的状態としながら、「小人同じて相和せず」の状態に陥りがちなことを示唆しています。もっと穿った見方をす…
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 天長節一般参賀と皇室の弥栄

 先日、平成三十年十二月二十三日は、平成の御代替わりを控えて最後の天長節(天皇陛下御生誕日)ということで、筆者にとって最初にして、今上陛下に対しましては最後となる、一般参賀に行ってまいりました。  内外の歴史を学ぶことを通じて、皇室の尊さとその御存在が危機に晒されていることをつくづくと感じている戦後生まれの筆者は、長和殿のベランダ…
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大嘗祭の山頂と裾野

大嘗祭についてずっと考えている。 知識は増え、理解は深まってきているはずなのに、知れば知るほど、謎は深まるばかりというのは一体どうしたことだろう。 樹海にでも迷い込んでしまったかのようだ。 頭上高いところに光は見えているのに、どの方向に向かえばそこに近づけるのかわからない。  かと言って、どの方向に向かえば出口――謎…
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皇室の秘儀中の秘儀 大嘗祭

 ここのところ、ブログの更新を怠っているが、執筆活動を休止しているわけではない。  現在、数年前に書き始めた「皇室と『論語』」の仕上げで手一杯で、ブログの更新まで手が廻らないからである。  「皇室と『論語』」は、このブログに書き始めた西尾幹二氏への批判を、発展深化させたもので、皇室と『論語』の思想のかかわりを歴史的にたどるこ…
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西郷隆盛の命日

 人皆、事を成すに、己が事はこの位の事は宜しきものと恕(ゆる)し、人の事は責むるなり。総ベて己に恕するだけは人をも恕し、人を責むるだけは己をも責むべし。畢竟、恕は人に帰し、責は己に帰すべし。因りて人を容れ、人に容れられては済まぬものなり。    忠孝は根本なるも、これを行うところを究むれば、天を敬し人を愛すは第一の目的なり。…
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西尾幹二氏へのもう数言

「皇室と『論語』」はまだ終っていないが、急がずにまとめていくことにして、西尾幹二氏が五月九日付のブログ記事「もうひとこと申し上げる」で次のような問題提議を行っておられるので紹介したい。 http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1290 「…最近、皇室問題がしきりに論じられるが、皇室が危機にあるか…
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皇室と『論語』 【五】   (「西尾幹二氏への数言 (六)」)

紀貫之は「仮名序」で、和歌の作用の一つに、鬼神をあはれと思わせる、つまり鬼神を感動せしむる、と述べたわけだが、『論語』にはこの鬼神について孔子が論じた数条がある。  ある弟子が孔子に知を問うた。  子曰く、民の義を務め、鬼神を敬して之を遠ざく、知と謂うべし。  「義務」「敬遠」の出典である。  ま…
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日本文明の二重性

 西尾幹二氏を中心とする現代史研究会メンバーによる討論を見て、興味深いことが語られていたので紹介したい。  西尾氏自身、歴史は未来から来るものであり、我々が動けば歴史は動く、というだけあって、現在の国際政治を意識しながら、歴史を深く掘り下げた内容の濃い討論となっている。 1/3【現代史研究会SP】「反日の米中連携」その実態と…
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転がらぬ岩

 西尾幹二氏の一言に端を発して書き始めた「皇室と『論語』」はようやく核心に入ろうとしているが、文章がなかなかまとまらない。  この内容は『西郷南州伝』を書いているうちに、すなわち明治維新という故き事を温めるうちに心の中に醸成されてきた日本の国体観、文明観であって、いずれ書かなければならないと思ってはいたものの、まだまだ先のつもりで…
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皇室と『論語』 (四)  

明治大帝を模範とされた昭和天皇は、この祖父が天地神明に誓われた「五箇条の御誓文」の精神を重んじられ、敗戦後、初めての国民への詔書(いわゆる「人間宣言」)で、新生日本建設の指針として「五箇条のご誓文」を掲げられたが、そのご誓文の原案の起草者であった由利公正は、それが四書の思想に由来することを自伝で告白している。  若き日の昭和天…
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今なぜ皇室と『論語』について書くのか

『西郷南洲伝』「維新初政」編 「薩摩藩邸焼き討ち」をブクログにて追加配信いたしましたのでお知らせいたします。  http://p.booklog.jp/users/yamatogokoro  テーマは旧幕・陸軍方主導の薩摩藩邸焼き討ちをどのように評価するかですが、大事なのは、江戸撹乱工作の意図を持たなかった薩摩藩首…
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さくら

 さくらが咲いている。  さくらと言えば日本というものを表象する樹木である。  さくらをこよなく愛す日本人の心性は古代から変わっていない。  ここのところ、日本人と『論語』について考えているが、この国に最初にこの書物をもたらしたとされる百済からの渡来人・和邇(王仁)について調べるうち、この伝説的な人物が、古代日本人にとって…
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皇室と『論語』 (参)  

 「道」は過去と己を結ぶものであると同時に、未来へと続くものである。  現在はその間に存在する。  そして、現在にあって「道」は生きるしるべ(導・標・知る辺)となる。  この『論語』との出合いから、我々日本人は豊かな口承伝承の世界を土壌にして、自覚的に歩き始めるひとつのきっかけを得た。  考えてみれば、我々日本人ほど、「…
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皇室と『論語』 (弐)

 西尾氏に対しては、まさに釈迦に説法のような話が続くことになるが、「動かぬ真実を探しても無駄」との一言で戸惑った自分の考えをまとめるために書いている。戸惑ったのは、むしろ真実と信じていたものが意外と簡単に揺らいだことにあったかもしれない。  だから、この文章を書く目的は、西尾氏の見識に対する批判というよりも、日頃よく読んでいる西尾氏の…
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皇室と『論語』 (壱)  (「西尾幹二氏への数言」【その弐】)

 ところで、卓爾たる西尾氏の言論の立つる所とは一体何なのだろう。  これはいつも西尾氏の著作の通読後に残る余韻である。  山の実体を信じ、地の道をてくてく歩いていこうとしている自分には、なかなかつかみにくい。  そんな大地からの目線で、西尾氏の志を忖度するなら、その意識において、近代西洋文明そのものと対峙し、これを乗り越えようとし…
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お知らせ

 毎月十五日は『西郷南洲遺訓解説』の配信日ですが、三月はお休みさせていただきます。  なぜ、南洲翁の事跡、そして『論語』が問われなければならないと筆者が切実に考えるのか、その根拠を問うた記事『西尾幹二氏への数言』をブログでアップするので、そちらを代わりにお読みいただきたくことでご容赦いただければと思います。  第一回記事は既…
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織田信長と真暦

 前回までさくらをテーマにした記事を連載したが、「さくら(その弐)」で本居宣長の「真暦考」を紹介する中で、織田信長の本能寺の変が闇夜を選んで行われたことに触れた。  明智光秀の謀叛の動機は諸説あっていまだ謎であり、言わば歴史の闇に属するものだが、少なくとも、信長が数十名の小姓衆を連れたばかりで京都に滞在中である上に、闇夜であること…
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『古事記』 千三百回目の誕生日

 本日、二月十九日(旧暦正月二十八日)は、元明天皇から稗田阿礼の誦習する『帝紀』『旧辞』を筆録して史書を編纂するよう命じられた太安万侶が、これを完成し、献上した日に当たる。 『古事記』ウィキ解説;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98  ちょうど千三百…
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船中八策

 橋下徹・大阪市長が主導する大阪維新の会が選挙公約の骨子を、坂本龍馬の船中八策にちなんで、「維新版・船中八策」と名づけて公表した。 「(大阪維新の会の選挙公約は)国民に嫌なことばかりだ。ただ、これをやり切れば、日本はもう一度リンゴがふさふさ(実る国)になる」 (読売新聞2月15日付) 橋下徹・大阪市長、「大阪維新の会」代表…
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日本人の国際主義 (その参)

 勤勉さは日本国民が世界に誇るべき特色にして、国民経済を支えてきた美徳である。  十一月二十三日は「勤労感謝の日」だが、その趣旨は、「祝日法」によれば、「勤労を尊び、生産を祝い、国民たがいに感謝し合う」ことにあるとされている。  まことに結構な趣旨だが、いわゆる「祝日法」、すなわち「国民の祝日に関する法律」は、昭和二十三年、アメリカ…
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建国記念日 (再掲載)

 本日は建国記念日。  いわば日本国の誕生日である。  かつて建国記念日は紀元節と言ったが、その日本国の誕生日である紀元節を祝う歌があった。  紀元節の歌 1893(明治26)年-官報3037号付録 作詞 高崎正風     作曲 伊沢修二 一 雲に聳(そび)ゆる 高千穂の 高根おろしに…
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昭和の日

 本日は「昭和の日」。  今上陛下の御父君にあらせられる昭和天皇の御誕生日、すなわち「天長節」である。  昭和天皇の天長節の御祝いは、天皇崩御後、平成の御世となってからは名前を「みどりの日」に改められて存続したが、平成十七年、国会で「国民の祝日に関する法律」(祝日法)が改正され、平成十九年より「昭和の日」と改められることとなって…
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東日本大震災に対する天皇陛下の大御心

「この度の東北地方太平洋沖地震は,マグニチュード9.0という例を見ない規模の巨大地震であり,被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。地震や津波による死者の数は日を追って増加し,犠牲者が何人になるのかも分かりません。一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています。また,現在,原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案…
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謹賀新年

 皆様、新年明けましておめでとうございます。  本年が日出ずる国日本再生の元年となりますよう、祈り、また微力ながら尽力してまいりたいと思っております。  本年も宜しくお願い申し上げます。
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天長節

 本日は天長節。  天皇陛下の御誕生日です。  今上陛下は昭和八年十二月二十三日早朝、当時三十二歳の昭和天皇の第一皇子としてお生まれになられ、継宮明仁と命名されました。  本年で御歳七十七歳となられました。  今上陛下の御健康と御皇室の弥栄(いやさか)を心より御祈り申し上げたいと思います。 …
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さくらを詠んだ昭和天皇の御製 (再掲載)

風さゆる 冬は過ぎて まちにまちし   八重桜咲く 春となりけり                  この歌は、昭和二十七年四月二十八日に、サンフランシスコ平和条約が発効して、日本が独立を回復したときに詠まれた御製です。  日本はそれまで旧連合国、現在の国連常任理事国の占領下にあり、言論は統制され、日本の伝統は本質的な危機にさ…
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詩楽の伝統から維新へ (その三)

 岩倉具視は、連綿として続く万世一系の皇室を根源とする、万国に冠絶した純正淳朴の美政、礼楽征伐が、日本本来のあり方であり、古代からの理想であることを述べた上で、中葉以降の武家政治のあり方を批判した。  これは、慶応三年十月当時、統治能力を欠いて、失政を繰り返す徳川幕府に対する批判として表出した伝統思想であったことを縷々述べてきたつもり…
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