テーマ:皇室

さざれ石

君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで   この写真は霧島神宮境内にある細石(さざれいし)。(霧島神宮→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%A7%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E5%AE%AE)  由来は以下の碑…
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君が代 (再録)

君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで    この歌が明治天皇の前で正式に奏楽されたのが、明治十三年の天長節(11月3日)のこと。  しかし、その動きの起源は明治三年にまで10年さかのぼることになる。    明治三年八月から九月にかけて大久保利通は、近々交代帰国することになっている、皇…
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小沢一郎の歴史的役割 (その四)

小沢一郎氏のウェブサイトを開くと、次のようなことが書かれている。 「若い頃から歴史に興味があり、幕末から明治維新にかけての色々な書物を読んだが、なかでも維新の功労者、西郷隆盛の「敬天愛人」「至誠通天」という言葉が好きだ。「人を愛し、誠意を尽くす」というのは、政治はもちろん、人生において重要な部分だと思っている。 …
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新日本建設に関する詔書

以下は昭和二十一年一月一日、すなわち終戦後初めて迎える正月元旦に発せられた「新日本建設に関する詔書」全文です。   茲(ここ)に新年を迎ふ。顧みれば明治天皇明治の初国是として五箇条の御誓文を下し給へり。  曰く、  一、広く会議を興し万機公論に決すべし  一、上下心を一にして盛に経綸を行ふべし  一、官武一途庶民に…
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君が代  (新年の挨拶に代えて)

君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで    この歌が明治天皇の前で正式に奏楽されたのが、明治十三年の天長節(11月3日)のこと。  しかし、その動きの起源は明治三年にまで10年さかのぼることになる。    明治三年八月から九月にかけて大久保利通は、近々交代帰国することになっている、皇居…
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小沢一郎の歴史的役割 (その三)

 報道によると、亀井静香金融・郵政改革担当相は、27日のテレビ朝日の番組で、24日の宮中午さん会で今上陛下とお会いした際、「恐れ多くも陛下に、『こういう権力の象徴であった江戸城(跡)にお住まいになられるのでなく、京都か広島に(お住まいになれば)』と一方的に申し上げた。陛下は黙っていた」と述べたそうだ。また、番組終了後には記者団に「(陛下…
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小沢一郎の歴史的役割 (その二)

下の討論番組で、小沢一郎氏の憲法解釈が、如何にでたらめなものであるか、国際アナリスト藤井厳喜氏によって憤りを込めて解説されているので、よくご覧いただきたい。   後半では、西尾幹二氏によって、皇室の位置付けに関する憲法改悪に向けての最悪のシナリオが切々と訴えられているので、国民必聴である。これは、NHKを始めとするマスメディアが中国…
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小沢一郎の歴史的役割 (その一)

 小沢一郎は、韓国での講演で述べているように、戦後一世を風靡した江上波夫の「騎馬民族征服王朝説」を支持しているそうだ。  (「騎馬民族征服王朝説」ウィキペディア解説 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A8%8E%E9%A6%AC%E6%B0%91%E6%97%8F%E5%BE%81%E6%9C%8D%E…
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独裁権力者 小沢一郎

 ついに、日本の伝統、歴史にとって格好のヒールが歴史の表舞台に登場にしてきた気がする。  まずは、『日本文化チャンネル桜』のこちらの報道を見ていただくことにしよう。  ローリングストーンズの『リスペクタブル』を、紹介されている映像のBGMとして流しながら、視聴していただくとありがたい。  ついで、この件に関する…
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検証!いわゆる人間宣言 (その一)

 以下は昭和二十一年一月一日、すなわち終戦後初めて迎える正月元旦に発せられた「新日本建設に関する詔書」全文です。  この詔書の趣旨がどこにあるか、本当に人間宣言などしているのか、よく読んでみてください。  茲(ここ)に新年を迎ふ。顧みれば明治天皇明治の初国是として五箇条の御誓文を下し給へり。  曰く、  一、広く会…
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皇室の理想像 (その二)

 以上の歴史的背景を踏まえれば、その中心に皇室を据えて、重厚にして、重層的な構造を持つ日本の伝統において、江戸時代のストイックな学問的成果をすっ飛ばして、いきなり近代的天皇像と古代を結びつけようとすれば、所功氏のように、感傷的なアナクロニズムに陥るのはある意味当然と言えよう。  だが、こうした民の意志と運動によって成った皇室復興の歴史…
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 皇室の理想像 (その一)

 ここまで所功氏の諸論を、その姿勢・思想にまで踏み込んで、批判してきたわけだが、やたら『論語』の言葉を引用して、その問題点を指摘・批判してきたことに、違和感を覚える人がいるかもしれない。  確かに左の価値観に毒されている人には、こういった批判は念仏にしか聞こえないであろう。彼らの多くは、新しいものを無条件に進歩的で正しいと信じ、古いも…
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伝統に関する問答 ④

 『南洲翁遺訓解説』が中断したままだが、西尾幹二氏と所功氏の議論から、日本文明の核心、そして今の日本の危機の本質が何であり、日本人は今何をしなければならないか、という重要な問題の答えにまでたどり着けそうな予感があるので、このまま論考を続けることにする。もちろんそれは『南洲翁遺訓解説』のテーマとも重なってくるものである。  その前に…
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所功氏へのご忠言 (その二)

 現代のこの日本においては、人に死を覚悟して発言せよ、などと誰も強制できはしないし、それは許されないことである。  もし、それでも所氏が、皇室への忠言には死の覚悟が必要と言うなら、ご自身がそうされればよい。  しかし、これまで検証して来た氏の発言内容から言えば、伝統の切捨てに何のためらいもなく、万一の場合、伝統が根本的に変質した皇室…
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所功氏へのご忠言 (その一)

 所功氏は、西尾幹二氏に対し、忠言を行なうならば、菅原道真がそうしたように、死を覚悟して、しかも本人に対し行うべきだと言った。  道真公の事例が不適切であることはすでに指摘したが、その主張も、忠言のあり方を問う人間としては、中途半端であり、不適切極まりない。  なぜなら、忠言・諫言とは、主君に対する誠心から発せられるものであると同時…
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所功氏の皇室論の問題点 (その三)

男系による皇統の継承を安定的に維持する上での主な対処法として、皇室が伝統的に確立してきた、旧宮家の皇族復帰、側室制度・養子制度の復活が考えられるが、この問題について所氏はどのように言っているのか。 まずは旧宮家の皇族復帰について。 現行「典範」は、前述のとおり、一方で旧典範が皇族男子を確保するために認めていた側室の庶子…
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所功氏の皇室論の問題点 (その二)

 次にこの国の歴史・文明の本質に対する深い洞察からくる問題点について。  すでに触れたように、所氏は自己を忠臣と規定し、その精神から皇室を見ているわけであるが、これに対して、西尾氏は日本の国体が君民共治であり、君主制と民主主義は両立していると見ている。つまり皇室あっての国民であり、国民あっての皇室であるという立場である。  …
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所功氏の皇室論の問題点 (その一)

 今回は所氏の皇室に関する諸論の問題点について考えてみたい。  私が所氏の著作で読んだことがあるのは、『新地球日本史 1』(産経新聞社)所収の「昭和天皇の近代的帝王学」、『皇位継承のあり方』(PHP新書)と、テレビ番組『たかじんのそこまで言って委員会』での発言くらいだが、これを前提に話を進めることにする。  まずは所氏の自己規定…
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大和民族存亡の条件 (その四)

 ここまでの記述で、私が西尾幹二氏を全面的に擁護していると感じている人がいるかもしれない。  でも私の中の感覚では必ずしもそうではないのだ。    私は南洲翁に共感し、明治維新の精神、目指したところを、この国の民族的伝統の立場から称賛しているだけあって、所氏の忠言論はむしろすんなりと入ってくる。ああ、もっともだなと、素直に首肯する…
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大和民族存亡の条件 (その三)

 我が日本文明の盛衰、消長を象徴するのが、我が文明の中心たる皇室の存在である。  西尾幹二氏は、昨年話題になった皇室に関する一連の言論活動で、この皇室が危機に瀕していると、強い警告を発したのだ。それはすなわち、我が文明が危機に瀕しているということと同義である。  これに対し、皇室を深く敬愛し、これを信仰する立場から、言葉を慎め、もっ…
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大和民族存亡の条件 (その二)

 山本七平氏は民族・国家存続の条件として、各人が精神的奴隷状態から脱することを提示した。しかし、それは安易に到達できるものではないし、誰にでも可能なものではない。各人が置かれた状況もあろうし、本人の資質の問題もある。  そもそも人間は、本人がそれを意識しているか否かは別として、隷属する対象を持たないで生きていけるほど強い生き物なの…
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皇室問題をめぐるテレビ番組での議論

 昨日(4月5日)放送の「たかじんのそこまで言って委員会」に、西尾幹二氏と所功氏が出演していた。ともに私が強い敬意を抱いている知識人である。  テーマは皇室問題。  両者は、昨年西尾氏が雑誌「ウィル」に書いた論文をめぐって、激しく意見が対立する間柄であるが、ともに深く皇室を崇敬しているという点では一致している。  ただ、意見の…
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 日本の国体

「せごどんの参謀」さんという方から、興味深いコメントをいただきましたので、これについて考えてみたいと思います。  そのコメントとは次のようなものです。 「戦前の日本は天皇=国家(すなわち日本文明=日本政府)の混同にあったせいで、不安定な社会になり戦争で負けてしまった。 それ以前は日本文明(国体)は日本政府(政体)とちがって、永…
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日本人を動かす怨霊信仰と和の原理 (その二)

 保元の乱から承久の変にいたる一連の流れで、皇室が権力を喪失していくことになった最大の要因を、『逆説の日本史』の井沢元彦氏は、律令制度の根幹である公地公民制が当時の日本の実情に即さなくなっていたからだとしています。  これは藤原氏の専横によって全国に蔓延した荘園が、公地公民制を有名無実化し、その結果として、土地支配の不安定化から、開拓…
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日本人を動かす怨霊信仰と和の原理 (その一)

 五回に亘って、井沢元彦氏の『逆説の日本史』(小学館)に基づいて、崇徳上皇怨霊化の過程を追ってきました。  私が、西郷隆盛に一見関係のない崇徳上皇に関心を持ち、数回にわたって書いてきたのは、そのことが、西郷隆盛という歴史上の巨人の文明史的意義を考える上で、非常に重要な観点を提示しているからです。これまで西郷隆盛を顕彰する史家や知…
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崇徳上皇の怨霊化

 今回は、あの明治大帝をも恐れさせ、明治への改元にも大きな影響を与えた崇徳上皇の呪いについて述べたいと思います。  崇徳上皇の曽祖父は後三条天皇と言って、皇位を白河天皇に譲った後、院政を行って、荘園を整理して藤原摂関家の勢力を抑え、天皇の権力の回復に努めた人でした。後三条の母は藤原家出身ではなかったため(つまり藤原氏を外戚・外祖父…
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日本史上最大の怨霊 (その二)

 前回、崇徳上皇を取り上げましたが、今回はその続きです。  なぜ、崇徳上皇が皇室の精神史を理解する上で重要な存在なのか。  日本史の見方にはいろいろな見方がありますが、皇室が世俗政治において権力の中心にあったか否かで区分するのも、ひとつの重要な視点だと思います。  今、皇室から武家へ(鎌倉幕府の成立)、武家から皇室へ(明治維新…
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日本史上最大の怨霊 (その一)

 前回、NHK番組『知るを楽しむ』の「この人この世界・神になった日本人」で西郷隆盛が取り上げられたことについて触れましたが、民俗学者小松和彦氏の解説について、月並みであまり見るべきところのなかった今回よりも、私はむしろ、その数回前に取り上げられていた崇徳上皇のほうが興味深かったです。  西郷隆盛は、民俗学的にみて、深く追究すれば大変面…
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西郷隆盛と本居宣長『古事記伝』 (その二)

 つい最近のことですが、夜11時からのNHKの番組、爆笑問題がある分野の権威を訪ねて、話を聞くという『ニッポンの教養』という番組で、日本思想史の研究家子安宣邦という学者が出てきました。  この方は江戸時代の独創的な学者である伊藤仁斎、荻生徂徠、本居宣長について多く書いている学者です。岩波文庫の本居宣長の著作の校註なども行っています。 …
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西郷隆盛と本居宣長『古事記伝』 (その一)

 鹿児島に西郷南洲顕彰館という施設があります。  西郷隆盛を中心とする西南戦争戦没者墓地と南洲神社に隣接して立てられた西郷隆盛を顕彰するための施設です。  そこには数多くの貴重な遺品が展示されているのですが、昨年末訪鹿の折、そこに西郷隆盛が読んだ本居宣長の『古事記伝』が展示されていたように記憶していました。  当時、本居宣長に対し…
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