テーマ:国体

令和元年 西郷隆盛の命日 〈九月二十四日 追記〉

 九月二十四日は西郷南洲翁の命日です。  この巨大な人物が城山の露と消えてから今年で百四十二年が経とうとしております。  この百四十二年、明治維新から言えば百五十二年で日本は大きく様変わりしました。  それは社会的な事象において顕著な訳ですが、人々の内面においてはもっと深刻です。  令和の新時代を迎えて、日本は、…
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現代の錬金術師たちと日銀発行紙幣に隠された呪術(Yahoo!ブログ閉鎖に伴う挨拶を編集)

12月15日の閉鎖に伴い、本日8月31日をもちまして、記事の新規投稿、コメントの投稿サービスなどが凍結されます。  そもそも当ブログ(Yahoo!ブログ「国体学のすゝめ」)は筆者が『(新)西郷南洲伝(上)』(高城書房)を上梓した際、宣伝のために開設したブログで、2006年の1月まで遡ります。  13年半継続したことになります…
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終戦の淵源…パンドラの筐【『皇室と論語』追記】

『皇室と論語』を完結させて、数カ月たちましたが、新たな知見も得たので少し捕捉しておきます。 第1回目の記事「パンドラの筐―ヒトラーの予言」では、ヒトラーの遺言の存在と日本に関する予言について触れ、そこから飛び出した災厄が今や、世界唯一の国民国家としての日本を解体し尽くそうとしていることを指摘しました。  その後、ユダヤ人と…
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日本の至宝と賢者の杖 【『皇室と論語』 (二十七)】

 本稿は日本の至宝である皇室の伝統が、『論語』という、「賢者の石」ならぬ、言わば「賢者の杖」に支えられて、これまでの困難にして高尚な長い道のりを歩んできたことを明らかにしてきました。國體はこの賢者の杖によって成長を遂げてきたのです。  現代的思考になじまぬ内容で、読者にとって難解であったであろうことは承知していますが、今明らかにしてお…
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天照大神 【『皇室と論語』 (二十六)】

 「からごころ」による大嘗祭の考察は、要するに、これを創始し、伝統として保持してきた人々の中に、「からごころ」に引かれ、天子の大祭である「郊社」「禘嘗」の祭を誠実に執り行うことによって、その本義を明らかにして、掌を示(み)るように国を治めることが期待されたように、代始めの大嘗祭には、新たに即位された天皇が天津御神、なかんづ…
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「令和」新時代的考察…「からごころ」から考える大嘗祭の秘儀 【『皇室と論語』(二十五)】

 ここまで紹介した、神道および皇室祭祀に精通しておられる諸氏の説はそれぞれ強い説得力があります。まさに「心、誠に之を求むれば、中らずと雖も遠からず」(『詩経』『大学』)と言ったところでしょう。しかし、古い起源を持つ祭儀の意義には、本来、理による解釈を拒むようなところがあるのではないでしょうか。  本居宣長によれば「かんがえる」、す…
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皇室祭祀の本義-大嘗祭(弐) 【『皇室と論語』(二十四)】

大嘗祭という、この広大にして神秘的な儀式の歴史・伝統を山に譬えるなら、日本というものを表象する山である富士山がもっともふさわしい。その秀麗にして神秘的な姿は山頂部のみで成立しているわけではなく、その広大な裾野を含む、総体的なイメージが万峰に屹立した霊峰としての美しさを際立たせているのです。もちろん清楚で美しい山頂部を支えているのは、広…
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皇室祭祀の秘儀-大嘗祭(壱) 【『皇室と論語』(二十三)】

 令和の御代で第百二十六代を数える歴代天皇の事跡は六国史を中心とする各史書に明らかです。皇室の本質を知るうえで最も重要なのは『日本書紀』と最古の史書『古事記』ですが、これらの書にあって皇祖皇宗の事跡は初代神武天皇をさかのぼると神代となり、やがて日向の高千穂峯から天に昇って高天原が舞台となります。  歴代天皇の事跡を学ぶのは天皇の御学問…
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神霊の存在-日本人の本来的自己喪失(参) 【『皇室と論語』(二十二)】

 『かのやうに』の主人公五條秀麿の父の精神上の教養は、その世代にとって一般的であった、朱子の註によって『論語』の講釈を聴いたぐらいのものであったという設定になっています。それは当時一般に行われていた慣習に倣っただけであって、明治になって、ユダヤ・キリスト教をバックボーンとする西欧文明という新たなパラダイムに対応せねばならなくなったときに…
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「かのやうに」神霊を祭るということ-日本人の本来的自己喪失(弐) 【『皇室と論語』(二十一)】

 かつて、西尾幹二氏が、日本の文明観、國體を次のように語っていました。  〔日本人は天皇を超える神を必要としている。  日本の文化は二重性があって、神仏信仰で、神と仏の両方があった。天皇を超える仏教という超越原理を持つ文化、言わば形而上の世界があって、この二重性が日本を豊かにしてきた。  これによって西欧文化を理解することがで…
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日本人の道-日本人の本来的自己喪失(壱) 【『皇室と論語』(二十)】

 大東亜解放の大義に殉じた英霊は靖国神社に祀られていますが、ここは本来、幕末維新以来の国難に殉じた英霊たちが祀られている場所です。  故に反日勢力が目の敵にしている場所で、参拝を遠慮したことを痛恨の極みといった安倍首相もさも当然であるかのように参拝しなくなってしまいましたが、今上陛下は即位されてから平成の三十一年間、皇居のすぐ近くにあ…
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ある伝統から見たあの戦争-國體の精華としての大東亜戦争(弐) 【『皇室と論語』(十九)】

 ここからは大東亜戦争における日本軍の闘いを鳥瞰しての、直観的な話になります。  筆者は大東亜戦争における日本人の闘いに、西郷隆盛を中心に見た王政復古討幕運動と西南戦争、さらにさかのぼって、討幕に成功しながらも朝敵に滅ぼされて万古の心胸を開拓した楠木正成の闘いを連想してしまうのです。  日本軍はドイツとの同盟もあったとはいえ、東アジ…
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大東亜戦争の動機-國體の精華としての大東亜戦争(壱) 【『皇室と論語』(十八)】

 西欧流文明国の体裁を整えるという政治的課題に応えるために制定された大日本帝国憲法を発布し、これを補う目的で教育勅語を下賜した日本は、明治二十七年八月、宗主国として朝鮮半島に対する支配を強めようとする清国と開戦し、これに勝利します。  これによって文明国と認められた日本は、念願であった、英国をはじめとする西洋列強と結んだ不平等条約を撤…
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「令和」ー新元号に思うこと

 四月一日、新元号が「令和」と閣議決定、発表されました。  何でまたエイプリルフールなんかに、という感じも致しますが、新年度の始まりということでしょう。事務手続き的混乱を避けるため、という政府の従来の説明とも矛盾しません。  新たな天皇の即位とともに発表されてきたこれまでのしきたりを破って、退位(本来なら譲位)される今上陛下…
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大日本帝国憲法と教育勅語の精神-大日本帝国における維新精神の継承(二) 【『皇室と論語』(十七)】

 維新精神の本来的回復運動の内、まずは大日本帝国憲法の制定作業を見ていきます。  国会開設の詔により、その基礎となる憲法が欽定により制定されることが決定すると、大久保の後継者としての地位を固めつつあった伊藤を責任者として「プロシヤ」型の憲法理論に立脚して制定作業が進められる事になります。スタッフには、「プロシヤ」型憲法理論に拠ることを…
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天皇親政をめぐる論争-大日本帝国における維新精神の継承(一) 【『皇室と論語』(十六)】

 「維新」という言葉は、詩経にある「周は旧邦なりと雖も、その命は維(こ)れ新たなり」に由来していて、革命とは異なります。あくまでも王朝政治の復古を表しますが、古色蒼然たるままの復古ということではありません。  当時の教養人の必読書の一つである『大学』は、上の詩経の言葉を引用して、次のように述べています。 「康誥」に曰く「克(よ)…
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西南戦争の真相-明治維新(五) 【『皇室と論語』(十五)】

西郷帰郷後の政府は迷走を重ねます。 政変の主目的たる江藤新平が佐賀の征韓派(彼らは民権派でもある。彼ら旧武士階級にとって、民権とは国民としての義務を行う権利であり、彼らは輿論を提議し、公議として定まった国策に参加する権利として征韓論を主張していた。)と島津久光を崇敬する島義勇を首領とする保守派が組んだ決起に参加すると、これを討…
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征韓論破裂の真相-明治維新(四) 【『皇室と論語』 (十四)】

話は遡りますが、廃藩置県の成功は、当時の内閣に自信を植え付け、勢いに乗った政治的飛躍、冒険的政策へと駆り立てます。本来なら、公議として熟さぬ内の廃藩置県断行でしたから、次は内政に力を注いで混乱の収拾、人心の鎮静化に努めるべきでしたが、国外に対しては西洋各国への条約予備交渉のための勅使および視察団派遣、国内に対しては彼らが条約改正の前提…
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廃藩置県の真相-明治維新(参) 【『皇室と論語』(十三)】

 かなり端折っておりますが、詳しくは拙著『十人の侍』をご参照いただくとして、先に話を進めます。  廃藩置県の必要性をいち早く認識し、これを提唱したのは木戸孝允でしたが、彼はまずその第一段階の改革として版籍奉還(版図戸籍の奉還)の実施を強く説き、大久保の同意を得て、長薩の藩主自らが率先垂範してこれを行うことで、大きな一歩を進めました。明…
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王政復古討幕の真相-明治維新(弐) 【『皇室と論語』(十二)】

 斉彬が自身の後継者と目していたのは、藩主就任に際して競争相手であった異母弟の久光でした。父斉興の正嫡で世子として届けられた斉彬が蘭学かぶれということで嫌われたのに対し、愛妾由羅の子として愛された久光でしたが、彼本人は学問好きで、藩主の地位に対する野心もなく、この兄を深く尊敬していました。一方で、斉彬の方も、彼の資質を見抜いて「志操方正…
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明治維新(壱)-島津斉彬 【『皇室と論語』(十一)】

 最近、明治維新の再評価が盛んで、維新運動そのものに懐疑を突きつけたり、否定する内容の本が盛んに喧伝されていますが、筆者はあまり興味がなく、読んでもいません。というのは、彼らの宣伝文句の多くに、現在の価値規範で断罪しよう、批判しよう、との執筆意図がありありで、当時の人々の立場に立った上で、事件を客観的に評価しようとの意志が感じられないか…
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侍と論語(参)-織田信長・豊臣秀吉・徳川家康 【『皇室と論語』(十)】

 次に拙著で取り上げたのは戦国時代の覇者三代、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康です。  彼らについてはそこでかなり詳細に検証したので、そちらを参照していただきたいのですが、ここでは簡単に触れたいと思います。  桶狭間の戦いで大軍を率いて尾張に侵攻してきた今川義元を討ち取って天下にその名を轟かせた若き信長は正親町天皇からの密使を受け入れ、…
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侍と論語(弐)-足利義満 【『皇室と論語』 (九)】

 南北朝の動乱という、この大混乱を招来した大きな要因の一つになったのが足利尊氏ですが、それを収束させたのは、彼の死からちょうど百日目に生まれた、彼の孫、義満でした。彼は日本国王と名のって明との朝貢外交を行い、皇位簒奪計画を実行に移し、それを果たす直前に死んだとして悪名高い人物ですが、事実は微妙に違ったのではないかと筆者は考えています。 …
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侍と論語(壱)-平将門・源頼朝・北条泰時・楠木正成 【『皇室と論語』(八)】

朝廷の権威と権力の衰退の中で、その政治的空白を埋めるかのように台頭してきたのが、在野の開拓農民として実力を蓄えてきた武士でした。幕末に王政復古が行われるまで、わかりやすく源頼朝の幕府開設を武家政治の始点とするなら六百七十余年、完全に草莽である北条氏によって上皇天皇が島送りになった承久の変を始点とするなら六百四十余年、武家政治は続いた…
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皇室と論語の出合い 【『皇室と論語』(七)】

 しばしばラジカルな問題提議を行ってきた西尾幹二氏の著作に、『皇太子さまへのご忠言』(平成二十年出版)という問題作があります。  現在皇室が直面している本質的危機に注意を喚起する内容で、氏の皇室に対する危機感と心配が、この、皇室に関する本としてはかなり刺激的な内容の本を生んだのです。  この本のまえがきの書き出しは西尾氏の皇室に対す…
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昭和大帝の大御心「仁」ー敗戦時の失われた記憶(参)【『皇室と論語』(六)】

もうひとりの知識人の敗戦経験を紹介しておきたいと思います。  そのある知識人は次のように書いています。 …私が『論語』を、教室の講義のためでなく、自らのために読んだのは、敗戦後のことであった。あの敗戦のあとの、やるせないような虚脱を味わわれた方には、理解していただけることかと思う。私の机辺には、いつとはなく、『論語』と『聖書』と…
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ユダヤ・キリスト教の浸潤による國體の危機ー敗戦時の失われた記憶(弐) 【『皇室と論語』(五)】

長谷川氏は『神やぶれたまはず』の最終章で、戦争末期に現れた「国體護持」の思想を議論の俎上に載せています。  國體思想が本格的に時代を動かしたのは幕末・維新期にまで溯ります。  氏が國體思想の代表例として挙げているのが、藤田東湖の『弘道館述義』ですが、次のように要約されています。  そこでの東湖は、まづ(ヨーロッパの「自然法」…
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「和」の伝統と『論語』―近衛文麿と小林秀雄の洞察 【 『皇室と論語』3】

戦前、國體明徴が叫ばれ、國體論議が盛んに行われた背景には、大正六年(一九一七)のロシア革命の衝撃を受けて、日本の知識階級に浸潤した共産主義が脅威をもって受け止められた経緯がありました。  大正時代、ヨーロッパでは人類史上初の世界大戦が勃発し(第一次世界大戦;大正三~七[1914~18])、未曽有の混乱の中でロシアでは革命が起こり、ドイ…
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敗戦革命の脅威と国体論-スターリンの野望と尾崎秀実の転向 【「皇室と論語」(2)】

 昭和を代表する批評家である小林秀雄によれば、「文化」とはそもそも、武力を使わずに民を教化することを指すといいます。  幕末の騒乱の結果、徳川幕府が倒れ、明治に御代替わりして西洋文明を積極的に受容して「カルチャー」という言葉が入ってきたとき、われわれの先人はその訳語として「文化」という言葉を当てました。「カルチャー」とは、「アグリカル…
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パンドラの筐―ヒトラーの予言 【「皇室と論語」(1)】

 今上陛下の御譲位、新天皇の御即位という、平成の御代替わりを控えて、筆者は、これまでなかなかまとめきれないできた、昭和の敗戦以来、日本人の意識から失われてきたある種の伝統、それも日本を日本たらしめて来た骨太い伝統を明らかにしておきたいと思います。  今なぜこれが問われなければならないかと言えば、入国管理法改正という、実質的な移民政策に…
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