テーマ:松平定信

定信の出処進退…松平定信の異端禁制 ④ (「江戸期の学問の大河」 その十一)

 これまで見てきたように、尊号事件は、すでに家康以来二百年近い徳川家の学問的伝統を背景に持つ定信の徹底した朱子学的リゴリズムが、儒学を大らかに受容してきた、徳川家よりはるかに長い歴史と伝統を持つ朝廷を咎めた事件であった。  一方で目を転じてみると、幕府自身を粛正する作用を持つ事件でもあった。  将軍は当時十八歳で、三卿の一つ、一…
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高山彦九郎の場合…松平定信の異端禁制 ③  (「江戸期の学問の大河」 その十一)

尊号事件の処分が終わった頃、一人の草莽の尊王家が自害を遂げている。  林子平、蒲生君平と並んで、寛政三奇士と称された高山彦九郎である。  彦九郎は上野国新田郡細谷村の郷士の家に生まれた。新田十六騎の一人高山重栄の末裔と伝えられている。   十三歳の時に『太平記』を読んで感銘を受け、長じては勤皇家として諸国を遊歴した。 …
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尊号事件…松平定信の異端禁制 ② (「江戸期の学問の大河」 その十一)

定信が非常の覚悟を以て幕政を根本から正す政策に取り組んだ矢先に持ち上がったのが、いわゆる尊号宣下の問題であった。  問題は、光格天皇が実父閑院宮典仁親王に「太上天皇」の尊号を贈りたいと言い出したことからはじまった。光格天皇は、二十二歳の若さで崩御された先代後桃園天皇にその年に生まれたばかりの皇女しかいなかったため、急遽、閑院宮か…
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松平定信の異端禁制 ①(「江戸期の学問の大河」 その十一)

 松平定信が老中主席に抜擢される以前、幕政を牛耳ったのは、あの金権政治で悪名高い田沼意次であった。  田沼時代は幕府の財政再建を課題とする時代で、重商政策を取ったことから贈収賄が横行したとされる。が、これは幕府保守派から見ての批判で、政治家としては開明的な政策を採用した一種の豪傑であった。彼の父は紀州藩の足軽で吉宗が部屋住みだった時代…
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