テーマ:徳川家康

水戸学の源流 光圀の屈折 (「江戸期の学問の大河」その三)

 全てが全てというわけではないが、シナの学問である朱子学に傾倒した儒者が神道的なものと習合していくのは不思議といえば不思議である。  朱子は文弱で知られた宋朝の学者。  宋王朝は満州地方より興った金の圧迫を受け、南方に逼塞し(南宋)、ついでモンゴル地方より興った元に攻め滅ぼされた王朝だった。文化の中心、世界の中心である中華が野蛮…
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徳川家康の側近が遺した思想書 (「江戸期の学問の大河」その二)

 江戸時代初期には、家康のブレーンが著したとされる書物が、世間に流布した。豊国廟の社僧にして吉田神道との関係も深い神龍院梵舜が著したと推定される『心学五倫書』、藤原惺窩(梵舜の実兄・吉田兼見の猶子であった)が著したとされる『仮名性理』、家康の政治面における顧問であった本田佐渡守正信が二代将軍秀忠の求めに応じて著したとされる『本佐録』など…
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徳の川の源流 (「江戸期の学問の大河」 その一)

 政治学者渡辺浩氏の『日本政治思想史[十七~十九世紀]』によれば、「儒学は、人類がこれまで築いた、おそらく最強の体系的政治イデオロギーである」という。 氏は続ける。 「それは、孔子によって大成されて以後、他の諸思想潮流との抗争に徐々に勝利し、紀元前から二千年以上の永きにわたり、ほぼ一貫して、世界屈指の大帝国の正統思想として君…
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江戸時代の学問の大河

昨年末に更新した記事「ニーチェが登った階段」に次のように書いた。 「しかし、われわれにとって、あちらより、こちらの階段のほうが重要である。  遠くに霞む山々へと続く尾根に築かれた、あるいはこれから築かれようとしている階段である。  これはおのおのが自分の足で歩いて築くほかない階段であるが、われわれはあくまでも歩いて築く…
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徳川家康の天下取り 【三】 中庸および湯武放伐論

 天下分け目の関ヶ原、大坂冬の陣、夏の陣。  二度あることは三度あると言うが、太閤恩顧の大名が秀頼を担ぎ上げて、家康に敵対する事件もやはり三度出来した。  家康はこれに対し、仏の顔も三度までと、三度目の反逆行為に及んだ秀頼をついには許さなかった。家康も秀頼本人に反逆の意図があるとまでは思っていなかったらしく、よく事情を汲んで、何度も…
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徳川家康の天下取り 【二】 大坂の陣

徳川家康は豊臣秀吉のよき理解者ではなかった。  彼の才気に満ちた天下への仕置きの多くを、物好きから来る私的行為とみなしていたらしく思える。  例えば、方広寺の大仏建立である。  この事業は、井沢元彦氏が説いておられるように、織田信長が摠見寺を建立して、あらゆる宗派を統合しようとしたのと同じ趣旨で建立されたものだ。だから、こ…
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徳川家康の天下取り 【一】 「天下分け目の関ヶ原」

 家康は狸親父といわれ、大変な陰謀家と思われているが、必ずしもそうではない。  確かに、彼は秀吉に六尺の弧、すなわち遺児秀頼を託されておきながら、後にこれを滅ぼした。これほど後世の印象を悪くしたことはないだろう。  しかし、これも太平の世から、あるいは後世の価値観から見れば、そう思えるだけのことで、当時の社会状況や価値観を考えれば、…
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徳川家康と天道

 徳川家康が織田信長のことをどう思っていたか分らない。  しかし、彼にもまた、信長・秀吉とはその内容のやや異なる、独自の天道思想があったことは確かだ。  家康は源頼朝の天下統治のあり方を模範としたが、信長の死後、それと同じ原則に則って天下人となった秀吉を、織田家の天下を簒奪した、として批判したことは既に触れた。  そして、豊臣…
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徳川家康と論語  (南洲翁遺訓解説 「天地自然の道」補記)

 前回、徳川家康を単なる狸親父、陰謀家ではないと述べたが、ただそう言っただけではにわかには信じがたいかもしれない。  それほど家康の狸親父像というのは一般の間に刷り込まれてしまっている。 『慶長年中卜斎記』によると、家康は、 根本、詩作・歌・連歌はお嫌いにて、論語・中庸・史記・漢書・六韜・三略・貞観政要、和本は延喜式・東鏡…
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天地自然の道 (その三) (南洲翁遺訓解説 2-5)

 今回は前回に引き続いて、明治維新を用意した、天道思想の源流について触れたい。  明治維新は、ペリー来航以来十数年の人々の努力だけで成ったのではなく、様々な歴史段階を経て到達した偉業であった。  その一つが江戸時代を通じて熟成した学問であったが、その気運を作った重要人物が徳川家康である。  しかし、それは戦国時代に醸成された一…
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