テーマ:歴史

百五十年経ってますます明治維新が理解できなくなった日本人

 もう師走。  今年もあと少しですが、本年は明治維新百五十周年ということもあって、NHK大河ドラマが『西郷どん』であったり、明治維新を見直すと称して、否定する内容、今風に言えば「ディスる」ための本が多く出版され話題になりましたが、内容のモチーフを表しているはずの題名や帯の宣伝文句を見るだけで、皮相な内容が想像されるものばかりで、全く読…
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オールブラックスー世界のラグビーからみる歴史と文化ー

 十一月三日にラグビー日本代表は、現在来日中の世界最強ニュージーランド代表「オール・ブラックス」と対戦します。  先週土曜日、来年日本で開催されるラグビーワールドカップ決勝会場となる横浜日産スタジアムで、タスマニア海峡をはさんで毎年対戦してきたライバルであるオーストラリア代表「ワラビーズ」(ワラビーは小型のカンガルー)に快勝したオ…
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Kindle版電子書籍『織田信長「超人」伝』 出版!

 Kindle版電子書籍 『織田信長「超人」伝』を出版しました。  発売日が終戦の日である八月十五日になったのはたまたま作業のすべてが完了したのが、その前日十四日だったからです。  内容は、『十人の侍』の信長論では國體論の立場から意図的に削り落とした本来のモチーフに立ち返って、加筆したものです。柱となる検証部分は…
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終戦の日

 本日、平成三十年八月十五日は七十三回目の終戦の日。  この時期が来ると毎年、日本国中であの戦争に関する様々な回顧がなされています。  今朝も、女性議員か、議員の卵か知りませんが、共産党の中年女性が近所の団地で街頭演説を行っていましたが、二千万のアジア人、三百万の日本人の尊い命が日本のせいで犠牲になったとして、強引に安倍政権批判…
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インテリジェンスについて ② 皇室における日本化された儒教

 さて、これだけではありません。  前回は草莽における日本化された儒教の伝統の話でしたが、皇室における日本化された儒教の伝統は、より古く、より深くまで洞察しなければ見えてこないのです。  古く、しかも深く、ということは歴史事象の皮相だけ撫でていても目に見えないということです。  これは多くの識者が、史料が豊富なはずの維新史をあ…
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インテリジェンスについて ① 草莽における日本化された儒教

 今回もインテリジェンスについて考えてみたいのですが、やはり前回同様、宮崎正弘氏の「国際ニュース・早読み」を取り上げてみたいと思います。  筆者はこの、登録さえしておけば、毎日のように配信されてくる国際情報及びその分析を、驚嘆の念をもって拝読させていただいていて、現在の激動する国際情勢に関心のある方にはぜひ参考にしていただきたいと…
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信長とは一体、何者であったのか

 最近、宮崎正弘氏のメルマガを読んでいて、呉座勇一氏の『陰謀の日本中世史』【KADOKAWA】という本の書評が載っていました。氏はこの本の中の白眉として、本能寺の変の真相をめぐる諸説の検証に言及する中で、氏自身の明智光秀論、信長論を語っています。 宮崎正弘の国際ニュース・早読み < <書評 呉座勇一『陰謀の日本中世史』 h…
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ゆず「ガイコクジンノトモダチ」

 若者に人気のフォークデュオ【ゆず】の新曲「ガイコクジンノトモダチ」がネット上で話題になっているらしい。  実際聴いて見ると、右とか左とかいう以前の、日本人としての素朴な疑問、自然な感情を歌った内容で、変なイデオロギーに染まっていない限り、楽しめる明るい楽曲です。  すぐ消去されるかもしれませんが… ゆず「ガイ…
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Amazonオンデマンド『十人の侍(上)』(MyISBN-デザインエッグ社)

 西部邁氏が敬愛したイギリスの保守思想家ギルバート・キース・チェスタトンの名著『正統とは何か』の冒頭付近に次のような文章があります。  「私が前々から書きたいと夢見てきた物語がある。主人公はイギリスのヨット乗りで、ほんの僅か進路の計算をまちがえたばっかりに、実はイギリスに漂着しながら、これはてっきり新発見の南海の孤島にちがいないと…
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明治維新の意義 (その弐) 倒幕は必要だったか

 次に第二の質問、すなわち幕末の幕府は公武合体に動いていたことから、長州、薩摩の倒幕は不必要だった(倒幕しなくて、我が国は近代化し生き残れた)という意見はどうか、とのご質問についての筆者の考えです。  歴史にイフはない、すなわち歴史の一回性を言うなら、それは無意味な設問ですが、歴史事件の評価をする上でイフという仮説を立てるのは有用…
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明治維新の意義 (その壱) 水戸学

 筆者にとって、日本の近現代史における明治維新の意義は自明であるので、あまり深く検討してきませんでしたが、読者の方より二つの質問をいただきましたので、これを機会に考えてみたいと思います。  まず第一の質問は、「水戸学は明治維新後政府に禁止されたように、革命を呼び起こす危険な思想であり学ぶべきではない、或いは排除するべきである。」と…
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天下人の真髄

 ここ数回にわたって、『十人の侍』上巻の核となる織田信長・豊臣秀吉・徳川家康論の土台となった論考を再掲載してきました。  本論の方はここから一歩二歩踏み込んだ内容になっているので、そのもとになった論考で躓くようなら、本論に進んで、彼ら、日本の近代化の始点に立つ三英雄に関する新しい認識を得ることはできないでしょう。  新しい認…
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徳川家康の天下取り 【一】 「天下分け目の関ヶ原」 (再掲載)

家康は狸親父といわれ、大変な陰謀家と思われているが、必ずしもそうではない。  確かに、彼は秀吉に六尺の弧、すなわち遺児秀頼を託されておきながら、後にこれを滅ぼした。これほど後世の印象を悪くしたことはないだろう。  しかし、これも太平の世から、あるいは後世の価値観から見れば、そう思えるだけのことで、当時の社会状況や価値観を考えれば…
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「豊臣秀吉の天才」(再掲載)

織田信長の天下一統事業の継承者となった豊臣秀吉に関して、通俗小説の類に慣らされた読者は、今から論じるラジカルな秀吉論について来れるだろうか。  彼の天才ぶりについては夙に知られている。  戦争、特に攻城の名人であると同時に、調略の達人であった。人たらしの天才という言葉はどこかで聞いたことがあるだろう。  だが、多くの人…
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「この人を見よ!織田信長の正気と狂気」(再掲載)

 『信長公記』によれば、天正七年五月十一日、織田信長は安土城天主に移り、まさに天主として降臨した。これは同時に神仏の影向でもあった。  この翌十二日は信長の誕生日とされている。  (フロイスの記述からの逆算による通説。井沢元彦氏は十一日説を主張。私もこちらだと思う。)  ところで最近、古書店で、西尾幹二氏が翻訳と解説を行…
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「織田信長の天道思想」(再掲載)

戦国の混乱を収拾しようとした織田信長は天道思想を強く信じていた。    「天下一統」「天下布武」「天正」「天主」  「天」は彼の事業を理解する上でのキーワードである。  彼の人生は戦争と政治に明け暮れて、これと言った文書を残さなかったが、様々な記録や証言から、凡そつかむことができる。  特に小瀬甫庵が愚直と評…
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信長・秀吉・家康論の再掲載

    年が明けてから『十人の侍』のプロローグを四回に分けて掲載してきました。  次は上巻の核となる、織田信長論・豊臣秀吉論・徳川家康論の基礎となった論を再掲載していきたいと思います。  このブログにすでに掲載した論考ですが、『十人の侍』では、皇室と彼ら英雄との関係を軸に、これをさらに二歩、三歩、踏み込んだ内容になっており…
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「鬼神のこと」…『十人の侍』プロローグ2

  西洋に限らず、日本の知性の伝統にも同様の箴言(しんげん)がありました。それは東洋の箴言でもありました。すでにちらりと触れましたが、「鬼神を敬して遠ざく」という言葉がそれです。孔子の言行を集めた『論語』にある言葉で、弟子の「知とは何ですか」との問いかけに対しての孔子の答えの中にあります。 「子曰(のたまわ)く、民の義を務め、鬼…
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「オカルティズム」…『十人の侍』 プロローグ1

新年の挨拶に代えて、新著『十人の侍』プロローグ1「オカルティズム」を掲載したいと思います。  今回この本を執筆するにあたって、ずっと頭にあったのは「國體(こくたい)」という言葉でした。「國體」とは国柄とか、国の在り方、そして、そこに含まれるその国の人間としての生き方や死生観といった幅広い意味を持ちます。戦後の国民的作…
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『十人の侍』[The Ten Samurai]の出版について

 しばらくブログの記事更新を怠ってきたが、表題にある『十人の侍』の校訂など、出版に向けての作業に意外と手間取ってしまったのが原因である。  今回は多少読みやすさにも気を配ったので、通常の出版も考えて、出版社にも打診してみたが、今はどこも採算重視、売れる本を出すことで頭がいっぱいのようで、残念ながら拙著の持つ価値を理解してくれる出版…
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『(新)西郷南洲伝』下巻発刊のお知らせ

 『(新)西郷南洲伝』下巻が、鹿児島の高城書房よりついに発刊されました。 予定より大幅に遅延いたしましたことをお詫び申し上げます。  内容に関しては、征韓論政変、西南戦争、そして西郷隆盛について百年後のスタンダードになりうるものを提示できたと、自負しております。より多くの人に読んでいただきたいと思います。  特に鹿児島在住あるいは…
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無思想・合理主義という名の思想(その二)

 かなり空いてしまいましたが、「無思想・合理主義という名の思想」の続きを書きたいと思います。といっても、かなり空いてしまっているので、何を書きたかったのか、正直なところ曖昧になってしまっているのですが、書いているうちに問題意識が復活してくるかもしれません。ということで、どこに行くか分かりませんが、とりあえず書き始めることにしましょう。 …
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西郷隆盛を今問うことの意義(その2)

 西郷隆盛を今問うことの意義についての二回目(再録)です。    前回、今日本の本体を明らかにする必要性について述べました。それを明らかにするには、日本の歴史全般を見て行く必要がありますが、それをここで行う余裕はありません。しかし素直な眼で日本の歴史を眺めていけば、その中心には常に皇室の存在があることは明らかでしょう。この混迷の時代…
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西郷隆盛を今問うことの意義

 前回『王道のすすめ』を掲載することの目的について少し触れましたが、今西郷隆盛を問うことの意義について、以前書いた文章を再掲載しておきたいと思います。  南洲とは西郷隆盛の雅号です。西郷隆盛は奄美大島他二度の遠島の経験があり、自らの雅号を南洲(南のしま)としたのです。この人物は誰でもその名前を知り、上野の銅像でも親しまれていますが…
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薩摩史観

 さて前回は、日本文明における皇室の重要性、及び国民の側からの、そのあり方の象徴としての西郷南洲の重要性について触れました。それにしても、西郷南洲という人物はなぜこれほどに誤解されるようになったのでしょう。いろいろな要素がありますが、歴史のスペシャリストである歴史学者によって書かれた西郷論でさえも、なぜコンナ評価になるのか、今となっては…
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日本文明の本体

前回、今日本の本体を明らかにする必要性について述べました。それを明らかにするには、日本の歴史全般を見て行く必要がありますが、それをここで行う余裕はありません。しかし素直な眼で日本の歴史を眺めていけば、その中心には常に皇室の存在があることは明らかでしょう。この混迷の時代に皇室問題が浮上しているところを見ても、その問題がこの国の根幹に関わ…
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新西郷南洲伝

南洲とは西郷隆盛の雅号です。西郷隆盛は奄美大島他二度の遠島の経験があり、自らの雅号を南洲(南のしま)としたのです。この人物は誰でもその名前を知り、上野の銅像でも親しまれていますが、その人物評価は一定しておりません。崇敬の対象になる一方で、逆に毀誉褒貶の対象にもなっています。その人物像はほとんど謎であると言ってよいでしょう。私はその謎を解…
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