テーマ:西郷隆盛(南洲)

平成二十三年、一年の計 ⑨

南洲翁の漢詩に「貧居傑士を生ず」という一節がある。 一貫す唯唯(いい)の諾(だく)、 従来鉄石の肝、 貧居傑士を生じ、 勲業多難に顕わる。 雪に耐えて梅花麗しく、 霜を経て楓葉丹(あか)し。 如(も)し能(よ)く天意を識らば、 あに敢て自ら安きを謀らんや。  志を持って…
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TPPと西郷南洲翁の遺訓

 前回、TPPと西郷南洲翁の遺訓を絡めて論じたが、これを補足する遺訓を紹介しておきたい。  これは明治三年十二月に、同じ薩摩人の坂元純熙(すみひろ)が各藩の状況視察への出発に際し、その目的を書いて渡した物である。  明治三年十二月といえば、南洲翁は鹿児島藩の大参事として、藩政改革を強力に推進していた時期である。  改革は軍制に…
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農業振興と環太平洋パートナーシップ協定(TPP)

 政の大體は、文を興し、武を振るい、農を励ますの三つに在り。  その他百般の事務は皆その三つの物を助くる具なり。  この三つの物の中において、時に従い勢に因り、施行先後の順序はあれど、 この三つの物を後にして、他を先にするは更に無し。  (『西郷南洲翁遺訓』三条)  南洲翁が政の大體の内の一つと言う「文」は、 …
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平成二十三年、一年の計 ⑧

 前に、 「西郷論を書くことも、維新論を書くことも、伝統論を書くことも、皇室論を書くことも、結局は国体論を違う斬り口から書くことであり、国家百年の大計はそこに胚胎している。」  と大きなことを書いたが、このことは考えれば考えるほど難しい。  どう提示したらよいか、途方に暮れる思いがする。  というのは、そもそも国體論…
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平成二十三年、一年の計 ⑦

 このブログをわたくしごとで埋めるのは不本意ながら、今回もまた自分語りが多くなる。  どうかご容赦いただきたい。   私はこれまで非正規雇用で生計を立てながら、学問を継続し、執筆を行ってきたから、世間で言うところのフリーター(フリーアルバイター)になる。これは『(新)西郷南洲伝』上下巻出版後も変わっていない。  いわゆるフリー…
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「遷都論」 (再掲載)

 (参考までに以前書いた「遷都論」という文章を再掲載しておく。)  ここで話題にしたいのは、再び人心の一致一和のことである。  彼らの運動における大まかなヴィジョンが、道理に基づく人心の一致一和にあったことはすでに見てきた。  それは『孟子』の「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」という思想に基づいている。  し…
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TPP論議

 西郷論を書くことも、維新論を書くことも、伝統論を書くことも、皇室論を書くことも、結局は国体論を違う斬り口から書くことであり、国家百年の大計はそこに胚胎している。 たとえば昨年後半になって、降って沸いたように、国民の前に現れ、十分な議論がなされぬままに進められているTPPの議論があるが、「日本文化チャンネル桜」の次の経済討論…
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平成二十三年、一年の計 ⑥

 一年の計は元旦にあり。  この言葉の語源を辿ってみると、 一日之計在晨 (一日の計は晨にあり) 一年之計在春 (一年の計は春にあり) 一生之計在勤 (一生の計は勤にあり) 一家之計在身 (一家の計は身にあり)  という、シナ明代の官僚・馮應京が書いた「月令廣義」の一節が原典らしい。  「晨」は「あした」、すな…
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平成二十三年、一年の計 ⑤

 画期的な仕事に孤独はつきものである。  ブログはその孤独な作業であった『(新)西郷南洲伝』執筆の延長線上で書き続けている。  読者は数は少ないが、そのほとんどが沈黙の読者である。私はこれを好意的に受け止めている。  戦後的な価値観で育ったままの旧友には敬遠されているのを感じるが、私の方にも多分の違和感が生じていることも事実だ…
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平成二十三年、一年の計 ④

 ここから自分語りになる。  私は今四十一歳だが、三十代を、西郷南洲翁の史伝の執筆、出版に費やした。周囲の人になかなか真意を理解してもらえず、孤独な中での作業だったのだが、幸い家族の協力だけは恵まれて、何とか出版まで漕ぎ着けた。  上中下巻の三冊にまとめるつもりだったので(それでも収まりきれそうになかった)、上下巻しか出せなかっ…
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竜馬について ② 〔保守の空洞化 (その五)〕

 君が為 捨つる命は 惜しまねど 心にかゝる 国の行末  君のため、国のために命を捧げた竜馬が、余儀なき事情で勝海舟のもとを離れた後も、彼を支えたものは、表向きの顔に隠されたこの神願であった。  そして、竜馬が、賢人勝の引き合わせで出会った天下の名士の中で、心から敬服したのが、大久保一翁と南洲翁であった。この両人は、勝とともに、…
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保守の空洞化  (その一)

 最近、いわゆる保守派に属する人々、あるいは自認している人々の言論が空洞化しているように思われて仕方ない。  次の討論を見ていただきたい。  3分あたりの西部邁氏の戦後民主主義批判に始まる、田久保忠衛氏、西村慎吾氏の間で交わされる議論である。    田久保氏の戦後民主主義擁護は特にひどいが、西部氏の戦後民主主義批…
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詩楽の伝統から維新へ (その一)

 ここまでの話で、詩学を基礎とする礼楽が、社会を調和し、秩序付ける効用を持つという孔子の考えは理解できるかと思う。  これを踏まえて、孔子は、「天下道あれば、すなわち礼楽征伐、天子より出ず。天下道なければ、礼楽征伐、諸侯より出ず。・・・」云々と言ったのである。  江戸中期に宝暦事件と呼ばれる事件があった。(http://ja.w…
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小沢一郎の歴史的役割 (その六)

 前回、小沢氏と、南洲翁はもちろん、大久保甲東を比較することにさえあまり意味はない、と言ったが訂正しておきたい。これらの人物と小沢氏を比較することは、その格の違いを、その人物の小ささを認識する上で、この政治状況下ではむしろ有益である、と。  櫻井よしこ氏のブログ記事「民主党政権を主導する小沢一郎氏 矛盾に満ちた変節を疑う」を読んで…
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草莽崛起

 老いてますます盛んな保守思想家にして史家の西尾幹二氏のブログに次の記事を見つけた。 「タブー無き議論」というこのことに異和感ないし抵抗を示す保守派の人々が今も相変わらず多数いるように聞いている。しかし、日本再生のために今こそ明治維新の精神を甦らせよ、草莽の志士よ出よ、とことごとに叫ぶ人が増えている時代ではないか。  明治維…
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織田信長と論語 (南洲翁遺訓解説 「天地自然の道」補記)

 織田信長が『論語』を読んでいたなどというのはありそうもない話だ。  実際、私の知る限りでも、彼が『論語』を読んだなどという記述に接したことがない。それどころか、彼の言動はことごとく非『論語』的と言ってよいほどである。  ならば、どうしてそんな題をつけたのか、という話になりそうだが、簡単に言えば、「徳川家康と論語」という題で、南…
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南洲翁の新発見書簡

 南洲翁自身が、安政五年、僧月照と薩摩潟に入水した際の事情を語ったとされる新書簡が、昨年十二月の「開運なんでも鑑定団」に出品された。  私はこれを見逃していたのだが、ある方にyoutubeで見られることを教えていただいて、遅ればせながら拝見することができた。(→http://www.youtube.com/watch?v=E1pV…
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天地自然の道 (その一) (南洲翁遺訓解説 2-3)

忠孝仁愛教化の道は、政治の大本にして、万世に亙(わた)り、宇宙に彌(わた)り易(か)うべからざるの要道なり。道は天地自然の物なれば、西洋と雖も決して別なし。 (『西郷南洲遺訓』 第九条)  南洲翁遺訓の中に、天地自然の道という言葉は、上述のを合わせて本文に三回、追加に一回出てくる。  しかし、道は天地自然の物なのである…
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福沢諭吉の敬天愛人 (南洲翁遺訓解説 「敬天愛人」 補記)

 中村敬宇と並び称される、明治初期の啓蒙家に福沢諭吉がいる。  彼は「敬天愛人」という言葉を発したわけではないが、その文明思想の核心は、南洲翁と同質のものであったと言っても過言ではない。  福沢の「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言えり」という言葉は有名だ。  彼は明治四年、当時八歳の長男と六歳の次男のために『ひび…
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「敬天愛人(その二)」 (南洲翁遺訓解説 2-2)

人は人を相手にせず、天を相手にするものなり。故に天より見れば我も人も同一に愛すべきなり。因りて己を愛する道を以て、人を愛するものなり。 (戸田務敏への教戒)  南洲翁の「敬天愛人」思想は、聖書に由来するという説がある。  実際、翁は新約聖書を読んだことがあったらしい。  有馬藤太の回想に次の話があるのである。 …
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昭和史問答 ②「西郷隆盛のいわゆる征韓論の全体像」

 今回は「西郷隆盛のいわゆる征韓論の全体像」という記事に付されたコメントとそれに対する回答です。 ヒロシさん 「これはよくご存知ですね。  参考までに。  林房雄氏の大東亜戦争肯定論によれば、満州経営のアイデアは島津斉彬にあるそうです。  李鴻章は背後でロシアから賄賂を受け、密約を結んでいたようです。」 …
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西郷隆盛のいわゆる征韓論の全体像

 一回テーマが飛んでしまいましたが、今回は再びいわゆる「二十一ヶ条要求」問題に象徴される日中問題の原形を見ていきたいと思います。  副島種臣の台湾問題に対する考えについて触れましたが、彼は明治五年十一月には、清朝皇帝の婚儀祝賀と条規批准交換のための全権大使を命ぜられ、翌六年三月には清国に向かいました。上海への途上、鹿児島に立ち寄っ…
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篤姫、江戸城無血開城

 たかがテレビドラマ、されどテレビドラマ。  NHK大河ドラマ『篤姫』最大のクライマックスといっていい江戸城無血開城が放送されました。  北大路欣也の勝海舟かっこいいですね。  宮崎あおいの篤姫も凛としていてとてもよかった。  しかし純朴なる西郷さんと冷徹非情な大久保の描かれ方は、いくらドラマとはいえ、篤姫の引き立て役とはいえ、…
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近代日本建国の父 

 前回、満州がシナの伝統的領土ではなく、漢民族が清朝崩壊のどさくさに紛れて、自己の領土であると主張し始めたものであり、彼らの肥大化傾向、今日まで続く領土膨張意識の現れであることを述べました。  それらが象徴的に現れているのが、孫文の主張の変遷であることにも触れました。その意味で、孫文は良くも悪くも近代中国というものを象徴する、建国の父…
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英雄の不在と満州問題 

 前回まで「対華二十一ヶ条要求」問題についての、日本側の情実について述べましたが、三宅久之翁の歴史認識をテーマにしていたので、主に第五号の希望事項について記述する結果になりましたが、肝心の要求事項に関する考察は疎かになってしまいました。  書き始めて痛感しましたが、この問題は非常に難しい問題ですね。まさに今となって正確に把握するには大…
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 日本の国体

「せごどんの参謀」さんという方から、興味深いコメントをいただきましたので、これについて考えてみたいと思います。  そのコメントとは次のようなものです。 「戦前の日本は天皇=国家(すなわち日本文明=日本政府)の混同にあったせいで、不安定な社会になり戦争で負けてしまった。 それ以前は日本文明(国体)は日本政府(政体)とちがって、永…
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坂本竜馬と小松帯刀

 NHK大河ドラマ『篤姫』で今回坂本竜馬が暗殺されましたね。  坂本竜馬と篤姫は大して近い関係にありませんでしたが、ドラマでは篤姫と薩摩の若き家老小松帯刀が近い関係に描かれていて、彼と竜馬が平和解決路線で共鳴関係にあるように描かれており、そのことがあって、竜馬の暗殺事件が大きく取り上げられているようでした。  宮尾登美子の原作を読ん…
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日本人を動かす怨霊信仰と和の原理 (その一)

 五回に亘って、井沢元彦氏の『逆説の日本史』(小学館)に基づいて、崇徳上皇怨霊化の過程を追ってきました。  私が、西郷隆盛に一見関係のない崇徳上皇に関心を持ち、数回にわたって書いてきたのは、そのことが、西郷隆盛という歴史上の巨人の文明史的意義を考える上で、非常に重要な観点を提示しているからです。これまで西郷隆盛を顕彰する史家や知…
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日本史上最大の怨霊 (その一)

 前回、NHK番組『知るを楽しむ』の「この人この世界・神になった日本人」で西郷隆盛が取り上げられたことについて触れましたが、民俗学者小松和彦氏の解説について、月並みであまり見るべきところのなかった今回よりも、私はむしろ、その数回前に取り上げられていた崇徳上皇のほうが興味深かったです。  西郷隆盛は、民俗学的にみて、深く追究すれば大変面…
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西郷隆盛の命日

 今日、九月二十四日は西南戦争の終局である城山陥落の日、すなわち西郷隆盛の命日です。  今から百三十一年前のこの日、西郷隆盛を中心とする明治政府への最大の批判者達は、半年間南九州を激戦しながら転戦し、その挙句、鹿児島に追い詰められて、玉となって砕けたのでした。  近代日本の礎となった英霊達の冥福を祈りたいと思いますが、彼らが今日の日…
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