テーマ:征韓論

「正韓論」 【西郷南洲翁遺訓解説】 第十八条 ④

 朝鮮半島の国家の政治に道義もへったくれもないのは、現在の北朝鮮や韓国の慰安婦像をめぐる問題を見ても何も変わっていないようだ。  明治初頭の朝鮮半島をめぐる外交問題でもそれはよく似ている。 李氏朝鮮が日本の領事館に当たる釜山の草梁倭館に侮辱を加え、嫌がらせをしたことに対し外務卿の副島種臣が官員の引き上げを正院に対し建議したこともあっ…
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征韓論 【西郷南洲翁遺訓解説】 第十八条 ③

③征韓論  道理に基づく一致一和を目指すという、島津斉彬より継承された政治方針は、文明開化、明治の御代となっても変わっていない。  明治四年七月に廃藩置県が行われたが、これは王土王民思想に基づいてなされた明治二年の版籍奉還の徹底化であり、かなり急進的な改革であったが、薩長を中心とする兵の睨みが効いただけではなく、道理であるからこそ、…
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いわゆる征韓論の史料 「西郷南洲翁の正気 (その弐)」

 史料①「大使派遣論の趣旨」  そもそも西南戦争の遠因は、明治六年のいわゆる征韓論破裂にあります。  南洲翁は自らの大使派遣論に固執したわけですが、これには理由があります。  自らが勅使となって赴くことについて、これは推論になりますが、当時、筆頭参議であり、且つ唯一の陸軍大将で、いわば日本陸軍の最高司令官であった南洲翁が、兵を…
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昭和史問答 ②「西郷隆盛のいわゆる征韓論の全体像」

 今回は「西郷隆盛のいわゆる征韓論の全体像」という記事に付されたコメントとそれに対する回答です。 ヒロシさん 「これはよくご存知ですね。  参考までに。  林房雄氏の大東亜戦争肯定論によれば、満州経営のアイデアは島津斉彬にあるそうです。  李鴻章は背後でロシアから賄賂を受け、密約を結んでいたようです。」 …
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西郷隆盛のいわゆる征韓論の全体像

 一回テーマが飛んでしまいましたが、今回は再びいわゆる「二十一ヶ条要求」問題に象徴される日中問題の原形を見ていきたいと思います。  副島種臣の台湾問題に対する考えについて触れましたが、彼は明治五年十一月には、清朝皇帝の婚儀祝賀と条規批准交換のための全権大使を命ぜられ、翌六年三月には清国に向かいました。上海への途上、鹿児島に立ち寄っ…
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近代日本建国の父 

 前回、満州がシナの伝統的領土ではなく、漢民族が清朝崩壊のどさくさに紛れて、自己の領土であると主張し始めたものであり、彼らの肥大化傾向、今日まで続く領土膨張意識の現れであることを述べました。  それらが象徴的に現れているのが、孫文の主張の変遷であることにも触れました。その意味で、孫文は良くも悪くも近代中国というものを象徴する、建国の父…
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「征韓論政変の謎」(海鳥社)伊牟田比呂多

 著者の伊牟田氏は、幕末西郷隆盛の密命を受けて江戸に赴き、浪士を使った幕府への挑発を実行したとされている伊牟田尚平の子孫の方でしょうか。西郷南洲顕彰会の機関誌「敬天愛人」誌によく記事を書いておられます。前掲書はその伊牟田氏が書いた征韓論政変に関する著作ですが、政変の謎に挑んだ研究書というよりは、毛利敏彦氏の「明治六年政変の研究」の延長線…
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毛利敏彦「明治六年政変」(中公新書)

 前回中公新書より出たばかりの小川原正道著「西南戦争」について触れましたが、今回はそこでも触れた毛利敏彦「明治六年政変」について触れたいと思います。  この本も中公新書から出ていますが、出版されたのは1979年で、その内容は前年に有斐閣から出版された「明治六年政変の研究」が土台となっています。  この両書は歴史学の原則に則って、史料…
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西郷隆盛は征韓論者か、それとも遣韓使節論者か。

 西郷隆盛がいわゆる征韓論で下野した問題は、西郷ファンにとって厄介な問題なようで、いまだに征韓論者か、遣韓使節論であったかが問題になっているようです。  鹿児島県知事の伊藤祐一郎氏は教科書出版社に征韓論は誤りであり、遣韓論と訂正してほしいという要請をされたとのことです。これについては昨年の『敬天愛人』誌の巻頭言で、伊藤氏自身が書いてお…
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