テーマ:終戦記念日

『仁‐JIN‐』…「敗戦時の記憶 【七】」

主君・烈公の『弘道館記』を敷衍した藤田東湖の『弘道館記述義』は、本居宣長の「からごころ」批判を意識し、これを克服したものとなっている。それは後期水戸学の特徴でもある。  東湖は言う。  上古は世質に人朴にして、未だ書契あらず。所謂道なるものも、また寞然として聞くことなし。然らばすなわち道は、固より、上古に原(もと)づかざ…
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『国體』…「敗戦時の記憶 【その六】」

 大東亜戦争末期、日本国民は皇室を中心とする国体を守るために命を投げ出し、天皇はこの国民(おおみたから)を守るために、命を投げ出された。そのことによって、わが国の国体はぎりぎりのところで守られた。 われわれの先人は、天地神明を前にして、その伝統が本物であることを証明したのである。  それは旧い伝統の死であると同時に、新たな復…
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『孔子とイエス』…「敗戦時の記憶 【その五】」

 もうひとりの知識人の敗戦経験を紹介しておきたい。  その知識人は次のように書いている。 …私が『論語』を、教室の講義のためでなく、自らのために読んだのは、敗戦後のことであった。あの敗戦のあとの、やるせないような虚脱を味わわれた方には、理解していただけることかと思う。私の机辺には、いつとはなく、『論語』と『聖書』とがあっ…
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『神』・・・「敗戦時の記憶 【その四】」

 長谷川三千子氏は『神やぶれたまはず』の結語として、玉音放送を聴いたときの国民が経験したシーンとした心の一瞬を「神人対晤」の瞬間であったと表現している。その一瞬、日本国民全員の命と天皇陛下の命とは、相並んでホロコースト(いけにえを丸焼きにして神に捧げるユダヤ教における儀式〈燔祭〉)のたきぎの上に横たわっていた、というのである。  これ…
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『国体護持』…「敗戦時の記憶 【その参】」

 長谷川氏は『神やぶれたまはず』の最終章で、戦争末期に現れた「国體護持」の思想を議論の俎上に上げている。  国體思想が本格的に時代を動かしたのは幕末・維新期にまで溯る。  氏が国體思想の代表例として挙げているのが、藤田東湖の『弘道館述義』であるが、次のように要約されている。  そこでの東湖は、まづ(ヨーロッパの「自然…
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『天道』…「敗戦時の記憶 【その弐】」

 桶谷秀昭氏は、『荘子』にある「天籟」という言葉によって、玉音放送を聴いたときのシーンとした国民の心の一瞬の謎を解く手がかりを得た。  しかし、この事を世に問うたものの、反応は 「だから、どうしたといふのか。そんな怪訝をともなふ反感あるいは薄ら笑ひを、私はたびたび経験したが、賛意をつたへてくれた人はひとりもゐなかった」 …
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『天籟』…「敗戦時の記憶 【その壱】」

 八月に入って、十五日までは、蝉しぐれの中、毎年、我々日本人がかつて経験した異常な民族的記憶が甦る期間である。  相変わらずマスコミでは、戦前・戦中の日本を悪に仕立て上げての反省ごっこが繰り返されるが、こういった真の反省から程遠い欺瞞的態度が物事の発展を阻害するのは、昨今の隣国との関係を見れば分るだろう。  お隣の国々、中国や北…
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八月十五日

 靖国に眠る英霊、及び、あの大戦で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。  以下は昨年の同日掲載した文章の再掲載である。  八月十五日は終戦記念日である。  一九四五年八月一五日、大日本帝国は連合国に降伏した。  無条件降伏ではない。  ポツダム宣言第五…
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八月十五日 

 八月十五日は終戦記念日である。  一九四五年八月一五日、大日本帝国は連合国に降伏した。  無条件降伏ではない。  ポツダム宣言第五条の文言にあるように、有条件降伏である。   無条件降伏が求められたのは日本の軍隊に対してである。そう理解されたからこそ、日本政府はポツダム宣言を呑んだのだ。  日本の立場に立てば、無条件降伏…
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