本当の意味での日本の復興

 出典を明らかに出来ないが、昭和天皇は戦後日本の復興は250年かかるといわれたという。  戦後70年の今日、安倍首相が様々な牽制を受けながらようやく公表した談話を読むと、昭和天皇のご心配は決して杞憂ではなかった。そんな気にさせられる。  昭和天皇の御心を忖度するのは本来なら慎むべきことであるが、やはり重大な予言であることには変わ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

戦後七十年首相談話について

終戦記念日の前日、八月十四日に安倍首相の終戦七十年談話が公表された。 評価は様々だが、全ての政治的文書がそうであるように、政治的背景を考えなければ文書の価値評価はできない。今回も、政界やマスコミでは侵略・加害行為に対する謝罪の言葉を盛り込ませようと様々な圧力があった。中国や韓国を中心とする諸外国からもしきりに牽制がなされた。 そ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和天皇の人間宣言!ではなくて、新日本建設の詔

遅ればせながら、加藤康男氏の『昭和天皇 七つの謎』を読んだ。 冒頭第一章は「『四方の海』は替え歌だった」で、巷間伝えられる御前会議における昭和天皇によって詠まれた明治天皇の御製が、実は替え歌だったとの説が、歴史学の基本に則って検証されている。  加藤氏によれば、明治天皇が日露戦争時に詠んだとされる御製「四方(よも)の海 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大嘗祭の山頂と裾野

大嘗祭についてずっと考えている。 知識は増え、理解は深まってきているはずなのに、知れば知るほど、謎は深まるばかりというのは一体どうしたことだろう。 樹海にでも迷い込んでしまったかのようだ。 頭上高いところに光は見えているのに、どの方向に向かえばそこに近づけるのかわからない。  かと言って、どの方向に向かえば出口――謎…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

皇室の秘儀中の秘儀 大嘗祭

 ここのところ、ブログの更新を怠っているが、執筆活動を休止しているわけではない。  現在、数年前に書き始めた「皇室と『論語』」の仕上げで手一杯で、ブログの更新まで手が廻らないからである。  「皇室と『論語』」は、このブログに書き始めた西尾幹二氏への批判を、発展深化させたもので、皇室と『論語』の思想のかかわりを歴史的にたどるこ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

皇室の権威  思想問題としての開国、そして文明開化 (その二) 

江戸時代の皇室の権威回復現象についての政治学者・渡辺浩氏の見解。  しかし、何故、禁裏の権威が、いつの間にかそれほど上昇したのだろうか。  ①外国を意識するほど、皇統の連続が貴重に思えてくるという事情は確かにあった。無論、それを公言した②浅見絅斎などの儒学者や、③国学と水戸学の影響も大きい。④さらに、儒学的礼楽と平安の…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

思想問題としての開国、そして文明開化 (その一)

  西洋諸国への「開国」は「外圧」によって強いられたものだ。従来、しばしばそう語られてきた。一時声高に「攘夷」を叫んで徳川政権を苦しめ、その後一転して「開国」を容認した明治新政府の指導者にとっても、それが自己正当化しやすい物語だったからであろう。しかし、それは、歴史の一面でしかない。「開港」「開国」は、ペリー来航の遥か以前から、強…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和の日

 四月二十九日は「昭和の日」と呼ばれる祝日である。  この祝日の意義は、昭和天皇の御誕生日であるくらいのことは誰でも知っているが、過ぎ去りし昭和の御代を偲ぶ、くらいの意義しか、多くの人は感じていないのではないだろうか。  戦前、天皇の御誕生日は「天長節」として祝われた。  「天長節」の名は、天子の誕生日を意味し、『老子…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

儒学 ―― 最強の体系的政治イデオロギー

 「儒学は、人類がこれまで築いた、おそらく最強の体系的政治イデオロギーである。それは、孔子によって大成されて以後、他の諸思想潮流との抗争に徐々に勝利し、紀元前から二千年以上の永きにわたり、ほぼ一貫して、世界屈指の大帝国の正統思想として君臨した。そして、とりわけ近代に直接先立つ時期の東アジアにおいて、圧倒的な権威を持つ倫理哲学・政治哲学と…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

神かカイサルか ―山本七平

「パレスチナ問題」――それはおそらく二千年以上つづいて来た問題である。…(中略)…いったいその背後には何があったのか。それは一つの言葉に要約できる――「神かカイサルか」。  当時の世界はこの言葉を理解しなかった。「神はカイサル」ではあっても、「神かカイサルか」という言葉はあり得ない。当時の全世界の民にとっては、この言葉が語義矛盾であっ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

民族の神 ―ニーチェ―

 言うまでもないことだが、ある民族が滅びるとき、未来への信仰や自由への希望が永久に失われて行くのを感ずるとき、そして隷属が第一の利益として、隷属者の徳が自己保存の条件として、民族の意識に昇るようなとき、そういうときには、民族の神も変質しないわけにはいかない。神はいまや卑劣漢になる。臆病になり、控え目になり、「魂の平和」を、憎悪の中止を、…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

ニーチェとユダヤ人

 有名な「神は死んだ、われわれが殺したのだ」といったニーチェが、近代西欧において歴史的役割を終えたと見たキリスト教に変わる新たな価値の創造を目指し、狂気の淵に沈んだのが、一八八九年正月のこと。  彼はその直前、『偶像の黄昏』『アンチ・クリスト』『この人を見よ』の著書を立て続けに著し、これらの出版によって、革命を起こそうとの…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

「八紘一宇」とグローバリズム

 三原じゅん子氏が「八紘一宇」発言の真意を敷衍している。  東洋経済オンラインの四月五日付の記事「だから私は『八紘一宇』という言葉を使った」【http://toyokeizai.net/articles/-/65369】によれば、安倍首相の本音を叩く意図から出た発言であり、おそらくは首相の本音に近い内容だろう。  このような深く…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

尾崎秀実の根っこ

尾崎の言う「八紘一宇」の内容についてもう少し。 「…私の考えでは、日本文化は前述のごとく、あくまで日本の国土に生れ国体そのものに深く結びついたものであって、これはあくまで日本民族だけに許された特典であると考えます。したがって我が日本文化は、これを地域的に拡散するのではなくして、日本民族、日本自体の内でますます内的にこれを深め、…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

むしろ被差別、被侵略国であった日本 尾崎秀実の「八紘一宇」 (四)

 今年で戦後七十年。  あの戦争の意義を正確に知らずに、戦勝国の言い分を安易に受け入れてペコペコ謝るばかりでは、英霊はもちろん、犠牲者の霊も浮かばれない。  自民党の高村正彦副総裁は三月下旬の訪米時にブリンケン国務副長官と会談し、慰安婦問題に関して「韓国とは法的にも政治的にも決着をつけたが、何度も蒸し返され、日韓関係が大切だと思…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

侵略のスローガンではなかった「八紘一宇」  尾崎秀実の「八紘一宇」 (三)

尾崎は言う。 「ところが日本が決然立って英米を敵とし、たちまちにして東亜の諸地域から英米の勢力を破砕し去るにいたって、日本の前述のごとき理想は現実性を顕し来り、従来の日本の宣言が驚くべき魅力をもって東亜十億の民衆に呼びかけこれを招くこととなったのであります。・・・(中略)・・・  だが何よりも私にとって重大な意義ありと思われ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

他国侵略のスローガンというのは本当か 尾崎秀実の「八紘一宇」 (二) 

 戦後日本のぬるま湯に浸かってきた日本の共産主義者たちが、尾崎の転向文書とちゃんと向き合えずにきたのもむべなるかなという気がする。  三原じゅん子氏は「この言葉(八紘一宇)が、戦前の日本で、他国への侵略を正当化する原理やスローガンとして使われた」とのご理解(誤理解)を示しているが、支那問題の専門家を自負していた尾崎はどういってい…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

尾崎秀実の「八紘一宇」 (一)

「八紘一宇」という価値観を大切にしてきたと意外なことを告白した三原じゅん子氏と言えば、われわれの世代にとっては金八先生担任・三年B組の不良少女としてのイメージが強くこびりついていて、彼女のこの発言に関しては懐疑的にならざるを得ないのだが、金八先生の「贈る言葉」が効いたのであろうか。  ところで、戦前の日本における不良中の不良の一人…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

「八紘一宇」

 自民党所属の参議院議員・三原じゅん子氏が参議院予算委員における質疑の中で、「八紘一宇」という言葉を取り上げて、ネット上ではちょっとした話題になっている。  氏は質疑の中で麻生太郎財務相に対し、「八紘一宇の理念のもとに、世界が一つの家族のようにむつみあい、助け合えるような経済、税の仕組みを運用することを確認する崇高な政治的合意文書…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

ニーチェ 神になった悲劇人

ブクログ・パブーに今年唯一の論考『ニーチェ 神になった悲劇人』を公開したのでお知らせいたします。 http://p.booklog.jp/book/93502 西洋哲学について門外漢の私がニーチェについて書くというのは意外だと思いますが、昨年ブログに掲載した西尾幹二氏への批判を国体論…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

安倍首相への御忠言

 安倍首相が靖国神社における秋の例大祭の参拝を見合わせた。  痛恨の極みである。  かつて首相は別の問題でだが、『孟子』の言葉を引用して「千万人といえどもわれ往かん」と自身の覚悟を述べたことがある。  だが、千人、万人まではオーケーでも、桁が違えば、見合わせるということであろうか。首相の靖国公式参拝の問題はわが国の「神…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

『仁‐JIN‐』…「敗戦時の記憶 【七】」

主君・烈公の『弘道館記』を敷衍した藤田東湖の『弘道館記述義』は、本居宣長の「からごころ」批判を意識し、これを克服したものとなっている。それは後期水戸学の特徴でもある。  東湖は言う。  上古は世質に人朴にして、未だ書契あらず。所謂道なるものも、また寞然として聞くことなし。然らばすなわち道は、固より、上古に原(もと)づかざ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

『国體』…「敗戦時の記憶 【その六】」

 大東亜戦争末期、日本国民は皇室を中心とする国体を守るために命を投げ出し、天皇はこの国民(おおみたから)を守るために、命を投げ出された。そのことによって、わが国の国体はぎりぎりのところで守られた。 われわれの先人は、天地神明を前にして、その伝統が本物であることを証明したのである。  それは旧い伝統の死であると同時に、新たな復…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

西郷隆盛の命日

 人皆、事を成すに、己が事はこの位の事は宜しきものと恕(ゆる)し、人の事は責むるなり。総ベて己に恕するだけは人をも恕し、人を責むるだけは己をも責むべし。畢竟、恕は人に帰し、責は己に帰すべし。因りて人を容れ、人に容れられては済まぬものなり。    忠孝は根本なるも、これを行うところを究むれば、天を敬し人を愛すは第一の目的なり。…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

『孔子とイエス』…「敗戦時の記憶 【その五】」

 もうひとりの知識人の敗戦経験を紹介しておきたい。  その知識人は次のように書いている。 …私が『論語』を、教室の講義のためでなく、自らのために読んだのは、敗戦後のことであった。あの敗戦のあとの、やるせないような虚脱を味わわれた方には、理解していただけることかと思う。私の机辺には、いつとはなく、『論語』と『聖書』とがあっ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

『神』・・・「敗戦時の記憶 【その四】」

 長谷川三千子氏は『神やぶれたまはず』の結語として、玉音放送を聴いたときの国民が経験したシーンとした心の一瞬を「神人対晤」の瞬間であったと表現している。その一瞬、日本国民全員の命と天皇陛下の命とは、相並んでホロコースト(いけにえを丸焼きにして神に捧げるユダヤ教における儀式〈燔祭〉)のたきぎの上に横たわっていた、というのである。  これ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

『国体護持』…「敗戦時の記憶 【その参】」

 長谷川氏は『神やぶれたまはず』の最終章で、戦争末期に現れた「国體護持」の思想を議論の俎上に上げている。  国體思想が本格的に時代を動かしたのは幕末・維新期にまで溯る。  氏が国體思想の代表例として挙げているのが、藤田東湖の『弘道館述義』であるが、次のように要約されている。  そこでの東湖は、まづ(ヨーロッパの「自然…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

『天道』…「敗戦時の記憶 【その弐】」

 桶谷秀昭氏は、『荘子』にある「天籟」という言葉によって、玉音放送を聴いたときのシーンとした国民の心の一瞬の謎を解く手がかりを得た。  しかし、この事を世に問うたものの、反応は 「だから、どうしたといふのか。そんな怪訝をともなふ反感あるいは薄ら笑ひを、私はたびたび経験したが、賛意をつたへてくれた人はひとりもゐなかった」 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

『天籟』…「敗戦時の記憶 【その壱】」

 八月に入って、十五日までは、蝉しぐれの中、毎年、我々日本人がかつて経験した異常な民族的記憶が甦る期間である。  相変わらずマスコミでは、戦前・戦中の日本を悪に仕立て上げての反省ごっこが繰り返されるが、こういった真の反省から程遠い欺瞞的態度が物事の発展を阻害するのは、昨今の隣国との関係を見れば分るだろう。  お隣の国々、中国や北…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

徳川家康の天下取り 【三】 中庸および湯武放伐論

 天下分け目の関ヶ原、大坂冬の陣、夏の陣。  二度あることは三度あると言うが、太閤恩顧の大名が秀頼を担ぎ上げて、家康に敵対する事件もやはり三度出来した。  家康はこれに対し、仏の顔も三度までと、三度目の反逆行為に及んだ秀頼をついには許さなかった。家康も秀頼本人に反逆の意図があるとまでは思っていなかったらしく、よく事情を汲んで、何度も…
トラックバック:1
コメント:0

続きを読むread more

徳川家康の天下取り 【二】 大坂の陣

徳川家康は豊臣秀吉のよき理解者ではなかった。  彼の才気に満ちた天下への仕置きの多くを、物好きから来る私的行為とみなしていたらしく思える。  例えば、方広寺の大仏建立である。  この事業は、井沢元彦氏が説いておられるように、織田信長が摠見寺を建立して、あらゆる宗派を統合しようとしたのと同じ趣旨で建立されたものだ。だから、こ…
トラックバック:1
コメント:0

続きを読むread more

徳川家康の天下取り 【一】 「天下分け目の関ヶ原」

 家康は狸親父といわれ、大変な陰謀家と思われているが、必ずしもそうではない。  確かに、彼は秀吉に六尺の弧、すなわち遺児秀頼を託されておきながら、後にこれを滅ぼした。これほど後世の印象を悪くしたことはないだろう。  しかし、これも太平の世から、あるいは後世の価値観から見れば、そう思えるだけのことで、当時の社会状況や価値観を考えれば、…
トラックバック:1
コメント:0

続きを読むread more

徳川家康と天道

 徳川家康が織田信長のことをどう思っていたか分らない。  しかし、彼にもまた、信長・秀吉とはその内容のやや異なる、独自の天道思想があったことは確かだ。  家康は源頼朝の天下統治のあり方を模範としたが、信長の死後、それと同じ原則に則って天下人となった秀吉を、織田家の天下を簒奪した、として批判したことは既に触れた。  そして、豊臣…
トラックバック:1
コメント:0

続きを読むread more

豊臣秀吉の天才

 織田信長の天下一統事業の継承者となった豊臣秀吉に関して、通俗小説の類に慣らされた読者は、今から論じるラジカルな秀吉論について来れるだろうか。  彼の天才ぶりについては夙に知られている。  戦争、特に攻城の名人であると同時に、調略の達人であった。人たらしの天才という言葉はどこかで聞いたことがあるだろう。  だが、多くの人がその…
トラックバック:1
コメント:0

続きを読むread more

この人を見よ!織田信長の正気と狂気

 『信長公記』によれば、天正七年五月十一日、織田信長は安土城天主に移り、まさに天主として降臨した。これは同時に神仏の影向でもあった。  この翌十二日は信長の誕生日とされている。  (フロイスの記述からの逆算による通説。井沢元彦氏は十一日説を主張。私もこちらだと思う。)  ところで最近、古書店で、西尾幹二氏が翻訳と解説を行ってい…
トラックバック:1
コメント:0

続きを読むread more

織田信長の天道思想

 戦国の混乱を収拾しようとした織田信長は天道思想を強く信じていた。    「天下一統」「天下布武」「天正」「天主」  「天」は彼の事業を理解する上でのキーワードである。  彼の人生は戦争と政治に明け暮れて、これと言った文書を残さなかったが、様々な記録や証言から、凡そつかむことができる。  特に小瀬甫庵が愚直と評した太…
トラックバック:1
コメント:0

続きを読むread more

西尾幹二氏へのもう数言

「皇室と『論語』」はまだ終っていないが、急がずにまとめていくことにして、西尾幹二氏が五月九日付のブログ記事「もうひとこと申し上げる」で次のような問題提議を行っておられるので紹介したい。 http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1290 「…最近、皇室問題がしきりに論じられるが、皇室が危機にあるか…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

皇室と『論語』 【五】   (「西尾幹二氏への数言 (六)」)

紀貫之は「仮名序」で、和歌の作用の一つに、鬼神をあはれと思わせる、つまり鬼神を感動せしむる、と述べたわけだが、『論語』にはこの鬼神について孔子が論じた数条がある。  ある弟子が孔子に知を問うた。  子曰く、民の義を務め、鬼神を敬して之を遠ざく、知と謂うべし。  「義務」「敬遠」の出典である。  ま…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

日本文明の二重性

 西尾幹二氏を中心とする現代史研究会メンバーによる討論を見て、興味深いことが語られていたので紹介したい。  西尾氏自身、歴史は未来から来るものであり、我々が動けば歴史は動く、というだけあって、現在の国際政治を意識しながら、歴史を深く掘り下げた内容の濃い討論となっている。 1/3【現代史研究会SP】「反日の米中連携」その実態と…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

転がらぬ岩

 西尾幹二氏の一言に端を発して書き始めた「皇室と『論語』」はようやく核心に入ろうとしているが、文章がなかなかまとまらない。  この内容は『西郷南州伝』を書いているうちに、すなわち明治維新という故き事を温めるうちに心の中に醸成されてきた日本の国体観、文明観であって、いずれ書かなければならないと思ってはいたものの、まだまだ先のつもりで…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

皇室と『論語』 (四)  

明治大帝を模範とされた昭和天皇は、この祖父が天地神明に誓われた「五箇条の御誓文」の精神を重んじられ、敗戦後、初めての国民への詔書(いわゆる「人間宣言」)で、新生日本建設の指針として「五箇条のご誓文」を掲げられたが、そのご誓文の原案の起草者であった由利公正は、それが四書の思想に由来することを自伝で告白している。  若き日の昭和天…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

【転載記事】 「米議会・慰安婦問題決議への憂慮―日本外国特派員協・ナの意見陳述―西尾幹二」 

 名分条理を正すは維新の根元。  西郷南洲翁が人の言葉として語っていたのを思い出す。  前回少し触れた「従軍慰安婦」「セックス・スレイヴ」の問題に関して、西尾幹二氏が世界に向けて名分条理を正すための狼煙を上げたので、「西尾幹二のインターネット日録」より紹介させていただきます。 http://www.nishiokanji.…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

今なぜ皇室と『論語』について書くのか

『西郷南洲伝』「維新初政」編 「薩摩藩邸焼き討ち」をブクログにて追加配信いたしましたのでお知らせいたします。  http://p.booklog.jp/users/yamatogokoro  テーマは旧幕・陸軍方主導の薩摩藩邸焼き討ちをどのように評価するかですが、大事なのは、江戸撹乱工作の意図を持たなかった薩摩藩首…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

本当はなかった西郷隆盛の「江戸撹乱工作」

『西郷南洲伝』「維新初政」編 第五回配信分「いわゆる江戸撹乱工作」をブクログにて配信いたしましたのでお知らせいたします。  http://p.booklog.jp/users/yamatogokoro  内容は、通説のようになっている西郷南洲翁によるいわゆる江戸撹乱工作は本当にあったのか否か、というものです。  …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

「『つくる会』の本の出版を決意」 (「えんだんじのブログ」より転載)

【記事転載開始】 「去年、私は自分のブログで「新しい歴史教科書をつくる会」、通称「つくる会」の本を書くと宣言しました。さっそく書き上げ、原稿を出版社(A)に提出した。出版社から原稿がまるで「つくる会」の広報誌みたいだと言われました。そこで原稿を書き直し再度(A)出版社に提出した。その結果を数ヶ月待たされた。やっと出た結果は、(…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

さくら

 さくらが咲いている。  さくらと言えば日本というものを表象する樹木である。  さくらをこよなく愛す日本人の心性は古代から変わっていない。  ここのところ、日本人と『論語』について考えているが、この国に最初にこの書物をもたらしたとされる百済からの渡来人・和邇(王仁)について調べるうち、この伝説的な人物が、古代日本人にとって…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

皇室と『論語』 (参)  

 「道」は過去と己を結ぶものであると同時に、未来へと続くものである。  現在はその間に存在する。  そして、現在にあって「道」は生きるしるべ(導・標・知る辺)となる。  この『論語』との出合いから、我々日本人は豊かな口承伝承の世界を土壌にして、自覚的に歩き始めるひとつのきっかけを得た。  考えてみれば、我々日本人ほど、「…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

皇室と『論語』 (弐)

 西尾氏に対しては、まさに釈迦に説法のような話が続くことになるが、「動かぬ真実を探しても無駄」との一言で戸惑った自分の考えをまとめるために書いている。戸惑ったのは、むしろ真実と信じていたものが意外と簡単に揺らいだことにあったかもしれない。  だから、この文章を書く目的は、西尾氏の見識に対する批判というよりも、日頃よく読んでいる西尾氏の…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

皇室と『論語』 (壱)  (「西尾幹二氏への数言」【その弐】)

 ところで、卓爾たる西尾氏の言論の立つる所とは一体何なのだろう。  これはいつも西尾氏の著作の通読後に残る余韻である。  山の実体を信じ、地の道をてくてく歩いていこうとしている自分には、なかなかつかみにくい。  そんな大地からの目線で、西尾氏の志を忖度するなら、その意識において、近代西洋文明そのものと対峙し、これを乗り越えようとし…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more