Amazon オンデマンド版 『十人の侍(中)』 販売開始のお知らせ

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 Amazonオンデマンド版『十人の侍(中)』が十月十五日より販売開始となります。【税別価格4000円・税込み価格4320円】
 紙の書籍です。

 Kindle電子書籍版出版の告知でも書きましたが、江戸時代の儒学の伝統、そして、それがどのように維新回天の偉業につながったのか、廃藩置県に至るまでを、薩摩藩の王政復古討幕運動を中心に叙述しています。
 その運動の中心として、特に島津斉彬、西郷隆盛に焦点を当てています。この二人が最後の十人の侍です。

 そう言えば、トム・クルーズ主演のハリウッド映画『ラスト・サムライ』は西南戦争における西郷隆盛の事跡をモデルにしていたといいますが、奇しくも同じ人物をラスト・サムライとして取り上げていることになります。

 しかし、筆者の場合、ある種の骨太い武家政治の伝統を体現した最後の大物として扱っているのであって、現代から見て絶滅した最後の種族のような扱いではありません。懐古趣味ではなく、その精神的伝統を明らかにすることによって、今後、静かながらも細々と受け継がれているはずのこの精神が復活・復興することの期待しての執筆という点で異なります。

 時代の断面図として各時代の英雄を取り上げるだけでなく、垂直方向の時間軸でのつながり、精神的伝統の継承を明らかにすることが目的で、その先に日本の未来を見据えたいと考えています。

 最近、黒澤明監督の名作『七人の侍』を観直してみましたが、娯楽作品としてばかりでなく、モチーフとしてもなかなかよく出来た作品だと感心しました。

 野武士の群れに生活を脅かされた村の住民は、気位は高いものの腹を空かせた武士を腹いっぱいの飯で雇い、村を守ってもらう。ともに戦ううちに連帯感も生まれ、やがて臆病なだけだと思っていた彼らが意外としたたかで、落ち武者を襲って武器を奪ったり、豊かな暮らしをしていることが判明してくる。
 最終的に双方犠牲を出しながら、野武士を退治することに成功するが、日常生活に戻った百姓らを見た侍は彼ら村民たちこそが勝者であったことを悟って、物語は終わる。

 明治四十三年(1910年)、武士の家系に生まれ、戦時中に映画監督としてデビュー、終戦を挟んで昭和二十九年、四十四歳で『七人の侍』を完成させた黒澤は、戦後日本社会における彼の世界観をそこに投影させていなかっただろうか。つまり、若い頃、プロレタリア画家を目指し、非合法活動を行ったこともあった彼の世界観がそこに投影されてはいなかっただろうか、ということです。人民の連帯団結、そして勝利という共産主義的理想へのシンパシーを、です。

 現実の共産主義社会は、旧ソ連を見ても、中国や北朝鮮を見ても、人民にとって苛酷で悲惨なものであったわけですが、共産主義のイデオロギーでは見落としてしまうものが武家政治の伝統にはありました。これは一国一城の主を夢見る戦国時代の浪人侍や野武士には見られない伝統です。

 そもそも武士とは武装した開拓農民を起源とする階級です。朝廷の権力から自己の権益を守る過程で独立した勢力となっていき、終には朝廷から権力を奪ってしまった。つまり、武士と百姓は階級としては同根であり、優れた武家政治家はその根源を忘れることはなかったのです。源頼朝然り、北条泰時然り、織田信長然り、豊臣秀吉然り、徳川家康然りです。
 彼らは農本主義である儒教を援用して天下の政治を司りました。
 ある意味、映画『七人の侍』で描かれた荒廃し、殺伐とした天下を再興しようとした武家政治家とその精神的伝統、映画では描かれていないそれを明らかにしたのが、拙著『十人の侍』の上巻で、その武家政治の伝統がどのように維新回天へと集大成されていくかを明らかにしたのが中巻と言っていいでしょう。
 

 最近は明治維新は偽りだっただの、過ちだっただの、テロだっただの、皮相な見解を恥ずかしげもなく開陳する似非インテリが後を絶ちませんが、彼らはちゃんとした理解を経た上で、明治維新を批判しているわけではないのです。こんな単なる時流に便乗した似非インテリの思いつきに乗せられてはいけません。
 自分の先人たちの物語として、明治維新を知りたい、あるいは明治維新につながる武家政治の伝統を知りたいという方には拙著『十人の侍』をぜひお読みいただきたいと思います。

 なお十月末には電子書籍ではすでに発表していた『織田信長「超人」伝』と『ニーチェと論語』を合わせた『織田信長とニーチェと論語』を同じくAmazonオンデマンドで販売開始予定です。

 
 
 


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