日本人と『論語』 

 前々回の記事で紹介したブログ『ねずさんのひとりごと』に面白い記事を見つけたので紹介したい。

『ねずさんのひとりごと』 「天下の公民4/論語と日本的規範」http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1767.html


 日本人と支那人の『論語』の読み方が、正反対と言っていいほどに全く違う、という趣旨の記事で、全面的に賛成である。

 保守の中には、

 中国および中国人は野蛮で出鱈目、平気で嘘をつく。
 『論語』はその中国の代表的な文化、儒教の聖典である。
 だから『論語』も野蛮で出鱈目である。
 これでいいのだ。

 こういった、バカボンのパパのような三段論法で論じる人が多い。

 しかし、これでは支那に対する理解も中途半端にならざるを得ないし、逆に日本に対する理解も中途半端なものにならざるを得ないだろう。

 最近の例で言えば、『自ら歴史を貶める日本人』(徳間書店)という対談本を読んでいて、西尾幹二氏までが、「そもそも、『論語』は嘘の固まりですから(笑い)」と言っていて驚いた。引用してみる。


福地(淳)…中国人がいかに嘘を平気でつく民族であるか。これは、何も私の独断と偏見で申し上げているのではなく、米国上海副領事を経て福建省の副領事として赴任したラルフ・タウンゼント氏が、『暗黒大陸中国の真実』(芙蓉書房出版)で「嘘をついても嘘だと思わない民族がシナ人である」「彼らと約束はできない」と、詳細に述べられています。

西尾(幹二)…中国人は市民生活においても、そのような性質ですね。

福地…自分がいかにも正しいことを言っているかのように諺や格言を使い、老子や孟子だなどともっともらしく強弁しながら、腹の中では舌を出している。

西尾…そもそも、『論語』は嘘の固まりですから(笑)。

福地…ところが、日本人は有り難がって素直に言うことを聞いてしまう。中国人から見れば、「なんて扱いやすい奴らだ」と思ったことでしょう。…


(なお、このくだりについては、「西尾幹二のインターネット日録」の次の記事のyoutube映像の中で朗読されている。明らかに支那文明批判の文脈での発言である。http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1263


 話の流れからいって、支那における『論語』という意味であって、これはこれで正しい。しかし、それはあくまでも支那人の読み方と言うことであって、日本人は全く違った読み方をしてきて、一つの大きな伝統を形作ってきたという、日本文明の微妙さに対する配慮がこの発言からは窺えない。
 西尾氏は、言わば日本版ルネッサンスの巨人として、『弁名』『弁道』『論語徴』の著者・荻生徂徠や『古事記伝』の著者・本居宣長に対する論考もある方であるにもかかわらずだ。
 やはり、これは西洋に由来する保守思想の限界なのだろうか。




『ねずさんのひとりごと』 「天下の公民4/論語と日本的規範」(本文のみ引用)


先日おもしろいお話を聞きました。
支那人が日本にやってくると驚くというのです。
何に驚くかというと、日本の書店さんです。

日本の書店さんには、行くと必ず奥に「論語」が置いてある。
支那にももちろん書店はあるのだけれど、そこに「論語」が置かれていることは、まずないのだそうです。
そこでまず驚く。

驚きはまだ続きます。
日本の書店に置かれている「論語」を手に取って中を読むと、彼ら支那人が思っている論語と、その内容や解釈がまるで違うというのです。


論語は、もともと10巻20編502話の大作です。
けれど、その中で、論語といえば支那人たちがその内容としてまず思い浮ゥべるのが、「諱(き)、荘(そう)、穆(ぼく)」なのだそうです。
ところが、その3つの観念が、日本の論語にはまったく書かれていず、代わって「仁義礼智信」がメインテーマとして描かれている。

「諱(き)」というのは、「かくす」という意味です。
何を誰から隠すかというと、真実を世間から隠す。
論語には、次のようなエピソードがあります。

ある人が孔子に言います。
「私の村にはとても正直な人物がいます。その正直な人物は、自分の父親が他人の羊を盗んだ時に、それを告発しました。」

孔子は答えます。
「そういう人物は正直者とはいいません。父は子のために隠し、子は父のために隠す、これが本当の正直というものです。」

我々日本人の感覚からしたら、これは「?!」です。
実は論語には、「かくす=諱(き)」は、「尊者のために恥を諱(かく)し、過(あやまち)を諱(かく)し、疾(あしきこと)を諱(かく)せ」とされています。
そして隠すことが「正直」だ、というのです。

それだけではありません。
「諱(き)」は、そこからさらに発展して、「他の誰かのために、真実を隠し、そのために嘘をつくことは正義である」とされています。
それどころか、尊者のためには、人はむしろ積極的に嘘をつくべきだと説かれます。

「尊者」というのは人ばかりを指しません。
国や組織は、尊者の中の大尊者です。

ですから偉大で最高の尊者である中共国家の恥になることや、国家の明らかな過ちなどを隠すことは、支那の人民にとって「諱(き)」、すなわち正直であり、正義である、となるのです。

もっといえば、国家の威信を守るためなら、嘘をついたり、デマを飛ばすことさえも、それは正義だ、となります。

南京虐殺や百人斬りなどのでっちあげも、支那人の文化観、価値観では、まさに「諱(き)」であり、正当かつ道徳的な行いである、となるのです。

日本にも、文字としての「諱」という字は入ってきています。
けれどこの字は、「諱(いみな)」と訓読みされ、名前の一種としての地位しか与えられていません。

「いみな(諱)」というのは、たとえば伊達政宗公は、幼名が「梵天丸(ぼんてんまる)」、成人してからの名が「伊達藤次郎(とうじろう)」です。
我々が知る伊達政宗(だてまさむね)の「政宗」は、普段名乗らない(かくれた)本名、すなわち「かくし名(=諱)」です。

ちなみに伊達政宗のあだ名が「独眼竜」、お亡くなりになった後の「おくり名(=諡、あの世での名前)」が「伊達貞山」です。

なんだかややこしいですが、簡単に言うと、たとえば私なら、インターネットのハンドルネームの「ねず」が通称、普段呼んでもらえない名が善行(ぜんこう)で、この善行が、いわば「諱(いみな)」です。
死んだあとの戒名は、まだ、なんとつけられるかわかりません(笑)が、それが「諡(おくり名)」です。

つまり日本には、「諱(き)」という漢字は、なるほど導入されたけれど、人生哲学や道徳概念としての、この文字の語彙(ごい、言葉の意味)は導入されず、単なる名前の一種類としてしか使われていない、ということです。

このことは実はとっても重要なことで、日本では、論語でさえも、そこにある価値観、倫理観を、ただ無批判に受け入れたわけではなく、受け入れるべきものと、受け入れるべきでないものを、ちゃんと選択して、導入している、ということです。

なぜ、そんなことが行われたかというと、これは理由はひとつしかありません。
「わが国には、支那の漢字や文化を受け入れる以前から、明確な指向性を持った文化や倫理観、価値観があった」ということです。
だからこそ、日本人の文化意識、道徳意識、価値観、倫理観にそぐわない観念は、まるで無視され、受け入れられて来なかったのです。

「諱(き)」を日本が受け入れなかったのは、日本が古来、人は正直であること、嘘をつかないこと、何より真実が大事であると考える民族であったということの逆説的証明でもあるわけです。

なぜなら、真実を大事にしなければ、文物は発展進歩しないからです。
いくら孔子様のありがたい教えでも、「諱(き)」のように、真実から目を覆(かく)してしまっては、見えるべきものも見えなくなるし、真実から眼を背けたら、解決策などでるはずもありません。
欧米列強の植民地華やかりし時代に、日本がまたたく間に西欧文化を採り入れて近代化に成功し、逆に支那にはそれができなかったという理由も、ここに大きな違いがあるわけです。

「荘(そう)」も日本に受け入れられなかった概念です。
「荘(そう)」は、威儀を正したどっしりした態度を意味する文字で、論語では、知や仁が十分あっても、「荘」がなければ尊敬は得られないと説かれています。

つまり、上に立つ者は、知識や人徳よりも、偉そうに「ふるまう」ことが大事だというのです。
ですから「礼」は「荘」を飾るためのものだと唱えられています。

ひらたくいえば「荘」は、人の上に立つ者は頭はカラっぽでいいから、とにかく威厳をつくってどっしり鷹揚(おうよう)にしていなさいという意味です。
「礼」さえも、「荘」を演じる者に、ぺこぺこと頭を下げて隷従(れいじゅう)するための作法であり、それをするのが、臣下や部下の勤めだというわけです。

日本は、この「荘(そう)」の観念も、まったく受け入れていません。
受け入れないどころが、上の説明を読めば、嫌悪感さえあるかもしれません。

日本は「荘」の文字は受けれ入れています。
けれどこの字は、荘園や、山荘、あるいは共用建物の名前など、要するに「立派そうにみえる建物や施設の名前」に使われているだけです。

つまり日本は「荘」は、建物や施設の名称用としてのみ導入し、人の道を示す言葉としては、これまた、まったく採用していません。


「穆(ぼく)」も同じです。
これは、実って熟した人物である君子は、おだやかで口元に微笑みをたたえ、つつましく、ほんのりと奥ゆかしくせよ、という意味の漢字です。

語源は稲穂が稔った姿の象形文字で、
稲が花開いた姿が「秀(しゅう)」
実って熟したものが「穆(ぼく)」
稲の実がはげ落ちた殻が「禿(とく)」です。

「穆(ぼく)」は、熟した人物は、常に口元に微笑みをたたえて、余裕綽々(しゃくしゃく)にふるまって、いかにもお大人(たいじん)風をよそおえ、というわけです。

この「穆(ぼく)」も、文字としては我が国にも入ってきています。
たとえば、「和穆(わぼく)」や「穆訥(ぼくとつ)」などと使われます。

けれど一般には「わぼく」は和睦ですし、「ぼくとつ」は朴訥です。
つまり「穆(ぼく)」に至っては、その概念はおろか文字さえも、日本は受け付けていない、ということです。

さて、「諱荘穆(きそうぼく)」の三つがと揃うと、これはとてもおもしろいことになります。
すなわち、君子は中味がからっぽでも常に威厳をただしていればよく(荘)、口元に微笑みをたたえていかにも大物風を装い(穆)、そういう中味が空っぽのアホの君子が何かドジをしでかしても、部下はウソをついてでもそれを隠し通し守り通すのが筋道である(諱)となります。

なんだかマキャベリズムっぽいですが、これらは日本人の道徳観念とはまったく異質なものです。
ですから古来、日本では、これらの概念を、たとえそれがありがたい孔子の教えであってさえ、全く受け入れていないのです。

一方、論語から日本は、「仁義礼智信、孝忠悌廉恥」は、明確に採り入れています。
「仁義礼智信」で「五常」(五徳ともいいます)、
「孝忠悌」の三つを加えて「八徳」、
これに「廉恥」の二つを加えるて「十徳」です。

これら「十徳(じゅっとく)」が、「諱荘穆」と異なるのは、諱荘穆は、どれも外見や振る舞いといった外形上の「型」を指す言葉である、ということです。
これに対し、「十徳」は、内面の「心」を磨く言葉です。

では、なぜ支那ではこうした外形上の「型」が重視され、日本では内面的な心が重視されたのでしょう。

答えは簡単です。
日本では、古来「諱荘穆」のように外見を飾る必要がなかったからです。

なぜ必要なかったか。
これまた答えは簡単です。
日本人は、誰もがみんな「天下の公民」だからです。

誰もが人として「対等」であり、その「対等」を前提として、社会の中で役割分担をしていく。
この「対等」というのは、平等とは異なります。
みんなが同じではないからです。
生まれたときから、金持ちで色男もいれば、貧乏で病弱な人もいる。
ひとりひとりが持って生まれた環境も、能力も違います。
その違うものが集まって、みんなで力を合わせて社会を建設していく。
対等だから、力を合わせれるのです。
平等なら、力を合わせなくたって、結果は平等に分配される。

要するに、古代において日本は、民は権力者さえも認証する、つまり権力者よりもはるかに格の高い天皇の、直接の臣民と規定されたわけです。
ということは、権力者は、天皇から民を預かっている。
もっといえば、上に立つ者というのは、日本では、天皇の民を預かっている者です。

すごくひらたくいえば、日本における上席の者というのは、社長の息子さんや息子さんを部下にあずかっているようなものであり、そのポストの部長や課長という肩書きも、社長から与えられたもの、となっているわけです。

こうなると、部長や課長は、外見の上の威厳をただし、口元に微笑みをたたえて大物風を装うなどといった「かっこつけ」などしていられません。
ましてや、部下たち全員が社長の息子さんや娘さんです。
部長や課長が何かドジをして会社に大損害を与えたとき、それら社長のお子さんたちが、はたして社長の前で、自分をかばうためにウソをついたり、大事なことを隠したりなどしてくれるでしょうか。

そう考えれば、外見を飾ってかっこつけるなどという薄っぺらなことは言ってられないわけです。
自分より、もしかしたらはるかにエライ人を部下に持った権力者は、むしろナマの人間として心を鍛えて、真正面から部下や仕事にぶつかっていくしかない。
だからこそ、その心を鍛えるための、様々な言葉である「十徳」などがたいせつな心得として重宝されたわけです。

これに対し、これらの言葉を生んだ支那では、上に立つ者は、常に下にいる者に対する絶対的支配者です。
下にいる者は、もはや人ですらなく、必要があれば、食料にして食べてしまう肉でしかありません。

歴代皇帝が、天下宇宙の絶対的支配者なら(皇帝という言葉はそういう意味の言葉です)、その下にいる、将軍や、兵長なども、それぞれの担当セクションの中では、絶対的支配者です。
絶対的支配者である以上、「外見の上の威厳をただし、口元に微笑みをたたえて大物風を装う」など、それらしく振る舞うのは当然ですし、支配される側は、支配者である上役に殺されないためにも、上役にとって都合のよい事実だけを提供すれば良いということになります。

特ア三国が、日本人とはかけ離れて異質なのは、この基本的な民族の自覚の違いにあるといえます。

同じ論語を読んでも、支那人はこれを人の外形を飾るための書として学び、日本人は人の内面を磨ぐためのものとして学んだわけです。
そしてこのことは、日本が漢字の渡来によって日本文化を形成したのではないことも明確にあらわしています。

なぜなら漢字には、文字毎に意味があるからです。
その「意味のある」漢字を、日本が「選択的」に採り入れたということは、漢字渡来以前に、日本には、明確な道徳観、文化観、価値観が形成されていたという事実を証明しているわけです。

そして漢字には、日本独自の「訓読み」が与えられています。
このことも、日本に漢字渡来以前から、固有の文化観があったことを示しています。

こうしてみると、江戸時代には学童の教科書となった論語も、日本人は、論語に学んだというより、論語を通じて、日本人にもとからある価値観、文化観を学んでいた、ということがわかります。

そして、その「もとからある価値観」、その根源にあるのが、「私達は天皇の民である」という観念である、ということです。

このことは、食文化にたとえてみれば、非常にわかりやすいです。
ラーメンはもともと支那の麺ですが、日本はこれを、ただそのまま日本人の食にとりいれるのではなく、日本人の口に合うように、工夫し、加工し、さらに発展させて、豚骨ラーメンから、醤油ラーメン、味噌ラーメン、塩ラーメンなど、さまざまに工夫し、日本風のラーメンとして工夫改良し、あげく、昨今の町の評判のラーメン屋さんなどは、高級中華料理店などで出されるラーメンよりも、もっとおいしいラーメンを店頭に出しています。
最近では、つけ麺なんていう派生品まで登場しています。

こうした工夫がなされる背景には、日本人としての味覚や料理観が、もともとあるということです。
外来物は、外来物としてそのまま学ぶだけでなく、必要なものとそうでないものを取り分けて、そこからさらに日本人の感覚に合うように発展させる。
これは、日本的な何かが、それ以前にあるからこそできることです。

そして、その「何か」の、おおもとをずっとたどっていくと、「俺たちは天下の公民だ」という対等意識に常にたどり着く。
そしてそれが日本において、社会の制度として完全に定着したのが、なんと7世紀の大和朝廷にある、ということです。

さらにいえば、その大和朝廷にしても、突然、まったく異質な価値観を日本にもたらしたということでは、決してないはずです。
なぜなら、そういうものは、日本人はなかなか受け入れない。

むしろ大和朝廷が行ったことは、大和朝廷より何十年、何百年、何千年も前から、日本にすでにあった「あたりまえ」の常識を、言葉にし、常識にしたということなのではないかと思う。
ちょうど、教育勅語が、教育勅語によって突然、わが国に教育勅語的価値観をもたらしたものではなく、それよりまはるか以前から日本にあった常識を、あらためて文にしたのと同様に、です。

日本は、古くて長い歴史をもった国です。
そして、そこに住むのは、ひとりひとりが、天下の公民たちなのです。

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