八月十五日

 靖国に眠る英霊、及び、あの大戦で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。












 以下は昨年の同日掲載した文章の再掲載である。




 八月十五日は終戦記念日である。
 一九四五年八月一五日、大日本帝国は連合国に降伏した。

 無条件降伏ではない。
 ポツダム宣言第五条の文言にあるように、有条件降伏である。 
 無条件降伏が求められたのは日本の軍隊に対してである。そう理解されたからこそ、日本政府はポツダム宣言を呑んだのだ。
 日本の立場に立てば、無条件降伏ということにされたのは、日本の武装解除を行って丸裸にした上で、有無を言わさず、無条件降伏としてしまえ、というアングロサクソンの奸智に引っ掛けられたということにならざるを得ない。武装解除が行われた後では、どんな悪辣な仕打ちを受けても抵抗の術はない。

(ウィキ記事「ポツダム宣言」参照;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%84%E3%83%80%E3%83%A0%E5%AE%A3%E8%A8%80

 この日を終戦の日と捉えるか、敗戦の日と捉えるか。
 大志を持たない、一般の民草からすれば終戦であるし、志を維持し、伝統を背負い、大義の為に戦った人々から見れば敗戦ということになるだろう。
 その意味づけはこちらの心構えひとつで変わってくる。

 さて、一方で、日本戦勝国論を唱える人もいる。
 これはクラウセヴィッツが有名な『戦争論』で定義した「戦勝国とは戦争目的を達成した国である」との規範に基づいて、大東亜戦争の戦争目的を達した日本を戦勝国となし、太平洋戦争の戦争目的を達し得なかったアメリカをむしろ敗戦国とする議論である。
 この論に立てば、八月一五日は戦勝記念日ということになる。

 これは戦中・戦後の悲惨な経験を考えれば奇想天外な議論に感じられるかもしれないが、十分根拠のあることなのだ。

 太平洋戦争におけるアメリカの戦争目的は「リメンバー・パールハーバー」のスローガンに象徴される、日本の卑劣な奇襲攻撃に対する報復ということになっているが、これはアメリカのプロパガンダであり、事実ではない。

 アメリカにはそれをさかのぼるはるか以前から、人種差別と覇権主義と経済的権益追求による日本に対する敵意の歴史があり、隙あらば日本を叩き潰そうと虎視眈々狙っていたのである。

 ルーズベルト大統領は日本を戦争せざるを得ないよう追い込んで、暗号の解読から日本海軍の真珠湾攻撃の意図を知りながら、この情報を敢えて伏せて、攻撃を実現させた。

(ウィキ記事「真珠湾攻撃陰謀説」参照;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%8F%A0%E6%B9%BE%E6%94%BB%E6%92%83%E9%99%B0%E8%AC%80%E8%AA%AC

 対先住民、対メキシコ、対スペイン戦争以来の常套手段で、日本も悪者にされたのである。「リメンバー・アラモ」(対メキシコ戦争)「リメンバー・メイン」(対スペイン戦争)など、スローガンは同じだ。

 百万歩譲って、ルーズベルトにその陰謀がなかったとしても、真珠湾攻撃は軍事施設に限定されたもので、民間人が襲撃を受けたわけではない。
 国際法に則った攻撃であったわけだから、後に日本の主要都市を爆撃し、原爆を投下して無辜の民を殺したホロコーストの言い訳にはならない。
 これほどの大犯罪を犯した国は、第二次世界大戦においてはドイツとアメリカが両横綱である。
 ところが、ドイツは断罪されたが、アメリカの罪は清算されていない。
 アメリカ人はずっと言い訳をしているし、今後もそれを続けるだろう。

 シナ・満州への権益確保の足がかりを作るというアメリカの戦争目的は、大陸の共産化によって、失敗に終わった。アメリカは日本の敗戦後に起きた朝鮮戦争を戦うまで、大陸の赤化を抑えてきたのが日本の存在であったという事実に気付かなかった。いや、共産主義勢力の脅威にさえ気付いていなかったのだからそれ以前の問題である。
 アメリカは大陸の赤化によって大陸での権益の足がかりを失ったのである。
 この点でアメリカの太平洋戦争の戦争目的の一部は明らかに達することができなかった。
 しかし、アメリカは目障りな黄色いサルである日本人の国・大日本帝国を叩き潰し、余りに行き過ぎた報復を行って差別感情を満たし、また太平洋の覇権を確立することはできたのだから、一部の戦争目的は達したといえるだろう。

 一方で、大日本帝国の戦争目的は、開戦の詔(みことのり)や昭和十六年十二月九日の帝国政府声明文を読めば明確だ。

 開戦の詔については、次のくだり、

「斯(かく)の如くにして推移せむか、東亜安定に関する帝国積年の努力は、悉く水泡に帰し、帝国の存立亦(また)正に危殆(きたい)に瀕(ひん)せり。事既に此に至る。帝国は今や自存自衛の為、蹶然(けつぜん)起つて一切の障礙(しょうがい)を破砕するの外なきなり。」

 この詔は、後に掲載する「終戦の詔」、「昭和二十一年元旦」の詔書と併せて、義務教育において子供たちに暗誦させてもいいほどの名文だ。

 後者、帝国政府声明文については次のくだり、

「而して、今次帝国が南方諸地域に対し、新たに行動を起こすのやむを得ざるに至る、なんらその住民に対し敵意を有するものにあらず、只米英の暴政を排除して、東亜を明朗本然の姿に復し、相携えて共栄の楽を分かたんと祈念するに外ならず。帝国は之ら住民が我が真意を諒解し、帝国と共に、東亜の新天地に新たなる発足を期すべきを信じて疑わざる物なり。」

 

 多くの日本人がこれらの趣旨を胸に、連合国との熾烈な戦争を戦ったのである。
 この大志、大義と心を合わすことができるかどうかで、八月十五日が単なる終戦記念日なのか、敗戦記念日なのか(あるいは戦勝記念日)、分かれ目となるのである。
 それは伝統の継承と断絶の分かれ目でもある。

 民草にとって、それは終戦記念日である。
 しかし、あの戦争の意味を考える者にとって、日本が戦勝国であったという議論は、頭で理解できても、なかなか実感がわかないだろう。
 戦後教育の問題もあるが、やはりあの惨敗感といったものは容易に払拭できるものではない。何よりあの戦争を大人として戦った体験者自体が、それを深刻に思い知らされたのだ。

 あの戦争の結果、国際社会で起きた事件を見ていくと、確かに目的を達した面は否定できない。
 アジアの被植民地国の多くは独立を達成した。
 すなわち日本の白色人種の支配から有色人種を解放するとの戦争目的は達成されたのである。

 この戦勝国史観を唱える中心論客として私が知っているのは、清水馨八郎氏と安濃豊氏である。

 ともに理系の学者であり、その論旨は明快で、その主張に耳を傾けてみるとハッと目を開かれる思いがすることが多い。
 
 安濃氏は未読だが『戦勝国は日本だった』の著書があり、その主張はブログ「戦勝国は日本だった」で読むことができる。いろんな視点で理論的に整然と語られていて、教えられることは多い。


 ブログ「戦勝国は日本だった」http://blog.livedoor.jp/giranbarekanjya/


 清水馨八郎氏の著作は、手元に三冊ある。
 
『大東亜戦争の正体』(祥伝社)

『破約の世界史』(祥伝社)

『侵略の世界史』(祥伝社黄金文庫)


 今、『大東亜戦争の正体』を読み始めているが、面白い。
 西洋中心の歴史に慣らされてきた我々にコペルニクス的な発想の転換を促してくれる。

 これらの戦勝国史観には是非一度触れてほしいものだ。
 新聞やテレビではなかなか目にすることができない史観が展開されている。

 最近読んだ、若狭和朋氏の『日本人が知ってはならない歴史』も新しい視点を提示している本で面白かったが、これは理系と文系の違いであろうか、根っこで繋がる部分はあるが、若狭氏の著作は、我々の眼から隠された事実を白日の下にさらすとともに、インテリジェンスの面から、戦前の過誤を明らかにしようとしている点で、どちらかといえば、敗戦国史観に軸足があるようだ。
 その点、渡部昇一氏の史観に近いように思える。

 いずれにしても日本の立場に立つにしても、大東亜戦争にはいろいろな側面があって、一面的な評価は難しいということがわかるだろう。
 

 自虐史観はそこを全部日本が悪かったというところに収束させようとしているわけで、もっとも愚劣な史観ということができるだろう。

 そもそも、負けるとわかっていたアメリカとの戦争、それにもかかわらず戦争に突き進んだ日本、というのが虚偽で固められた戦後神話なのである。戦前の日本人の大半は、大変だとは思ったが、人事を尽くせば勝てると信じたのである。
 英米との開戦は確かに不利ではあったが、勝つことは決して不可能ではなかった。

〔このことについては、故・小室直樹氏の『大東亜戦争ここに甦る 戦争と軍隊、そして国運の研究』(クレスト社)やジェームズ・ウッド著『太平洋戦争は無謀な戦争だったのか』などが参考になる。〕

 日本の失敗はその勝つべき戦略を統一的な意思のもとに実施することができなかったことを反省すべきであって、戦ったことそのものを反省する必要はない。そんなことを言えば、日露の開戦だってなされるべきではなかった、ということになってしまう。ナンセンスもいいところだ。

 日露戦争後、日本がアメリカの鉄道ハリマンの満州鉄道の共同経営の提案を拒否して、満州の欧米によるインターナショナライズを拒絶した時点で、アメリカとの対決は不可避となったのだ。


 その自虐史観という愚劣な史観を垂れ流す朝日やNHKを中心とするマスコミは日本国民の愚民化に加担しているわけだ。
 この愚民化政策を推し進めているのは、左翼および親中、親朝鮮、親米勢力だが、日本人をビンの中に閉じ込めようとしているのは、第二次世界大戦の戦勝国(国連の安全保障委員会常任理事国)だ。
 ビンの蓋は保守政党に紛れ込んだ自虐史観の政治家や保守論壇に紛れ込んだ自虐史観のいわゆる昭和史家だ。
 これらビンの蓋を押さえているのは、主に中国とアメリカである。

 彼らにとって日本のまっとうな歴史観の復活は困る。
 日本人は早くこのビンの蓋を取っ払って、この沈みかけのビンの中から脱出しなければならない。



終戦の詔


朕(ちん)深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑(かんが)み、非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し、茲(ここ)に忠良なる爾(なんじ)臣民に告ぐ。

 朕は帝国政府をして、米英支蘇四国(アメリカ、イギリス、シナ、ソ連)に対し、其(そ)の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり。

 抑々(そもそも)、帝国臣民の康寧(こうねい・・・やすらか)を圖(はか)り、萬邦共栄の楽を偕(とも)にするは、皇祖(こうそ・・・神武天皇)皇宗(こうそう・・・歴代天皇)の遺範(いはん)にして、朕の拳々(けんけん)措(お)かざる所、曩(さき)に米英二国に宣戦せる所以(ゆえん)も、亦(また)実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾(しょき・・・こいねがうこと)するに出て、他国の主権を排し領土を侵すが如きは、固(もと)より朕が志にあらず。

 然るに、交戰巳(すで)に四歳を閲(けみ・・・数えること)し、朕が陸海将兵の勇戰、朕が百僚有司の励精、朕が一億衆庶(しゅうしょ)の奉公、各々最善を尽(つく)せるに拘らず、戰局必ずしも好轉(転)せず、世界の大勢、亦(また)我に利あらず。しかのみならず、敵は新に残虐なる爆弾(・・・原爆のこと)を使用して、頻(しきり)に無辜(むこ)を殺傷し、惨害の及ぶ所、真に測るべからざるに至る。
 而(しか)も、尚交戰を継続せむか、終に我が民族の滅亡を招来するのみならず、延(ひい)て人類の文明をも破却すべし。斯(かく)の如くむば、朕何を以てか億兆の赤子(せきし)を保し、皇祖皇宗の神霊に謝せむや。
 是れ、朕が帝国政府をして共同宣言に応ぜしむるに至れる所以なり。

 朕は、帝国と共に、終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を表せざるを得ず。
 帝国臣民にして戰陣に死し、職域に殉じ、非命に 斃れたる者、及(および)、其の遺族に想(おもい)を致せば、五内(ごない)為に裂く。且(かつ)戦傷を負ひ、災禍を蒙り、家業を失ひたる者の厚生に至りては、朕の深く軫念(しんねん・・・いたむ)する所なり。

 惟(おも)ふに、今後帝国の受くべき苦難は、固より尋常にあらず。爾臣民の衷情(ちゅうじょう)も、朕善く之を知る。然れども、朕は時運の趨(おもむ)く所、堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、以て萬世の為に太平を開かんと欲す。
 
 朕は、茲に国体を護持し得て、忠良なる爾臣民の赤誠(せきせい)に信倚(しんい・・・信頼)し、常に爾臣民と共に在り。若し夫(そ)れ、情の激する所、濫(みだり)に事端を滋(しげ)くし、或は、同胞排擠(はいせい・・・斥けること)互に時局を亂(みだ)り、為に大道を誤り、信義を世界に失うが如きは、朕最も之を戒む。宜しく挙国一家子孫相伝え、確(かた)く神州の不滅を信じ、任重くして道遠きを念(おも)ひ、総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし、志操を鞏(かた)くし、誓って国体の精華を発揚し、世界の進運に後れざらむことを期すべし。爾臣民其れ克(よ)く朕が意を体せよ。

  御 名 御 璽

   昭和二十年八月十四日

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