育鵬社・教科書盗作問題 (その壱)

 自分は新しい歴史教科書を作る会の会員ではないから、つくる会分裂から、今回「えんだんじ」氏が問題にされている盗作問題にいたるまでの経緯については、氏のブログで知るのみであり、本来なら公正な批判をするだけの知識がない。
 しかし、保守の歴史教科書運動は、自分が歴史というものに開眼するきっかけを作ってくれた運動であり、また現在だけでなく未来の日本にとって非常に重要な意義をもつ運動であり続けている以上は、大いに関心がある。

 「えんだんじ」氏は育鵬社の不正と法的に争えという。
 育鵬社の歴史教科書が政治的妥協の産物であるのは、南京大虐殺を容認してしまっていることからも明らかで、教科書運動本来の意義を失わしめていることは明らかである。
 よって支持しない。


 ちなみに「新しい歴史教科書をつくる会」ウィキペディア解説(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E6%95%99%E7%A7%91%E6%9B%B8%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%82%8B%E4%BC%9A)によると分裂の事情は次のように解説されている。

 
 「つくる会運動の離合集散」

つくる会は幾度と無く路線対立等が原因で内紛を繰り返して来た。

1998年2月、理事会は「事務局員との確執」を理由に初代事務局長の草野隆光を解任する。後釜として大月隆寛が2代目の事務局長になったが、その大月も自律神経失調症から病み上がったばかりの1999年9月15日に、当時の西尾幹二会長から手紙で解任を勧告される。

1999年7月29日、理事会は当時の藤岡信勝副会長と濤川栄太副会長を解任する。藤岡は理事に留まったが、濤川は理事も退任。背景には藤岡と濤川の権力争いや、濤川の女性問題があった。

2002年2月、西部邁と小林よしのりが退会。反米保守であった小林、西部と、親米保守であった他の理事達の対立が原因。

2006年1月16日、西尾幹二が名誉会長を辞任して退会し、更に遠藤浩一、工藤美代子、福田逸が副会長を辞任する。西尾等が以前から敵視していた宮崎正治事務局長を解任しようとしたが、八木等の日本会議系のグループから抵抗を受けて辞任に追い込まれたと言われる。ところが同年3月1日に藤岡は会長補佐に就任して復権し、同年2月27日に理事会は八木秀次会長、藤岡信勝副会長、宮崎正治事務局長を解任させ、宮崎は退職に追い込まれた。八木等を解任した表向きの理由は、2005年12月に理事会の許可を取らず中国へ赴き、現地の知識人と論争していた事とされる。しかし、当の解任された八木は藤岡に追放されたと主張している。この泥沼の内部抗争の原因は、肝心の公民、歴史教科書の採択率が軒並み1パーセントにも満たない事だと言われている。

後任の会長は種子島経になったが、地方支部と支援団体から反対意見が相次いだ為、2006年3月28日の理事会で八木秀次を副会長に選任して内紛の収拾が図られた。八木は同年7月に予定されている総会までに会長に復帰すると見られていたが、6月に別団体を設立し完全離脱。更にはやはり会員であったが離脱した屋山太郎も八木に同調して「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」(教科書改善の会)を設立。12月には、八木の命令で藤岡を誹謗中傷する怪文書を作ったと藤岡からブログ名指し批判された産経新聞記者が名誉毀損で藤岡を刑事告訴。これには地方支部から2007年4月に“分派行動であり相容れない”として、会長・小林の引責辞任を求める文書が提出され、これを受けて本部は小林を5月末で解任。関係解消を申し入れられた為、扶桑社とも手を切った。扶桑社は「教科書改善の会」と共に次回検定に向けて教科書編纂を行なうという。

一方、産経新聞が八木秀次の副会長選任に関する報道で「理事会では西尾幹二の影響力を排除する事を確認した」「宮崎正治の事務局復帰も検討されている」と言う記事を掲載した事に対し、つくる会と西尾幹二が抗議する。また、名誉会長を辞した西尾は自身のブログに於いて「脅迫を目的とした匿名メールが出回っている」と述べた上で、公安のイヌに成り下がった八木の犯行だと主張している。2007年7月、藤岡は八木を名誉毀損で提訴。さらに9月には八木及び産経新聞の記者らを業務妨害で刑事告訴した。

また、2005年4月、教科書検定受検前のサンプル版(白表紙本)が出版元の扶桑社から規則に違反して、一般に頒布・閲覧の用に供されていた事が発覚し、同社は文部科学省の指導を受けた。このサンプル版序文において「歴史は科学ではない」と言明し歴史は物語であるとしている点が、歴史学のディシプリンを根底から否定するものとして問題視され、多くの歴史家から反発を招いた。これには執筆者に歴史学者を擁していないことの影響も指摘されている。採択反対派は、この事実に加えて、つくる会の教科書と比較して他社の教科書を貶めるような宣伝(他社教科書の内容を中傷する小冊子を制作配布)をしているとし、採用を後押ししている産経新聞も含めた三者を公正取引委員会に独占禁止法違反で申告した。

これまで、つくる会の教科書は扶桑社から出されていたが、2007年2月26日に扶桑社はつくる会に対し「現行の『新しい歴史教科書』に対する各地の教育委員会の評価は低く、内容が右寄り過ぎて採択がとれない」である[15]として、採択率を上げるためのテコ入れ案として、路線対立から「つくる会」から脱退した「教科書改善の会」との協力ないし、一部執筆者の変更や扶桑社から教科書出版部門の別会社への転籍を提案したが、しかしつくる会が容認しなかったため、2007年5月に扶桑社から関係解消を通告された[16]。

つくる会は、扶桑社に代わる新たに教科書出版を引き受ける出版社を公募したうえで[17]、今後は東京都の自由社から出版される事が決定した。ただし自由社の石原萠記社長は著名な社会民主主義者でもあり、その思想傾向がつくる会の主張と合わないのではないかとの指摘もある(詳細についてはリンク先参照のこと)。しかしながら、西尾幹二は自身のホームページ[18]のなかで石原の『戦後日本知識人の発言軌跡』を引用した上で、「自由社の『自由』は『諸君!』『正論』の母胎なのです」と、あくまで保守系であると主張している。

またつくる会によれば扶桑社から版権の移動について相談するとしていたが[19]、扶桑社は採択した中学校のために2010年度まで使用されている『新しい歴史教科書』については、継続して扶桑社版が供給することになった。また扶桑社の教科書事業子会社としてフジテレビが3億円を出資して「育鵬社」を設立(社長は扶桑社の片桐松樹社長が兼任)し、そこから教科書改善の会が編纂する教科書を発行することになった[20]。

この扶桑社の態度に対し作る会は、弁護士を通じて2007年6月13日付けで、著作権は執筆者にあり扶桑社にはない、現行版の配給修了をもって著作権使用許諾を打ち切ることを通告する文書を発信した[21]また、かつての同志であった屋山太郎が代表世話人をつとめ、多くの会員と支持者を引き抜いていった「教科書改善の会」を「特定出版社の応援団として知識人たちの運動団体」であり「つくる会がその教科書を失って消滅することを大前提にしてつくられるもの」として強く非難[22]した。そのため、従来つくる会の運動を支援してきたフジサンケイグループに対し事実上の絶縁状をたたきつけることとなった。



 ウィキの解説を当てにしてはならないが、産経新聞の従米反中路線を考えると、アメリカ政府が、従軍慰安婦問題の否定はイエス、南京大虐殺の否定はノーと言ったのだろう。これでは昭和史家と称される一部知識人の認識と同じ見解となり、小国である韓国にはノーと言えるが、大国であるアメリカや中国にはノーとは言えない、事大主義的な精神体質という点で変わりがなくなる。

 南京大虐殺肯定の教科書で学ぶということは、米中対日包囲網の轍から思考的に抜けきれぬ大人たちをこれからも生産し続けることを意味し、新しい歴史教科書を作る意義を大いに失わせるものだ。
 八木氏らのグループは採択の為という政治目的を優先させたのだろう。目的は手段を正当化するというマキャベリズムだが、南京大虐殺の問題は従軍慰安婦の問題と並んで、どうしても譲ってはならぬ問題ではないか。
 
 「えんだんじ」氏は不正行為を行った育鵬社のみならず、盗作事件に対する「つくる会」側の対処の仕方にも、日本民族の欠陥を見ている。
 一つは、正義感の欠如、一つは現実直視力の欠如、一つは「長いものに巻かれろ」式の態度、一つは理性より情緒に流されがち、である。
 だが、それらは、要約すれば、「和」の文化を温床とする生活態度といえるだろう。
 
 「和」の文化とは、争いよりも、話し合いによる融和を優先する文化であるが、時に、表面的、形式的「和」を優先するが故に、話し合いの場において、論理や道理による一致よりも情緒による一致が優先されることになりがちである。(例えば、氏が指摘している平成十八年度の「つくる会」総会における、八木秀次一派の乗っ取り事件の詳細報告書を用意したが、後に回収し、うやむやにしてしまったことなど。)
 そこで「えんだんじ」氏が先に挙げた四つの欠陥が出てくるわけだ。

「えんだんじ」氏には『逆境に生きた日本人』(展転社)という著作がある。
 これは書名から想像されるような、逆境における日本人の強さや立派な振る舞いを歴史の中に見るといった内容ではなく、それとは逆に、日本人が戦中及び戦後の逆境において、いかに卑怯、卑劣に振舞ったかを歴史の事例の中に見る内容である。上記のわが民族の欠陥と同じ問題意識で書かれた本である。

 我々日本人にとって耳の痛い内容であるが、これは事実として真摯に受け止めなければならない。というのは、これは反日的な、自虐的な日本人論ではなく、日本への愛情からくる欠点の指摘、いわば忠言であるからだ。日本に対する甘えからくる反日自虐の言動とは基本的な姿勢が全く違うのである。
「えんだんじ」氏によれば、この本に対する保守の反応は、絶賛と無視に分かれたそうである。保守とはそもそもが反共勢力であることから、単にアンチ自虐史観となって、無批判に日本国家、日本民族にべた惚れな人も多く、そういった人々はこういった耳の痛い話を無視したくなるのだろう、とのことである。
 確かにそうなのだろう。

 自分の経験から言えば、私は明治維新の精神を支えたものとして「和」儒学を重視して、その伝統を掘り下げようとしている。
 拙著でも、ブログでも、そう主張している。
 それは思想的に右往左往せぬよう日本人としての根っこを見つめたいからだ。
 そういった立場から、日本の伝統の柱として儒学受容の伝統を語ると、保守と思しき人から、支那文化はそんな立派なものではなく野蛮である、支那人は食人文化を持ち、孔子とて人肉を食らっていた、と全否定してかかる人がいる。
 もちろん私は日本人がいかに儒教を受容してきたのかを語っているのであって、支那の儒教を語ったのではないのだが、この意見を全否定しようとするかのような勢いで批判してくる。
 いや、批判ではなく、それは非難というべきなのだろう。
 我が国を愛する者が中国文化を称賛するとは何事か、ということだろう。
 反中=反支那文化でなければならないのだ。
 それに対し分別を以て答えるとだんまりを決め込む人は多い。
 それでいながら、彼らは、「堯舜を手本とし、孔夫子を教師とせよ」と言った西郷南洲翁や、「孔孟の教え」を通じて自己の思想を磨き、『孟子』の言葉を実践して斬首された吉田松陰に学べ、維新の元勲は立派だった、と常日頃から主張するから分からないのだ。
 彼らの「正気」を陶冶したもの、それは江戸期を通じて成熟した「和」儒学の伝統なのである。

 しかも、彼らの言語活動もまた漢字かな混じり文である。
 漢字は支那文化ですよ。
 漢語には支那の思想が詰まっていますよ。 
 彼らの伝に倣えば、食人文化が生んだ、文字であり、思想ですよ。
 そういうことになりはすまいか。
 だからといって、漢字まで捨てよ、中国の脅威にさらされている今でも、そこまで極端なことは言わないだろう。

 カナだって、漢字(真名)を日本語(大和言葉)を表現するために利用した仮の名である。(ひらがなは音として借りてきた漢字を書き崩したもの、カタカナは漢字の一部を取り出したもの)

 日本の伝統にはそういった微妙なものが含まれており、私は、先人の苦労の上に成り立ったその伝統を、ありのままに受け入れた上で、欠陥としてではなく、長所として作用するよう念じて、このような主張をなすものである。
 むしろ、中国の脅威が高まっている今だからこそ、逆に、この伝統が復活しうるし、させなければならないと考えている。
 というのは、日本がかつて覇権国に対する脅威に直面したとき、共産主義やアメリカニズムに対する免疫はなかったが、中華思想に対する免疫は長い伝統の中で培われてきたからである。それが中国共産党の長年にわたる親中工作にもかかわらず、昨今高まる反中世論に現れていると思うのである。

 戦後、日本の伝統を破壊することを目的としてきた左翼は、学会を支配して、日本の歴史の様々な分野に手垢をべったりつけてしまったが、日本の歴史に必然性を見出さなければならないはずの「保守」が、この伝統を直視できないのは問題であろう。
 その意味で、いわゆる「保守」に分類される知識人の中に、江戸期の儒学の伝統、例えば、水戸学や伊藤仁斎-荻生徂徠-本居宣長の思想的血脈に関心を持つ人々がいるというのは非常に健全なことだと思うし、そこを潜り抜けなければ日本の歴史・伝統が持つダイナミズムというものは理解できないのではあるまいか。そう思われて仕方がないのである。

 先の日本語の問題、漢字かな混じり文の微妙さに関心を持つ人は、「からごころ」を突き詰めて思考した徂徠や、その「からごころ」を排し、「やまとごころ」を突き詰めて思考した本居宣長-国学に眼を向けざるを得ないはずなのだ。
 晩年の小林秀雄が精力の大半を傾けたのは、先の思想的血脈であったし、最近で言えば西尾幹二氏も同じ問題を世界史的スケールで論じた大著を上梓している。『江戸のダイナミズム』がそれだが、近著『天皇と原爆』もそういった視点が基底にはある。
 TPP反対論で名を馳せた、若手の論客である中野剛志氏が『日本思想史新論』を著して、この思想的血脈に関心を示し、「中庸」ということを言い出したのは「保守」としての健全な流れだと思う。

 自分が、西郷南洲翁に関心を抱き、日本のある種の伝統が断絶の危機にさらされた明治維新の意義を解明しなければ、と思い立ち、その一つの結末をなした征韓論破裂から西南戦争という歴史的事件の解明に精力を注いだのも、今思えば同じ動機からだったように思える。「保守」のこの問題に関する認識は江藤淳の『南洲残影』までが限界のようだからである。

 さらに、その過程において、徳川家康-豊臣秀吉-織田信長の政治思想の血脈に関心を抱くようになったのも、今思えば同じ問題意識からであった。ここにも、自身の著述を残した徂徠や宣長と異なり、儒者・小瀬甫庵の『信長記』以来、小説家の手垢がべったりとこびりついていて、それを拭い去らなければ、その実像が見えにくいという問題がある。

 歴史というのは重要な事件であればあるほど、人々の関心を集めるが故に後世の凡庸な思想による手垢がべったりとこびりついて、ありのまま見つめることが難しいものだ。
 我々にとって未来を左右する重大な問題であり続けている大東亜戦争に対する歴史認識の問題にそれは顕著に現れていて、心ある人々は、その分厚い手垢を擦り取るために、まさに献身的な努力をしてきたのではなかっただろうか。それは言論を持ってなされなければならないと同時に、穢れを祓うための清き姿勢も必要にされているように思える。でなければ、より広範な心ある日本人の心に物語を響かせることは出来ないだろう。
 一時の方便のつもりでも南京大虐殺を認めてしまっては、日本の歴史や先人に対する真の敬愛の情は庶民には芽生えまい。 



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