日本の至宝と賢者の杖 【『皇室と論語』 (二十七)】

 本稿は日本の至宝である皇室の伝統が、『論語』という、「賢者の石」ならぬ、言わば「賢者の杖」に支えられて、これまでの困難にして高尚な長い道のりを歩んできたことを明らかにしてきました。國體はこの賢者の杖によって成長を遂げてきたのです。
 現代的思考になじまぬ内容で、読者にとって難解であったであろうことは承知していますが、今明らかにしておかなければ、いずれこの道は失われてしまうのではないか、その危惧の念が筆者にこのエッセイを書かせてきました。

 「令和」という新時代を迎えて、われわれ日本人は恐らく重大な岐路に立たされているであろうことを多くの人々は感じておられるでしょう。
 この稿を書き始めた平成三十年末ごろから、筆者の日本の未来に関する危機感は高じる一方でした。とりわけ、皇室の伝統存続に対する危機感は大変深刻で、これまで百二十六代にわたり受け継がれてきた男系皇統断絶を意味する女系天皇誕生に向けた動きが、御代替わりに際して、政官財およびマスコミにおいて活発化していることが原因でした。
 今でも「週刊文春」や「週刊新潮」における秋篠宮家バッシングは常軌を逸した形で行われていますが、これは愛子内親王への直系継承、すなわち女性天皇の誕生と次代における女系継承に向けての布石となる世論工作なのです。当然その背後には、プロローグで述べた勢力の暗躍があると思われるのです。

 今回の御譲位のきっかけとなったのは上皇陛下が平成二十八年八月八日、国民に向けて発表されたビデオメッセージでした。内容は、ビデオメッセージというような軽いものではなく、われわれ国民にとって伝統的な詔(みことのり)に匹敵する重みを持つと言ってもよいものでした。
 視聴当時、筆者が妙に引っかかったのは、メッセージを、「個人として」の考えと前置きした上で、お話になられたことでした。公(おおやけ)の存在として無私であることを宿命づけられてきたのが皇室であると受け止めてきた筆者としては、天皇陛下御自身が「個人として」という御言葉を使用されること自体が異様に映ったのです。
 そして、皇室の方々の公式の御発言と、皇室にまつわる不確かな情報を耳にするうち、畏れ多いことながら、陛下は長年にわたる御務めの中で、日本国憲法に魂を吸いとられておいでではないか、そんな疑念が鎌首をもたげるようになったのです。
 しかし、「令和」への御代替わりに前後して、「和」の伝統について考えていた時、ふと「個人として」という御言葉は、天皇の国政に関する発言を禁止している日本国憲法に抵触せぬように配慮することで、敗戦以来、左右に分裂したままの国民世論の分断を防ぐためという「和」の大御心から出た御言葉ではなかったか、と思われたのです。そして、大嘗祭という秘儀の意義を考えた時、御即位の始めに大嘗祭を厳粛に執り行われ、毎年の新嘗祭を斎行して来られた陛下が、天津日嗣として天照大神の神霊を引き継がれ、全身全霊、無私でこれに取り組んでこられたはずの陛下が、本居宣長が「知ろしめす」の注釈で示した伝統的精神を受け継いでおられないはずがない、との確信に変わりました。すなわち、物を見るが如く、聞くが如く、食(を)すが如く、御身に受け入れ有(たも)つように、国を治め有つ、という伝統です。この君民同体という考えにおける君主とは、その人体を統一するところの心であり、精神であり、頭脳であり、首脳部ということになります。頭部はその人の本質、存在を象徴する最も重要な部位と言えるでしょう。
 この確信は最近、江崎道朗氏の近著『天皇家 百五十年の戦い 日本分裂を防いだ象徴の力』を読んでさらに確固たるものとなりました。

 公に奉仕し、無私であることを心がける人物の言葉を片言隻句で理解することが難しいのは、西郷隆盛を研究した時つくづく実感したものです。こういった公に一生を捧げた人物を理解するには、言葉だけでなく、行動も含めた思想全体を受け止めてみなければ理解できませんが、器のちっぽけなもの、イデオロギーにとらわれた偏狭にして小さな視野しか持たないものは、片言隻句と行動の一部を取り上げて、自己の立場に都合のいいように解釈し、プロパガンダとして利用します。
 皇室の方々の御言葉も同様で、御言葉のみならず、御行動も含めた思想全体を受け止めなければ、その御真意を、御深意を理解することはできません。
 先の「個人として」という言葉も、前後をよく読めば、われわれ私欲にまみれた一般人が「個人として」という言葉を使うのとは違って、公の規範である憲法に抵触せぬよう配慮しつつ、それをさらに超えた公としての伝統を背負われ、天皇という職分、言わば天職を宿命づけられた一人の人間として、という意味合いであることは明らかです。
 この天下を「知ろしめす」という御立場から忖度して次のことが言えるのではないでしょうか。憲法の誤った解釈から宮中祭祀の縮小を行ってきた宮内庁が、ゲスな週刊誌の悪辣な秋篠宮家バッシング報道にいかに不作為で、皇統断絶を意味する女系天皇誕生への道を開くことにいかに意欲的であっても、天皇御自身が、正統な皇位継承者である秋篠宮家を差し置いて、女性天皇誕生(愛子内親王の即位)に肯定的であるはずがない、と。ただ国論の分断を避けるため、決して口になさらないだけではないか、と。
 問題はこの国家国民の象徴たる皇室を支える日本の政治文化の著しい劣化衰退であって、今やほとんどの政治家と称される人々が、政事家ふぜいになりさがり、政治の本義「まつりごと」の重要性を理解し得なくなっているのが深刻な問題なのです。そもそも政治家とはそんなものなのだ、という大人ぶった常識は、認識の病が膏肓に入っている証拠です。

 メッセージを、一言一句削ることのできない金科玉条として、じっくりお読みいただければ、その大御心はおぼろげながらも理解できるようになるでしょう。繰り返し読むうち、それは、四海万国、天地の表裏をくまなく照らす日の光のように感じられる人もいるのではないでしょうか。その光は、日本国憲法という、国民を覆う灰色の雲を照らし出してさえいます。
 長く大きな歴史の視座に立つ筆者にとって、日本国憲法は西の空に沸き起こる白い入道雲のように映りますが、そうでない人にとっては頭上を覆う灰色の重苦しい雲のようなものです。メッセージは雲の合間から差し込んだ日光で、その光によって縁どられた雲はその輪郭を露わにするのです。
 そして、その光である大御心は新たに即位される今上陛下にも、「皇嗣殿下」(本来なら皇太弟殿下)にも受け継がれているであろうことを筆者は疑いません。

 メッセージ全文を宮内庁ホームページより転載します。

「戦後70年という大きな節目を過ぎ,2年後には,平成30年を迎えます。
私も80を越え,体力の面などから様々な制約を覚えることもあり,ここ数年,天皇としての自らの歩みを振り返るとともに,この先の自分の在り方や務めにつき,思いを致すようになりました。
本日は,社会の高齢化が進む中,天皇もまた高齢となった場合,どのような在り方が望ましいか,天皇という立場上,現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら,私が個人として,これまでに考えて来たことを話したいと思います。

即位以来,私は国事行為を行うと共に,日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を,日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として,これを守り続ける責任に深く思いを致し,更に日々新たになる日本と世界の中にあって,日本の皇室が,いかに伝統を現代に生かし,いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくかを考えつつ,今日に至っています。

そのような中,何年か前のことになりますが,2度の外科手術を受け,加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から,これから先,従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合,どのように身を処していくことが,国にとり,国民にとり,また,私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき,考えるようになりました。既に80を越え,幸いに健康であるとは申せ,次第に進む身体の衰えを考慮する時,これまでのように,全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが,難しくなるのではないかと案じています。

私が天皇の位についてから,ほぼ28年,この間(かん)私は,我が国における多くの喜びの時,また悲しみの時を,人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たすためには,天皇が国民に,天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,天皇もまた,自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において,日本の各地,とりわけ遠隔の地や島々への旅も,私は天皇の象徴的行為として,大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め,これまで私が皇后と共に行(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は,国内のどこにおいても,その地域を愛し,その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ,私がこの認識をもって,天皇として大切な,国民を思い,国民のために祈るという務めを,人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは,幸せなことでした。

天皇の高齢化に伴う対処の仕方が,国事行為や,その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには,無理があろうと思われます。また,天皇が未成年であったり,重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には,天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし,この場合も,天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま,生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
天皇が健康を損ない,深刻な状態に立ち至った場合,これまでにも見られたように,社会が停滞し,国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして,天皇の終焉に当たっては,重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が,1年間続きます。その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが,胸に去来することもあります。

始めにも述べましたように,憲法の下(もと),天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で,このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ,これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり,相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう,そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ,ここに私の気持ちをお話しいたしました。
国民の理解を得られることを,切に願っています。」


 問題は国民がこの理解を怠り、大御心をそのまま受け止められなくなっていることではないでしょうか。本稿では、陛下の御言葉にあるように、天皇が象徴であり、国民統合の象徴であることの意味を、根源にまで遡って自分なりに考えてみました。賢者の杖を失った現代日本人のどれぐらいに人びとの理解と共感を得ることが出来たか、心許ありませんが、一国民として数年にわたって考えてきたことをまとめ、さらに突き詰めてみたつもりです。

 そして、そこまで象徴というものの意味を考えた時、皇室が英国流立憲君主というものを御手本にされるということを是とするなら、憲法改正を論議するに際して、いっそのこと、単一の憲法典というものを持たない英国の國體に倣って、成立の経緯から見て無効な日本国憲法を破棄し、國體を象徴する歴代天皇の詔勅の集成を以て憲法と為す、あるいはこれらを以て憲法前文と規定する、それくらいの根源的な態度を持って臨んでもいいのではないか。つまり、王政復古であり、維新としての改憲ということです。
 なぜ、歴代天皇の詔勅を憲法に定めるべきだと考えたかは、それらが、國體が自ずと顕現している金科玉条であるからにほかなりません。思い出していただきたいのは、成文憲法である大日本帝国憲法は、制定された明治からの世代交代により國體が見失われたことによって解釈、そしてそれに基づく運用を誤った結果、国運の衰退を招来してしまったことです。現在の日本もまた、大変出自の怪しい憲法の、國體観を見失ったエリートたちによる、さらに誤った解釈、誤った運用により、国運の衰退を招いて今日に至っていますが、今や更なる困難に直面して、取り返しのつかない過ちを再び犯そうとしているのではないでしょうか。


【『皇室と論語』 終わり】

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