Amazonオンデマンド『西郷南洲翁遺訓と超近代的解説』(MyISBN-デザインエッグ社)

 amazonオンデマンドで、三月十九日より『西郷南洲翁遺訓と超近代的解説』の販売を開始しています。

 最低価格はページ数で決まるので、低く抑えるために文字をできるだけ詰め込んで編集したので、読みにくくなっていないか心配でしたが、実物を手にとってページをめくってみると、文字が詰まっている割には特に読みにくいということはなさそうです。新書よりやや大きめのサイズで、ペーパーバックなので、重すぎず、持ち運びに不便ということもなさそうです。

『西郷南洲翁遺訓と超近代的解説』(MyISBN-デザインエッグ社)

税込価格3499円

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「明治維新より一五〇年。今も読み継がれる維新最大の功臣である南洲こと西郷隆盛の遺訓。 
 その偉大な人格を陶冶した伝統を明らかにし、西郷自身の言葉と行動を様々な証言や史実に照らして、遺訓の意義を徹底解説。 
 王政復古討幕事業から、廃藩置県を経て、征韓論政変から西南戦争に至るまで、百五十年の歳月を経てようやく明らかになる西郷隆盛の真実! 復古でもあり、御一新でもある超近代的思想。 
 近代というニヒリズムを超克し、現在日本が直面している困難を乗り越えるヒントはここにある!! 」

  
 さて、今年は明治維新百五十周年ということで、明治維新に対する再評価も盛んに行われていることでしょう。近代日本文明の根幹が明治維新というものによく現れていることで、愛日家はこれを肯定的な目で捉えようとするでしょうし、反日家はこれを否定しようと躍起になっていることでしょう。  
 筆者は愛日家ですから、当然肯定的に捉えてきましたが、長年考えて来たので、称賛するだけではなく、批判的な目も持ち合わせています。
 この批判的な目とは、反日家が行っている理解を目的としない、否定的な、「批判」と称する、その実、非建設的な「非難」とは異なり、理解するために、理解を深めるために、いろんな角度から、色んな尺度から、立体的に捉えてみるということです。

 『西郷南洲翁遺訓と超近代的解説』のあとがきでも書きましたが、葛飾北斎が富士山を描いて、まず三十六景、後に、まだ描き足らなかったのか、さらに百景を描いたようなもので、維新の群像の中で群を抜いて大きな存在であった南洲翁に限っても、あれだけ書いても、その実像を言葉で表し尽くせぬわけですから、群像のそれぞれ、各党、各藩、幕府、朝廷、外国人、それぞれの目線に立って明治維新を表現するとなると、それはひとりの人間としてできる範囲の仕事ではありえません。
 しかも自分が描こうが描くまいが、明治維新という歴史はそれとは関係なく、苔生して古色蒼然となっても、われわれの手が届かないところ、すなわち過去に事実として厳然と存在し続けるのです。未来にその真実を見つけ出す者が現れるのを待ちながら。
 いや待ってさえいないかもしれませんが、少なくとも翁に関しては、万古の心胸を開拓すべく、跡を継ぐ者が現れることを期待しながら一つ条理に斃れたわけで、そういった精神が明治維新をなす上で大きな要因となったことは確かなことであります。

 ですから、筆者は明治維新という大きな運動を、西郷南洲翁とその背景となった伝統という視点から見て、こうは言えるという、謙虚な姿勢を忘れないようにしたいと思っています。
 そういった立場から見ると、明治維新を否定的に捉えて、その内容の豊富さから目を背けている、世に氾濫している維新像にはうんざりとさせられてきました。
 そういった軽薄短小の歴史像を得意気に開陳して、恬として恥ずるところのない、大衆化したインテリたち(西部邁氏が絶望した人々です)が次々と再生産されていくのが近現代社会というものなのです。

 かつて荻生徂徠が「一定の権衡を懸げて、以て百世を歴詆するはまた易々たるのみ。これ己を直として世を問わざるなり。すなわち何ぞ史を以て為さん」と言ったことを思い出します。
 これは一定の基準・価値規範(権はおもり、衡はさおで、あわせて秤)を以て、それぞれの歴史をそしるのは簡単なことだ。これは己を正しいとして現実の世を問うてはいない、ということになります。
 小林秀雄はそういった態度について「なるほど、歴史について論ずる事には違いなく、当人達もこれを疑っていないが、実は、真の歴史は、彼らの手から脱落している、と徂徠は言うのである。百世を、敢えて歴詆(れきてい)せず、ただ百世を歴訪すると称しても、一定の史観を自負するものには、歴史は見えて来ない。彼の史観の内に、同時的に配置された歴史事件の一系列を、彼の意識が歴訪するに過ぎないからだ。」と批判しています。
 これはマルクス史観を中心とする近代における歴史学を批判したものですが、一つの基準・価値規範を定規のように押し当てて、歴史事実を批判との名のもとに非難断罪するのは実に容易な事なのです。
 かつてはマルクス主義に由来する「天皇制」「ファシズム」、最近で言えば、「テロ」とか、「インテリジェンス」という基準で、安易に非難するケースが増えているように見受けられます。一方で、陰謀史観とか、歴史修正主義の名の非難も、異なる権衡による歴詆という点では同じことです。

 筆者もまた、一定の歴史観を提示しているわけですが、以上のことを弁えた上で、豊潤な過去の遺産である歴史から、現代の日本あるいは日本人にとって重要な何か、根幹となる何かを酌み出すつもりで提示したものですので、歴史に向かう態度そのものが根本的に異なっているのです。過去の遺産を破壊しようとの情熱からは何も創造されません。

 歴史は一定の権衡に収まるものではありませんし、それで描き切れるものでもありません。どうしてもそれにこぼれるものが沢山あって、全力で取り組んだとしても、描いた後には必ず描き切れぬもどかしさがどこかに残るものです。

 しかし、描き方はいろいろあって、内容が豊富であればあるほど、工夫次第でいろいろなものが書けるでしょう。絵画における富士山が画材として好まれるように、明治維新、そしてその中心人物であった南洲翁は日本の歴史において最も優れた画材の一つでしょう。

 奇しくも、徂徠に大きな影響を与えた伊藤仁斎は「六経は画の如く、語孟(『論語』『孟子』)は画法の如し」と述べていますが、これは日本の歴史を画材にした時も応用できます。これは言わば「語孟」という画法によって明治維新を、西郷南洲翁を描くという試みです。

 筆者は三十代の時、この画法によって『(新)西郷南洲伝(上・下)』(高城書房)という史伝を上梓しましたが、上巻においてはまだこの画法に習熟していなかったこともあって、意余って、満足にこの画題を描き切ることが出来ませんでした。上巻のAmazonのレビューに誰かが「西郷隆盛がどうやって西郷隆盛になったかをよく考察されています。難点は語句が難しくとても読みにくいことです。出来ればもう少し読みやすく書き直してほしい」と記してくださっていましたが、そうなったについては筆者の未熟さの致す所であり、わかりやすく書き直して問い直すことも考えていますが、遺訓解説のように、また別の切口で描くべきかとも思案しています。
 というのは、現代はインターネットやスマホの時代で、短文しか読み慣れていない、西部邁氏を絶望せしめた軽薄短小の時代に、史伝という古い文学形式で一人の偉人の人生を描き切ってもだれも読まないのではないか、そんな気がするのです。現に、先の画法に多少習熟して書いた下巻は、それまでの征韓論や西南戦争に関する論文や文芸作品に比べて画期的な内容であるにもかかわらず(もちろん描き切れたと満足しているわけではありませんが)、ほとんど人々に取り上げられることもありませんでした。

 鹿児島の南洲翁顕彰館にも置いてもらっていましたが、大きく分厚い本であったこともあって、現在の館長から「重いから撤去してくれ」と言われたと聞かされた時には、大いに失望したものです。
 
 そう言えば、かの頭山満翁が西南戦争後数年後の鹿児島を訪問した際、西郷家の後を取り仕切る川口雪峯に会い、西郷のような大木は何百年に一本、何千年に一本出るか出ないか分からぬ、鹿児島には随分有用の材も茂っていたが、残らず切り倒されて禿山になってしまった、と告げられたことを思い出しました。
 その慨嘆の当否はわかりませんが、この一件は翁を顕彰しようとの趣旨で設立された組織とのささやかな出来事であり、本の反響があまりなかったこともあって、川口雪峯の発言を少し実感させられる経験でもありました。
 筆者はまだまだ未熟で感傷的であったのです。

 そういった反省がありますので現代には描き方にも工夫が要ります。
 今回出版した『西郷南洲翁遺訓と超近代的解説』もそうですが、今執筆している『十人の侍』にもそういった面がありますが、また新たな描き方も考えているところです。
 
 
 

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