西部邁氏の自決

 去る一月二十一日、保守思想家にして評論家の西部邁氏が多摩川に投身自殺されました。昨年の渡部昇一氏に続き、戦後保守の重鎮がまた一人亡くなられたことになります。

 慎んで御冥福をお祈りするとともに、筆者が氏の言論から受けた学恩についてここで少し触れてみたいと思います。

 氏の自殺については、かなり前から自説として述べておられて、筆者の記憶では二十年近く前からそのような考えであることを告白されていたように記憶しています。

 また、最近でも、日本文化チャンネル桜の水島総氏との年末対談で、十月頃、自殺する予定だったが、衆院選の只中でもあり、水島氏の説得もあって思い止まったと述べていて、いずれ自殺されるのだろうとは漠然と思っていたので、自殺のニュースに接した時も、衝撃はなかったとは言いませんが、決して大きいものではありませんでした。

 自殺の背景には、三年半ほど前に長年連れ添った奥方が亡くなられたことに加えて、老衰や体調不良、日本社会に対する絶望など色々あったようですが、それはあくまでもこの時期に実行された背景となった事情であって、氏が真正の保守思想家たらんとされていた以上、その早くから説かれていた自決の哲学、あるいは志の実践だったと考えるのが、旅立たれた人を送り出す上での礼儀でしょう。

 筆者は西部氏の著作を10冊ぐらい所持しています。あまり熱心な読者であったとは言えませんが、西欧の真正の保守思想による、大衆化された現在の日本社会に対する批判として信頼を寄せていたことは確かです。西欧保守思想に関する知識を学ばせていただいたほか、討論や対談などは何度も拝見させていただきましたが、いつも同じ趣旨の批判に感じられるようになって、近年はあまり熱心には聞かなくなっていました。
 
 氏はその批判精神の行き着くところで、現代日本社会に対し深く絶望しました。筆者もまた氏の絶望に共感するところがかなりありますが、一方で希望を見出すものでもあります。
 大衆社会批判で世に出た西部氏ですが、大衆社会で大衆相手に大衆批判を繰り返したところで、大衆社会そのものの本質を変えることはできません。
 しかし、氏はその分かりやすい語り口とユーモアと巧みなレトリック、また人懐っこい愛嬌ある笑顔とやんちゃな人柄で、多くの読者、視聴者に愛されたのも事実で、多くの常識(コモン・センス)を具えた賢明な庶民をこの大衆社会に誕生させたはずです。そういった意味ではむしろ成功者と言っていいのではないでしょうか。著書がこれだけ出版されたのも、それを読む読者が多く存在したからです。
 著書のみならず、インターネット上にも多くの出演映像が遺されていますので、自決により思想家として本物であったことを示した以上、これからもその見識は多くの日本人に受け継がれていくでしょう。


 ただ、一方で、そのどこまでも大衆社会を相手にする態度に、正そうとする態度に、氏の絶望や思想的限界が胚胎していたようにも思えます。それは氏が日本の近代というものに踏みとどまり、日本の保守思想の源流を遡って、福沢諭吉や中江兆民にまでしかたどり着けなかったことに端的に表れているのではないかと思います。

 筆者としては、氏の議論を受け止めて、希望をつなぐべきものが何であるか、自己の方向性の正しさや日本の中にある希望を再確認できた経験があり、それが氏から得た最大の学恩であると考えています。

 それが六年余り前に書いた次の記事なので再掲載することにしたいと思います。
 



『絶望の果てのかすかな希望』

「以下の討論番組を見て感じた事を書いておくことにする。

『日本よ、今・・・闘論!倒論!討論!2011』

表現者スペシャル「戦後保守の意味を問う」[桜H23/10/15]


 この討論の軸となっているのは、とにかくしゃべりまくる西部邁氏の存在であろう。
 ちょっと聴いた所、西部氏の言論は西洋保守思想の翻訳のようにしか聞こえないが、その現代日本への適用という点では徹底している。
 彼はこの討論における一つの重要な役回りを果たしている。

 彼は戦後保守に蔓延するあやふやで曖昧なものに対する懐疑を突きつける。これを西洋保守思想の言葉で語るのだ。
 その基底にあるものは、戦後日本というものに対する絶望である。
 自称保守の中途半端な者達は、現在の窮状を脱するために、藁にもすがる焦りがある。
 本物は窮して却って保守の本道を歩むはずだが、偽者は乱れる。
 自身がこれまで何となく信じてきた価値に確信が持てず、揺らいで、怪しげな主張に吸い寄せられたり、本質的に保守の思想に反する政治勢力に取り込まれてしまったりする。

 西部氏は、それは藁だ、そんなものにすがるな、そういった警鐘を鳴らす立場を徹底しているのである。もちろん西部氏はそれを西洋の保守思想の言葉で語っているわけだから、何が本物かを語ることは出来ない。
 しかし、否定、懐疑という形で、ないところは指し示している訳だから、探すべきところを示唆している事になる。
 彼は逆説的に、絶望の果てにあるはずの希望を語ろうとしているのだ。

 彼は保守思想家としての自身の役割を弁えて、あらゆる言説に懐疑を突きつける。それはあたかも、希望を見出し、これを再生するのは後進の仕事として、彼らの手に委ねようとしているかのようだ。 
 おそらく西部氏は、自分に出来る仕事はここまでである、次に続く仕事は自分とはまた別の器を必要としていると達観しているのだろう。
 

 この討論への参加者は、皆、西部氏の教え子達と言ってよいと思われるが、やはり優秀な弟子たちなのだろう。番組の第三部に至って、絶望の果ての希望を見出すべき場所が、あるいは、その手がかりがぽつぽつと語られ始めるのである。
 
 もちろん究極的には、御皇室の存在にそれは行き着くことになるのであるが、西部氏は安易にそれを語る事を戒めている。これは当然そうあるべきことだ。

 そこで西部氏の教え子達が語り始めたのが次のことである。

 第三部の11分頃。

 水島総氏の発言。

「大東亜戦争は、世界に対する西南の役だった、という江藤淳さんの言葉。」

「反近代の戦いだった。」

 実は本質的な議論はそこから始まらなければならないのだが、議論はその周辺をうろうろして終わってしまう。西南戦の役に関して言えば、、始めから負けるとわかっていた戦争という、保守お決まりの議論で終わってしまう。
 水島氏の禅の話も、自己の見解に止まって議論は深まらない。

 20分45秒位から始まる富岡幸一郎氏の発言を受けて展開する特攻隊、延いては大東亜戦争に関する議論も、そこから深化はしないのである。

 とは言え、西部氏の懐疑が軸となって、全編大変有意義な討論であることに変わりはないのだが、最後に出てくる安岡直氏の発言(55分頃)。

「最終的に社会を支えているバイタルな力というのは言語活動から生まれてくる。」

 これもどこに手がかりがあるか、希望があるか、指し示している。

 あるいは第四部があれば、そういった見識を手がかりに議論が進んだのかもしれない。時間の制約でそこまで行かなかったのは残念であるが、仮にそうなったところで、西部氏のまぜっかえしで、議論は常に入り口に戻されていたかもしれない。
 それをものともせず、議論を深く進化させていく力を持った論客が「表現者」の論客の中にいるように思われないのだが、強いて言うなら、「表現者」の一員ではないが、司会である水島氏の活動の中に、氏の活動を支える思想の中に、それはある、と言えるかもしれない。

 今後、「表現者」のメンバーでの討論を行うのなら、この近代日本の立脚点を見つめなおすところから議論を始めて欲しいものだ。
 キーワードは、近代合理主義思想と反近代、大東亜戦争、西南の役、明治維新、つまり大日本帝国の草創と守成。
 そして、さらには、言語の問題である。

 ということになれば、一種のルネッサンスであった江戸期の学問ということに行き着かざるを得なくなるはずだ。つまり儒学と国学だ。
 明治維新の思想的背骨となった学問である。


 以前、西部氏も出席していた日本文化チャンネル桜の討論で、戦後民主主義の当否が議論の俎上にあがったことがあった。西部氏は今回同様、戦後民主主義に対する懐疑、否定を述べたのだが、やはり、それを掘り下げる事は出来なかったのである。誰かが「五箇条の御誓文」の重要性を指摘したが、そこどまりであった。


 万機公論に決す、との理想を掲げた「五箇条の御誓文」の精神は、いわゆる四書をその背骨としている。四書とは『論語』『孟子』『大学』『中庸』の事だ。起草者の由利公正(三岡八郎)自身が自伝の中でそのように述べている。

 この由利公正は、坂本龍馬の盟友であると共に、横井小楠の弟子でもあった。
 勝海舟がこの横井と並び称した西郷南洲翁もまた、同じ思想に則って王政復古維新の偉業を推し進めた。

 儒学や国学といった江戸期の学問的成果を背景にして、維新の指導者達は日本古来の伝統をその脳裏に描きながら、困難に対処して行ったのである。
 公議政体に対し、ある者は理想として聖徳太子の十七条憲法を想起していたし、ある者は、この国の遠い神話時代に思いを馳せ、高天原に神々が集って、言霊を交し合っている姿を投影していた。 

 戦後生まれた保守論壇は、左翼との論争に精力を費やして、この根源を見つめなおして、言語化する仕事が十分になされてこなかったように思えるがどうだろう。
 それは、重層構造をなす日本の伝統精神の、その深層と表層の間に、文明開化の浮薄な風潮の中で移入された近代合理主義思想によって、生じた断層を修復する、という大変困難な仕事である。

 保守論壇が左翼の論争に精力を費やしたとは、この重層構造をなす伝統そのものを、表層から浸潤して、これを解体しようとした左翼思想の侵食を食い止めようとした、ということであるが、それはまた、近代合理主義や西洋の保守思想を有効な武器にして戦う、という矛盾をはらんだものでもあったのである。

 日本の歴史に推参して、先人達の優れた精神から何かを汲みだし、伝統を救い出すには、争いに必要な精神力とはまた違った、別の深度の内省力を必要としている。

 それは、伝統、伝統、と殊更言い立てなくとも、次の境地から生まれるものだろう。

 「世上の毀誉軽きこと塵に似たり、眼前の百事偽か真か、追思す孤島幽囚の楽しみ、今人に在らず古人に在り。」(西郷南洲)

 「これを好み、これを信じ、且つ、これを楽しむ。」(本居宣長)


 先人達はこういった態度を、孔子から学んだ。

 「述べて作らず。信じて古を好む。」

あるいは、

 「故きを温めて新しきを知る。」

 現代社会にあってこの態度を徹底するのはよほど困難な事だ。」


 引用は以上です。

 筆者が『十人の侍』を手始めに世に問うていこうとしていることは、この態度の実践報告です。
 西部氏は既に自分にやれることはやりつくしたという想いがあり、それが絶望に繋がっていた、という一面もあったのではないでしょうか。。
 西部氏の遺志はそれぞれの受け止められ方で、弟子たちや私淑者に、また批判者にも受け継がれて発展していくはずです。

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