書評 『大東亜戦争は、アメリカが悪い』 鈴木敏明著 (勉誠出版)  (その壱)

 『大東亜戦争は、アメリカが悪い』の著者・鈴木敏明氏は日本の再生に執念を燃やす、先輩にして同志の「えんだんじ(炎男爺)」である。
 そんじょそこらの壮年、青年よりよほど熱い。

 「えんだんじ」先生は一九三八年生まれの外資系の定年サラリーマン。
 私の父と同年代である。
 三十を過ぎた頃から、戦前・戦中の日本のすべてが悪かったとする世論、いわゆる自虐史観を中心とする反日世論に疑問を抱くようになり、定年後、一発奮起して、このパラダイムに挑戦しようと、大東亜戦争に関する本を書くことにした。それまで一度も本を書いたこともなかったにもかかわらず、である。
 そして、六年の歳月を掛けて、大東亜戦争に至る過程を調べ上げ、『大東亜戦争は、アメリカが悪い』という大著を上梓された。
 二〇〇四年のことである。

 理系出身で、それまでほとんどまともな文章など書いたこともなく、三〇代に入って、西郷南洲翁という人物の謎を解く手がかりを得たと感じ、これが大東亜戦争に関する議論を含めた、「この国のかたち」を明らかにする手がかりとなり、ひいては日本の再生に繋げうるとの直感から、無謀にも、衝動的に南洲翁の伝記執筆に取り組んだ私の経験と一部重なるところがあった。

 先生、あるいは先輩とするのは、日本再生のためという志を同じくし、立場・視点を異にするも、先にその目指すところの大著をものにされたからであるし、大東亜戦争の戦前・戦中・戦後のことについて色々教えられる知見が多いからであるし、人生の先輩だからでもある。
 ちなみに、私が『(新)西郷南洲伝』の上巻を上梓したのが二〇〇六年、下巻を上梓したのが二〇〇八年のことである。
 私もまた同じように、思い立って、すぐ書き始めてから下巻の出版までに六年あまりかかっている。


 「えんだんじ」先生のことを知ったのは、私が以前から関心を抱き続けている思想家・西尾幹二氏のブログだったか。それとも、同氏が主催している坦々塾のブログに寄稿されていたからであったか。
 いずれにしても、昨年の正月ごろのことである。
 早速、ブログを通じて、本を取り寄せ、読み始めた。
 内容は事実を以て語らせるスタイルで、引用されている史料が多いが、先生の文章は常識的で読みやすい。
 読み始めたが、何せ、700ページ近い大著である。
 真ん中あたりまで、すなわち満州事変に関する内容のところまでは、一気に読んだが、一時的に関心が別のことにいったりしたので、それきりとなってしまっていた。

 一方で「えんだんじ」先生の方も拙著をご購入いただき、こちらの方は上下巻あわせて1000ページ近い大著である上に、大判でページあたりの字数も多く、さらに古典の引用が多くて、こむずかしい内容であるにもかかわらず、二ヶ月後にはご感想を頂いた。
 
 その後私のほうはずっと気がかりだったのが、最近後半部分を読み終えることが出来たので、感想を書評に代えて、ようやくここに記す次第である。
 すでに拙著の感想を頂いて、一年が過ぎている。

 
 大東亜戦争は世界史的視点を要する大事件であり、わが大和民族の一大叙事詩である。
 すでに色々な論考がそれこそ汗牛充棟をなしている。
 しかし、すべてに目を通すことが不可能である以上、どれを選択するかは大変重要である。

 その点、私の大東亜戦争に対する知見を啓かせてくれたのが、西尾幹二氏の『国民の歴史』であったし、小林よしのり氏の『戦争論』であった。以降それなりに大東亜戦争に関する読書は継続しているが、それまでよく読んでいた司馬遼太郎や山本七平氏の大東亜戦争に関する議論は、日本の歴史に対する接し方が、どこか他人行儀で未熟であるかのように感じられるようになった。

 西尾幹二氏の『国民の歴史』、『国民の文明史』(中西輝政氏との対談)はよく読んだ。
 それ以降、しばらく離れたが、ここ数年、私にとって再び目が離せない言論人となっている。

 「えんだんじ」先生はこの稀代の言論人を師と仰いでいる。
 私は西尾氏の一読者に過ぎないが、氏の言論が取り持つ縁というべきか。氏の言論の徳が「えんだんじ」先生のご著作と私を結びつけた。


 
 私がこれから大東亜戦争について知りたいと思っている人に薦める本があるとするなら、先ほど紹介した『国民の歴史』『戦争論』のほかに、わかりやすさで、渡部昇一氏を本を薦める。

 さらに通史として本格的に大東亜戦争にいたる過程を、あるいは歴史的意義を、巨視的に眺めたいなら、お薦めしたいのが次の三冊である。

 一つは、渡部昇一氏の『日本史から見た日本人 「昭和」篇』(祥伝社黄金文庫)。

 一つは、昨年亡くなられた中村 粲 氏の『大東亜戦争への道』(展転社)。

 そして、「えんだんじ」先生の『大東亜戦争は、アメリカが悪い』(碧天舎)である。


 それぞれが気合の入った著作である。

 「えんだんじ」先生のご著作は、前二著に引用史料の豊富さにおいて、決して引けを取らず、それでいて読みやすい。
 一般国民の感覚から見た、常識的な目線で歴史を眺めていて、私の文章などよりよほどわかりやすいだろう。
 もちろん前二著がわかりにくいということでは決してない。

 しかし、必要な知識を欠いた初心者が入りやすいのは明らかに、「えんだんじ」先生のご著作である。
 渡部氏もそういった人々にわかりやすく語りかける必要を痛切に感じているからであろうか、近年は口述による著作が多い。
 内容的には『日本史から見た日本人「昭和」篇』で突き詰めた視点を、語り口を工夫することで少しでも多くの人に理解してもらおうとの態度の著作が多いように思える。

 
 渡部氏の大東亜戦争に関する議論には、その前史である明治時代に対する考察がしっかり含まれているが、通史である『大東亜戦争への道』 『大東亜戦争は、アメリカが悪い』もやはり幕末や明治草創期の外交からその記述は始まっている。
 前者は、明治初年の対清、対朝鮮外交から。
 後者は幕末の外交および王政復古維新運動から。
 大東亜戦争とは大日本帝国の歴史の結末でもあるから、その起承転結の起に当たる、明治維新という近代日本の立国から話を始めるのはある意味当然のことだ。


 「えんだんじ」先生は第一章「『砲艦外交』による日本の開港」の中で、

「どうして大東亜戦争が起きたか、その原因をさぐるには、その一八五四年の日米和親条約の締結から一九四一年の大東亜戦争勃発までの八十七年間の歴史を知ることなのです。この八十七年間の歴史を学べば、敗戦国、日本にも言い分がたくさんあることがわかります。それにもかかわらず戦後から現在までのおよそ六十年間、私たち日本人自らが、日本の言い分を全く無視して、勝利国であるアメリカなどの言い分を鵜呑みにして、祖国である日本をどうしようもない悪い国にしたてあげてきたのです。」

 と述べておられるが、全くその通りである。

 だから、そのことを事実に即して明らかにしようと思えば、大著にならざるをえないのである。
 この本の厚さはひとえに、「えんだんじ」先生がそのことを忠実に成そうとしたことの証である。

(続く) 

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