書評 鈴木敏明 『えんだんじ 戦後昭和の一匹狼』

 最近体調を崩していて、自分のテーマを追い続ける気力を失っていたこともあって、気分転換に鈴木敏明氏の自伝小説『えんだんじ 戦後昭和の一匹狼』(文芸社)を読んだ。昨年の夏に贈呈されて、読まなければと思いつつ、なかなか読めないでいた本だ。

 興味もあったこともあって、360ページの長編にもかかわらず、二日の内に読み終えることができた。
 
 さて、私の父母と同世代、戦前(昭和13年)生まれの鈴木氏の自伝小説は、幼少期の貧困と下積み、若気の至りによる結婚とその結婚生活の破綻、外資系の会社を渡り歩いたサラリーマン生活、中年になっての恋愛譚などが語られていて、興味を持って読んだ。

 自分が鈴木氏を知るようになったのは、氏がリタイア後、六年の歳月をかけて自費出版した大著『大東亜戦争は、アメリカが悪い』(碧天舎、現在勉誠出版より再刊)を、彼が師と仰ぐ評論家西尾幹二氏のブログで知り、早速購入しようと思ったが、当時、出版社の倒産により絶版だったため、本人に連絡を取って、本を購入したことがきっかけであった。直接お会いしたことはないが、拙著を含む論考を読んでもらって感想を頂いたり、断続的にメールのやり取りをしている。

 『大東亜戦争は、アメリカが悪い』の内容は、明治維新より大東亜戦争に至るまでの経緯を、多くの史料を用いて叙述し、その書名の通り、大東亜戦争勃発の原因はアメリカの方に非があったことを明らかにするものである。
 戦前の日本が全部悪かった、あるいは軍部がすべて悪かったとする戦勝国側の史観(それは加害者であるアメリカの自己正当化、白人の有色人種に対する人種差別、ソ連を中心とする共産主義勢力のイデオロギー、シナの中華思想などが複合して形成されている)に、敗戦による自信喪失から毒されて洗脳されてしまっている日本の世論に一石を投じる内容だった。



 大東亜戦争を理解するには、最低でも明治維新からの日本の歩みを理解しておく必要がある。
 十五年戦争という言葉があるように、満州事変から昭和20年の敗戦までの15年間、日本は魔法がかかったようにおかしくなってしまった、という見方がある。しかし、当時の複雑怪奇な国際情勢、およびこれに対処する上で混乱を極めた国内の政治を理解するには、その前提をなす歴史的背景を理解せねばならず、15年では短すぎ、近視眼的な理解にとどまらざるを得ないのである。

 15年で区切る見方は戦勝国アメリカが押し付けた歴史観であって、われわれ本来のそれではない。
 戦後の日本人に植えつけられた歴史観は、シナ大陸での経済的利権に垂涎のあまり、昭和五年の満州事変から日本の政治行動を許せなくなり、憎悪にまで発展したアメリカの視点に立った歴史観に過ぎない。
 だからこの戦勝国の日本人洗脳政策(ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラムという)を払拭するには、われわれ日本人の視点に立った歴史観が国民的コンセンサスを得るまで、大東亜戦争は明治維新以来わが国の先人が歩んだ苦難の歴史を論じるところから始めなければならないのである。
 鈴木氏の『大東亜戦争は、アメリカが悪い』はその条件を満たした上に、読みやすい、「太平洋戦争」に興味ある方にはおすすめの本である。

 ちょうど同じ頃、司馬史観に反発し、日本を知る上で非常に重要な人物とされる西郷隆盛の史伝を、六年以上の歳月をかけて執筆し、出版した私は(『大東亜戦争は、アメリカが悪い』は2004年、拙著『(新)西郷南洲伝(上)』は2006年の出版)鈴木氏のこの仕事に共感を覚えた。というのは、政治的動機という点で謎に満ちた西郷隆盛のいわゆる征韓論、および西南戦争の戦争動機と文明史的意義の延長線上に、大東亜戦争の本質を見据えていたからである。
 西郷隆盛という人物に魅力を感じていたことに加えて、大東亜戦争を語るには明治維新から理解しなければならない、という認識から、幕末から維新までの歴史を自分で理解するために、維新を象徴する人物で謎に満ちた西郷隆盛を理解しなければならない、との執筆動機もあった。

 戦後、維新史最大の人気者は坂本竜馬となったが、これは司馬遼太郎の歴史小説『竜馬が行く』の影響が大きいだろう。本を読まない人は、この小説の影響を受けた「海援隊」員・武田鉄也原作の漫画『おーい、竜馬』(画は『がんばれ元気』の人気漫画家小山ゆうが担当した)や人気タレント福山雅治主演のNHK大河ドラマ「竜馬伝」などによって竜馬を好きになった人が多いだろう。
 しかし、司馬遼太郎は小説家としてはともかく、その歴史観は不徹底で、歴史家としては決して一流とはいえない人物である。

 維新の本流という観点から言えば、竜馬は決して主役クラスの人物ではない。脇役である。不幸にも維新前夜に暗殺されてしまい、維新国家の建設には携われなかった。
 やはり維新史を理解するには「維新の三傑」と言われた西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允(桂小五郎)を理解しなければならない。その三者の葛藤を描いた『翔ぶが如く』を書き終えた司馬遼太郎が、その主役である西郷の人物について「よくわからなかった」と告白せざるを得なかったように、明治維新を西南戦争の終結(明治十年)までとするなら、あるいは、その翌年の大久保利通の死(紀尾井坂における暗殺、明治十一年)までとするなら、西郷隆盛という人物を理解しなければ維新史を真に理解したとはいえないはずなのである。
 
 その仕事を終えた後、私は西郷という人物の背骨となった武士道、そしてその背景をなした儒学を中心とする江戸時代の学問に興味を持ち、それをひたすら掘り下げる作業をしてきた。

 一方で、一つの大仕事を終えた鈴木氏は、その後、戦後の日本人の不甲斐なさを直視した『逆境に生きた日本人』や慰安婦問題に関する本などを出版し、紆余曲折を経て、『大東亜戦争は、アメリカが悪い』の英訳出版や自伝小説の出版を達成している。


 氏が自伝小説を執筆出版した背景には、この『大東亜戦争は、アメリカが悪い』を英訳出版して、できるだけ多くの外国人に読んでもらい、日本が敗戦以来これまで負け続けてきて、負け意識さえ失ってしまった国際社会における歴史戦(歴史認識論争)に参戦し、これを覆そうという大志をいだいていたことがある。
 
 氏は幸運にも(といっても彼の努力によってつかんだ幸運であるが)、困難であった英文翻訳の良き協力者を得て、自費出版までは達成している。日本人向けのほうも再刊された。
 だが、多く頒布して、世界中の人に読んでもらうには多大な資金が要る。
 そこでベストセラーを書いて、印税をその資金の足しにしようと考えたのである。

 私が氏の自伝小説を読む上で興味を持っていたのは、やはり共感する氏のリタイヤ後の大志がどのように形成されたか、その反骨精神の起源を知ることにあった。決してインテリとはいえない氏が、なぜにニーチェ研究家にして評論家・歴史家の西尾幹二氏に師事するに至ったのか、ということにも興味津々であった。
 氏の自伝小説ではそれらのことは直接には触れられていない。しかし、背後にそれを読み取ることは可能だ。
 鈴木家の戦中・戦後の苦労、外資系会社の居丈高で日本人を見下している西洋人に屈辱の思いをなしたことが、大東亜戦争に対する関心となったのであろう。それは同時に、自己の人生と向き合う作業でもあっただろう。

 その思いが、同じ思いから歴史教科書改善運動を立ち上げた西尾氏への共感、師事に繋がったのだと思う。
 西尾氏は日本の多くの知識人と違って、西洋に対する批判を、その本拠地に乗り込んでいって、面と向かって批判することも辞さない数少ない知識人の一人である。
 そのことに関して面白いエピソードを思い出した。

 かつて同じく保守知識人の西部邁氏が漫画家小林よしのり氏との対談(『反米の作法』)の中で、西尾批判を展開していて、大体次のようなエピソードを述べている。

1980年代半ばにフランスのパリで日欧知識人会議というのが開催され、日本からは西尾・西部のほかに今話題の東京都知事で元国際政治学者の舛添要一氏が招待された。
 会議ではまず西尾氏が発言し、ともかくヨーロッパ人は人種差別があって傲慢、日本は立派な国である、という大演説を始めたのだという。

 次の発言者である西部氏は、アメリカナイゼーションの進んだ戦後日本の問題点に触れ、これを反省しなければ、日本人の精神の立ち直りはありえない。ヨーロッパの歴史・思想を参考にして、日本文明の根本を問い質さなければ、日本の将来は危ない、という趣旨の発言をした。西欧保守思想を学んだ知識人としては真っ当な見解だろう。

 ついでながら触れておくと、次に発言した舛添氏は、自分はフランスで教育を受けたから、西尾氏のようなヨーロッパに対する優越感も、西部氏のようなヨーロッパに対する劣等感も理解できない、と述べた。
 これはヨーロッパ人に対する媚であり、少しうがった見方をすれば、おフランスで教育を受けたことが自信になって、それが日本人に対する優越感となっている、ということだ。まあ、そういった海外に留学した日本の知識人が陥りやすい奴隷根性が、都民を馬鹿にした公金の私的流用問題で世間に暴露されつつあるということだろう。所詮、口先一つで伸し上がった野心家などこんなものだろう。

 さて、これに対し後の質疑応答で意見を求められた西部氏は、ヨーロッパの連綿たる知識の流れには敬意を、劣等感を、抱かざるを得ない。しかし、劣等感を持っていることを認めることは果たして劣等感にあたるのでしょうか、と逆に問いかけた。すると、向こうの知識人はよく理解してくれたという。
 確かに劣等感を認めることは、劣等感にとらわれてしまってそのことの自覚すらない舛添氏より、劣等感からは自由である。率直でいられる。

 西部氏は翌日の会議を前にしてエレベーターに乗ると、前日のヨーロッパ側の会議参加者数名と一緒になり、西尾氏はなぜああもヨーロッパ人に対して攻撃的なのか、と質問されたという。
 これに対する西部氏の回答は、西尾氏のドイツ留学中、あなた方ヨーロッパ人は彼をいじめたのではないか、というものだった。彼らは、われわれも先ほどそう話していたところだ、とくすくす笑ったという。
 西部氏は、会議においていきなり批判を始めた西尾氏の態度には作法が欠けているということも述べていて、さすがに劣等感を認めるだけあって、ヨーロッパの知識人にどのような作法で接すればよいか、コミュニケーション術に長けている。これは相手をよく理解しているからで、いわば彼を知り己を知る態度といえよう。
 しかし西部氏は己れ自身を熟知していても、また西欧の知性の伝統は熟知していても、日本の歴史や伝統はよく知らない。西尾氏に関しても自分に対する批判を私怨であると決め付けており、よく理解しているとはいえないのではないか。

 私がこのエピソードで感じるのは、日本人としての問題意識を持って、ニーチェの思想を研究してきた西尾氏は、ヨーロッパの近代というものについて、また歴史認識の問題について考えつくしており、いち早く歴史戦、思想戦を戦う覚悟で本場の会議に乗り込んでいったのではないか、ということだ。戦いに行ったわけだから作法もへったくれもなくて少しも不思議ではない。劣等感など微塵でもあれば、こちらから戦いを仕掛けるという行為はありえないだろう。西尾氏にはいじめられた経験はないのである。

 一方で、西尾氏は西部氏の態度をヨーロッパ中に媚を売ったとして批判し続けたらしいが、その後の西部氏がひたすら西欧の知識人の言葉で日本を批判し続けているのを見ると、彼の率直な見解を会議で述べたのではないか、と思われるのである。
 ある意味、それが彼の限界なのだが、その限界まで行くことで、その批判や否定の先に何が残るのか。絶望の果て、そこに日本文明再生の希望は見えてくるのであるから、それはそれで意義深い仕事だと思う。そう意識した上で彼の意見は聞くべきなのだ。

 一方、西尾氏は、ニーチェに学んだ、進取の精神に富んだ果敢な認識人であり、厳しい現状認識と実験精神を重んじているように察せられる。われわれが動けば歴史(認識)は動く、というのが彼の主張である。歴史は未来からやってくるとも言っている。未来を目指して生きることで、歴史に限らず、認識の新たな地平が拓けてくるのである。
 保守思想の枠に収まらない人物だが、やはり日本の歴史や伝統の中に深く根をおろしていて、そこから生長した認識の果実を、西欧人相手にぶつけることも辞さない。

 鈴木氏は三歳年上で、同じ時代を生き、そういった認識に達して行動する西尾氏に敬意と共感を持ったのだろう。西尾氏が中心となって立ち上げ、初代会長を務めた「新しい歴史教科書を作る会」の運動にも参加しておられる。



 私は数年前までは西尾氏の言論に対しては共感と敬意と違和感の内混じった感情を持ち、畏敬の念を禁じえなかった。だが、氏の歴史観に対する批判でもある論考「皇室と論語」やニーチェ論を書いてからは、ある程度の理解に達した安心感があるからか、畏れの感覚はなくなって、敬意を感じる現役の数少ない思想家の一人になっている。
 詩人で国学者の折口信夫は小林秀雄に「(本居)宣長はやはり源氏(物語)ですよ」といったというが、それに倣えば、西尾幹二はやはりニーチェですよ、ということになるだろう。

 鈴木氏は渾身の力作『大東亜戦争は、アメリカが悪い』を西尾幹二氏に贈ると、この無名の著者の大著を読んで、非常に誉められ、氏が主催する勉強会「坦々塾」への参加を誘われたそうだ。この塾には確か、氏に賛同する保守知識人、宮崎正弘氏、田中英道氏、元ウクライナ大使の馬渕睦夫氏などそうそうたる知識人が参加している。興味のある方は日本文化チャンネル桜の討論番組で、坦々塾スペシャルの回があったので、ユウチュウブで検索してみることをおすすめする。日本の文明論、国体論として非常に深い議論がなされていたと記憶している。

 そんな西尾氏のフォロワーで、坦々塾会員である鈴木氏であるから、当然ニーチェも読んでいるだろうと思い、「皇室と論語」とニーチェ論を送って読んでもらったが、前者は少し理解できたが、後者はニーチェを読んだ事がないから全く理解できなかった、との感想をもらって、少しがっかりしてしまったことがある。
 正直に告白すれば、鈴木氏の意見・感想を聞いた上で、論考を本にまとめて、西尾氏本人にぶつけるつもりだったのだが、いわゆる保守の人にはこういったテーマは面白くないのだとつくづく感じて、脱力のあまり、それを行う気力がなくなってしまった。この、仕事に対する執着力のなさが自分の欠点でもあり、鈴木氏の志を実行していく姿に敬意と痛快さを感じる要因となっているのだが、一方で、そうでもないとも思いなおしている。

 というのは、批判とは、相手への批判という形を借りた自己表現である、という批判行為の一面を常々意識しているからである。
 神ならぬ人間は、誰であれ、偏見から自由にはなれない。
 西尾氏ほどの人物でもそうだし、自分のような人間ならなおさらである。
 しかし、そのことを認識しているだけ、認識していない人より、少しだけ偏見から自由なのである。

 自分は歴史とできるだけ直接、素直に向き合うことが大事と考えているので、西尾氏への批判から得た着想を、西尾氏個人の言論への批判という形ではなく、文明論・国体論としてまとめようと思うようになった。かなり時間があいてしまったが、『(新)西郷南洲伝』以来の次回作はこの本になるはずである。
 
 この志は前掲著下巻のあとがきにちゃんと予告してあって、なかなかどうして、この一念に執着しているのである。
 下巻を出版したのが、2008年であるから、すでに8年越しの執念ということになる。その準備作業のために8年という歳月を費やしてしまった。
 これら難しいテーマを、ベストセラーとまでは行かなくとも、より多くの人に読んでもらうにはどうしたらよいか、というのは自分にとって切実な課題でもある。
 鈴木氏の奮闘が励みになるのはここにも原因があるのだろう。
 
 

  
 先日のオバマ大統領の広島における演説は、戦前戦中の日本を加害者から被害者の立場に転ずる画期的な歴史的意義を持ち、国際世論におけるパラダイムは大きく変わろうとしている。中国や韓国・北朝鮮が警戒感をあらわにしているこの歴史的演説は、中国を孤立化させ、アメリカとの信頼関係を構築してきた安倍首相の外交的大成果の一つといっていいだろう。

 演説の中には、世界を一つの家として捉える理想が述べられていて、日本の戦前からの伝統的な理想・世界観、戦後も日本流の国際主義として無意識に受け継がれている「八紘一宇」の理想が取り入れられたものとなっている。

 われわれが法であるとばかりに、自分に逆らう国家、勢力を犯罪者とみなし、世界の警察官を自負してきたアメリカ。
 パクス・アメリカーナと豪語してきた彼らは、その実、国益のために戦争を繰り返してきた国家であった。経済が停滞すると、必ずどこかの国に因縁をつけて、戦争に持ち込むことで、持ちなおす。これら、いわゆる軍産複合体は彼らの国体である。

 かの国の経済的衰退は世界平和にとっても黄信号でもあった。
 戦前、アメリカは経済的停滞に陥っていた。世界経済を混乱に陥れたウォール街の株価大暴落(1929)にはじまったアメリカ経済の停滞を回復するために、ルーズベルト大統領は社会主義的なニューディール政策を行ったが失敗。戦争を欲したルーズベルトは、人種的偏見も手伝って、日本をターゲットに絞ったのである。ロックオンされた日本は何とかこれを回避しようとしたが、いよいよ立ち向かわざるを得なくなった。彼の思う壺である。こうして真珠湾攻撃という歴史的事件は彼の思い描いた筋書き通りに創作された。

 そのアメリカの大統領がその偽善的な歴史的創作の一つの結末を象徴する、原爆投下の地ヒロシマで、日本の伝統的世界観を取り入れた演説を行ったのである。
 一般庶民に対する原爆投下というホロコーストを行いながら、自ら謝罪すらできないアメリカにはどこか欺瞞感が漂って、世界を心から共感させることはできないだろうが、日本にはその資格が備わっている。この演説を梃子に、伝統的理想をもって、国際政治を動かす余地が生まれたといえよう。
 
 国際政治に予断は禁物だが、後世、日本はこの成果によって、再生に向け大きな一歩を踏み出したと評されるかもしれない。

 鈴木氏の大志も、この機運に乗じて、その意義深い仕事がうまく軌道に乗ることを願ってやまない。 
 

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック