ニーチェが登った階段

西尾幹二氏によると


「最近の世の中は余りにも物事を簡単に考える人が多くなっている。ニーチェはニーチェを読む人に自らの体験を求めている。ニーチェはまず自分の読者であることを止めよと言っている。読者はニーチェを読解するのではなく、ニーチェを読むことを通じて、自分自身とは何であるかを再体験せよと言っている。」


ということだそうだ。(http://www.nishiokanji.jp/blog/wp-trackback.php?p=1603


確かにニーチェ自身次のように言っている。


「ここにあるこれらは私のためのいくつもの階段であった。私はそれらを登って越えて来た。――このために私はそれらの上を跳び越えて来なくてはならなかった。ところが、階段の方では、私がそこに腰を落ち着けて休息しようとしているのだと考えていたのである。・・・」


 ニーチェが残した文章、言葉とはつまり、彼が踏み越えてきた階段だったという事になる。ニーチェの読者は階段になってはいけない。

『神になった悲劇人 最晩年のニーチェ』は言わば自分のニーチェ体験だが、補論の「ニーチェと論語」は自分自身とは何か、そこへの通路である。
 私がそこで描いたニーチェ像は、この階段――「天国への階段」に背を向けるように、ニーチェ自身によって、一段一段築き上げられていった階段――が、どのような階段で、それを彼がどこまで登ったのかを明らかにしようとしたものだ。

 晩年の小林秀雄は、ニーチェを潜り抜けていないことが日本の知識人の弱点である、と繰り返し言っていたそうだが、これはあくまでも西洋の思想にどっぷりと浸かった現代日本の知識人に対するもので、私のように、日本の知性の伝統に回帰しようという人間にとって、ニーチェが築き上げた階段はどこまでも、他山の石ならぬ、他山の階段である。
 西洋文明という山脈の麓から、そこから背を向けるように、海に突出した岬先端部の断崖へと続く階段である。
 彼はそこから、海に飛び込むようにして、飛び立っていった。
 それが多くのニーチェリアンや彼のエピゴーネンたちと本家本元との隔絶した違いである。
 彼らの大半は大地にへばりつくか、階段にしゃがみこむか、海を、それも浅瀬を泳いでいる。
  
 ニーチェと「論語」はもちろん接点がないが、「温故知新」的態度という点では共通しており、日本の明治維新までの知識人の伝統という観点から見れば、ニーチェが築いた階段は意外と理解しやすいのでは、ということを示したかった。

 しかし、われわれにとって、あちらより、こちらの階段のほうが重要である。
 遠くに霞む山々へと続く尾根に築かれた、あるいはこれから築かれようとしている階段である。
 これはおのおのが自分の足で歩いて築くほかない階段であるが、われわれはあくまでも歩いて築く側であって、階段になってはいけない。それが私がニーチェ体験を通じて再確認したことである。

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