皇室の秘儀中の秘儀 大嘗祭

 ここのところ、ブログの更新を怠っているが、執筆活動を休止しているわけではない。
 現在、数年前に書き始めた「皇室と『論語』」の仕上げで手一杯で、ブログの更新まで手が廻らないからである。


 「皇室と『論語』」は、このブログに書き始めた西尾幹二氏への批判を、発展深化させたもので、皇室と『論語』の思想のかかわりを歴史的にたどることで、どこまで日本文明の核心まで到達することが出来るか、ぎりぎりまで突き詰めた内容である。

 最終章は数ある宮中祭祀の中で、最も重要とされながら、謎に満ちた秘儀である大嘗祭を考察している。
 史料も乏しく、謎だらけの秘儀だが、いくつかの視点からアプローチを試みている。
 もちろん、自分が調べた範囲では、これまでにない独自の視点からのアプローチで、これがなければ、すでに神道や国史・国学の大家の考察が世に存在する以上、わざわざ世に問う意味も、必要もない。

 もちろん、わたくし独自の視点とは、当該論文のテーマである『論語』を中心とする「からごころ」による視点である。
 大家の説にこの視点を加えることで、この秘儀の意義が、謎は謎のままとしても、よりダイナミズムに満ちたものに感じられるようになるのではないか、との予感があるのである。


画像

     平成二年 今上陛下の大嘗祭


 この試みが成功するか否かは、出来上がったものを読んでいただくしかないが、ここでは予習として、大嘗祭の意義に関する代表的な考察である折口信夫の『大嘗祭の本義』を紹介しておきたい。

 難しい内容だが、幸いインターネット図書館【青空文庫】で閲覧が可能だ。



『大嘗祭の本義』 折口信夫

http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/18411_27474.html


 

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