「八紘一宇」とグローバリズム

 三原じゅん子氏が「八紘一宇」発言の真意を敷衍している。
 東洋経済オンラインの四月五日付の記事「だから私は『八紘一宇』という言葉を使った」【http://toyokeizai.net/articles/-/65369】によれば、安倍首相の本音を叩く意図から出た発言であり、おそらくは首相の本音に近い内容だろう。
 このような深く、歴史を鳥瞰した発言が三原じゅん子氏個人の意図から出てきたとは思われない。何らかの輿論を喚起する政治的意図が明確である。

 ちなみにここに言う「輿論」は「世論」とは違う。
 幕末維新期によく言われたところの「公議輿論」という場合の「輿論」である。
 ウィキペディア「輿論」の項【http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%BF%E8%AB%96】によれば、

…佐藤卓己によれば、日本で、「輿論」と「世論」は大正期までかなり明確に区別されて使用されており、「輿論」はヨロンと読み、意味はパブリックオピニオン、理性的な討議による合意、事実をめぐる公的関心のことで、「世論」はセロン、セイロンと読み、ポピュラーセンチメンツ、情緒的な共感、美醜をめぐる私的な心情を意味したという。取材をした記者は、それぞれ「世論」を言論になる前の空気、「輿論」の世論化はファシズムに繋がる可能性を含むので注意しなければならないだろう、と考察している。…

 とのことである。

 「輿論」と「世論」が混同されるようになったのは、大正期までだという。つまり、日露戦争勝利後、第一次世界大戦を経て、念願の一等国の仲間入りを果たした日本に、英米流の民衆政治、大正デモクラシーの波が押し寄せる。そういった中で、国際共産主義運動が浸潤してくる。
 大正時代の始まりとは、明治天皇が崩御され、乃木大将が御跡を慕って殉死し、明治という偉大な時代は終わった時でもある。日本は創業から守成への時代の過渡期にあった。
 この過渡期に、伝統や慣習の輿(こし)に支えられた「輿論」と大衆の感情に支えられた「世論」の混同が始まったというのはなんとも象徴的な出来事である。

 フランス革命のスローガンは自由・平等・同胞愛(連帯愛とも。博愛は誤訳)だが、これは垂直軸方向の価値観を水平方向へ劇的に転換する運動であり、必然的に社会に衝撃を与えざるを得なかった。これらの理念を継承した運動の中で、自由の理念を特に拡大したものがデモクラシーであり、平等の理念を特に拡大したものが、社会主義運動であった。その社会主義運動の中から生まれた、特に過激で、急進的な思想が共産主義であった。大きな流れで見れば、大正時代は、この横からの大波が日本に押し寄せ、輿論をぐらつかせた時代であったといえるだろう。
 これらの運動はいずれも普遍主義、国際主義的性格を持つが、これらは聖書的世界観、すなわちユダヤ教の世界観を根に持っている。

 共産主義が聖書的発想を根に持つのは意外かも知れないが、そもそもマルクス主義そのものがユダヤ人救済に端を発するのである。マルクスの若い頃の論文に、後の共産主義理論を確立する上で画期となった『ユダヤ人問題に寄せて』という重要論文がある。
 両親ともにユダヤ教徒で、六才のときにキリスト教に改宗した経歴を持つマルクス。特に父はユダヤ教のラビを務めた人物であったから、このユダヤ人差別の問題は他人事ではなかった。
 その必然的結果として、国際共産主義運動をになった中心的人物の多くはユダヤ系であった。マルクス然り、レーニン然り、トロツキー然り。
 日露戦争時、日本の戦時国債を引き受けたユダヤ系アメリカ人ヤコブ・シフは、ロシアのツァーリズム打倒のために、戦後は共産主義運動に資金を援助し続けた人物である。
 ロシア革命が彼らユダヤ系国際金融資本の資金援助により成功した時、共産党員の三分の二がユダヤ人であったという。

 そこから派生したフランクフルト学派の中心人物群もまたユダヤ系であった。フランクフルト学派の根拠となったドイツ・フランクフルト大学社会研究所創設のパトロンはユダヤ商人であり、学者の大半はユダヤ人だった。ここではユダヤ人差別の問題が研究課題の一つとして掲げられていたという。彼らはナチスの迫害を逃れて、アメリカに亡命し、コロンビア大学などを中心に活動し、第二次世界大戦時はアメリカ政府に協力して、日本の占領政策に大きな影響を及ぼした。

 朝日新聞御用達の学者の一人にキャロル・グラッグという女性がいる。日本近代史専攻のアメリカの歴史学者で、コロンビア大学ジョージ・サンソム歴史学講座教授とのこと。

 朝日新聞の一九八九年六月二一日付夕刊記事にキャロル・グラック氏は次ぎのようなコメントを寄せている。

「歴史家が明確に分析できない事柄はどこの国にもある。アメリカの人種問題、ドイツのホロコースト(大虐殺)、日本の天皇制などがそれ。」

そして、挙句の果てにこれらの歴史事象を「歴史の饗宴に現れる亡霊」と表現している。

 実は彼女のこの発言に大きな刺激を受けて、皇室を取り巻く権威と権力の問題に取り組んだのが、日本の歴史学者今谷明氏である。

 彼がもう一つ大きな刺激を受けたのが皇室存続の謎に関する松本清張の次の発言であった。

「その間、天皇家を超える実力者は多くあらわれている。とくに武力を持つ武家集団、平清盛でも源頼朝でも、北条氏でも足利氏でも、また徳川氏も、なろうと欲すればいつでも天皇になれた。なのにそれをしなかった(中略)。どうして実力者は天皇にならなかったのか。誰もが知りたいことだが、歴史家はこれを十分に説明してくれない。学問的に証明できないのだという。」(「神格天皇の孤独」『文藝春秋』八九年三月号)

 松本清張と言えば共産主義に異常なシンパシーを抱いていた作家である。
 彼の代表作の一つ『昭和史発掘』を読むと、戦後のミステリー作家の重鎮とは思えぬほど、共産主義勢力の犯罪に甘々である。またキャロル・グラッグ氏の経歴はよくわからないが、共産主義、フランクフルト学派のイデオロギーを行き継いだ人物であることは明らかで、今谷氏のせっかくの研究もこれらのイデオロギーを引き継いだものとなっていて、読む上で注意が必要である。
 というのは、皇室と権力の問題を対立の相に重点を置いてとらえ過ぎる傾向があるからである。
 彼は『象徴天皇の発見』(文春新書)という本も書いているが、そもそも象徴天皇という発想自体、共産主義者やフランクフルト学派の多くが携わった、CIAの前身である大戦期アメリカのOSS(戦略情報局)の心理計画「日本作戦」に由来するものだったのである(加藤哲郎 『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』)。
 今谷氏の仕事はこれらのイデオロギーを皇室を取り巻く日本の歴史の中に読み込む作業だったのである。


 大東亜戦争における日本の主敵アメリカ政府の中枢は共産主義勢力に毒されていた。
 実は、共産主義勢力の拡大に大きく貢献した、共産シンパ、アメリカ大統領のフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領はキリスト教に改宗したユダヤ人の家系、すなわちいわゆるエージェントと呼ばれる人物であり、アメリカのユダヤ人社会も彼の大統領選三選を大いに支持した。それらの結果、彼の政権には多くの共産主義者、ソ連のスパイが潜り込んで、アメリカを親ソ政策へと誘導していった。日本への敵対政策はその一つの成果であり、ソ連は極東方面の脅威を大幅に減らすことに成功し、結果、対独戦勝利、そして、満・蒙及び支那大陸の共産化に成功するのである。

 ユダヤ人ではなかった、レーニンの後継者スターリンは米ソ冷戦が始まる頃から、かつて敵対したヒトラーのように、ユダヤ人のシオニズム運動を警戒し始め、国内のユダヤ人を強制収容所に送る計画を立てていたという。この計画はスターリンの死によって中止されたが、彼の死については暗殺説が根強く存在する。スターリンはユダヤ人に関して、「反ユダヤ主義はカニバリズム」と批判する一方で、彼らを「祖国なきコスモポリタン」と呼び、「ボリシェビキの歴史はユダヤ人との戦いだった」といっていた。このことはユダヤ人がいかに国際共産主義運動に食い込んでいたかを表している。
 一九四八年、スターリンは、大戦中戦費獲得のため渡米し、米ユダヤ人社会から3200万ドルもの援助を引き出した「ユダヤ反ファシスト委員会」の会長で、最も著名なユダヤ系ロシア人であるソロモン・ミホエルスを暗殺している。

 ミホエルスは渡米時、在米ユダヤ人に「世界各地に散って自分たちの国家を持たないユダヤ人を統合し、クリミア半島にカリフォルニアのようなユダヤ人社会主義共和国を建国する」と説いて回った。これが後にスターリンの猜疑心を刺激した。
 モスクワ国立ユダヤ劇場創始者で、ソ連邦人民芸術家の称号を持つ人気俳優ミホエルスの惨殺を狼煙に、ユダヤ人の迫害が始まった。
 ソ連の演劇評論家の90パーセント以上を占めるといわれたユダヤ人評論家が排斥され、国立ユダヤ劇場は閉鎖された。シナゴーグ、ユダヤ図書館、ユダヤ研究センターなど次々と閉鎖され、各界のユダヤ人は追放された。スターリン側近中の側近モロトフの場合、妻ポリーナがユダヤ系であったため、強制離婚させられた上、閣僚も解任された。彼女は逮捕され、収容所に送られている。
 ユダヤ人を再び襲った迫害の狂気はこの独裁者の死によってようやく終止符を打ったのである。

 以上はユダヤ人と国際共産主義運動の協調と対立の歴史の一例である。
 協調と対立、どちらを基調にするかはともかく、この関係は聖書を根に持つ文明関係に共通する問題であろう。ユダヤ人が協調関係を作り出すことに成功したいい例が、アメリカとの関係であり、その契機となったのが第二次世界大戦だったのである。
 ユダヤ人は第二次世界大戦において、ホロコーストという悲劇を経験したが、この受難を跳躍台にして一大飛躍を遂げた、あるいはその契機を作ったという見方も可能なのである。


 元駐ウクライナ大使の馬渕睦夫氏によれば、昨今のウクライナ問題はユダヤ系資本を中心とする国際金融資本グループによって動かされた英米がロシアの愛国者であるプーチン失脚を狙って仕掛けたものだという。
 たしかにその疑いは濃厚で、本年二月二十七日にモスクワ・クレムリン近くのモスクワ川橋上で暗殺されたロシアの民主運動家ボリス・ネムツォフ氏を調べてみると、やはりユダヤ系であった。彼がロシア国内で光り輝いていたのは、ソ連崩壊後、国際金融資本がロシア経済を食い物にしていたエリツィンの時代であった。プーチンが登場して、これらの外資の手からロシア経済を国民に取り戻してから、ネムツォフ人気はかげりを見せていた。

 氏は三月一日にウクライナ問題におけるプーチン非難のデモを呼びかけていたとされ、これを阻止するためにプーチンが暗殺したとの分析があるが、話が逆で、プーチンの国際的評価を貶める目的の宣伝工作として、国際金融資本の勢力に暗殺された、との見方もある。

 馬渕氏は一歩進めて、国際金融グループからの、プーチン大統領に対する暗殺の脅しだったのではないか、と見ている。確かにプーチンの犯行なら、クレムリンのすぐそばで暗殺するなどということはしなかったであろう。三月十五日に国営テレビでプーチンがウクライナ問題をめぐって、核兵器使用の準備を軍に指示した、と語ったことは、脅しに対する返答だった、との見方を馬渕氏は示している。
(日本文化チャンネル桜の討論「中東・アジア・欧州から見える米国の本音3/3」 冒頭から十二分三十秒ごろまでの馬渕氏の発言に注目!)
https://youtu.be/e5KcPr87ED4?list=PLubSbhcjV7IAoTNd8sm7FPQpAWwl0c9rx

 ロシア問題専門家の瀧澤一郎氏は旧ソ・KGB出身で諜報活動に長けたプーチンの犯行を疑っているが、この問題はロシア国内ばかり見ていても合理的には理解できない。国際政治はすべて腹黒いのだ。少なくとも、善悪の彼岸に立たないとこれら国際問題の真相には近づくことが出来ないことは確かだろう。


 ソ連が崩壊し、国際共産主義運動は終熄したが、ユダヤ人の国際運動は、グローバリズムと名を変えて、各地域の国際主義勢力を利用しながら継続しており、ロシアのナショナリズムがユダヤ人及び彼らが主体となっている国際金融資本グループと敵対を繰り返すように、日本のナショナリズムとは協調できる面もあるが、本質的に相容れぬ関係にある。
 というのは、日本が彼らを敵視しているのではなく(ユダヤ陰謀論は日本では現にオカルト的扱いである)、かつて国際共産主義勢力が日本の「天皇制」を非難したように、いまだにグローバリストが日本の根源をなす皇室の存在を平和勢力として利用することはあっても、根源的に敵視し、反日宣伝に加担し、これをナチスドイツのホロコーストと同列に並べようとする背景を理解するには、ユダヤ思想に対する理解が欠かせないのである。

 三原じゅん子氏の「八紘一宇」発言はこの国際情勢のポイントを的確に押さえたものとなっている。

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